強い父が弱く見えた日。

今日の出来事をなんとなく書きおく。

うちの父は強い。子どもの頃は父の言うことは絶対だったし、悪さをするとこっぴどく叱られた。怒鳴られたし、押し入れにいれられたこともあれば、手を上げられたこともあった。手加減はあったけど。

幼い頃に感じた強烈な父の畏怖は、いい意味でも悪い意味でも、今の私を形成する要の部分になっていると思う。
今でも父の機嫌を損ねることは避けようとしちゃうしね。反抗期なんて、父のが反抗してくるもん、そんなのなかったよね。

その一方で。父なら絶対に守ってくれるという安心感もあった。うちの父は強い。何があっても大丈夫。絶対的な存在だった。

そんな父が泣いている。
「俺はいつまで泣くのかな。ずっとかな。」

父の中学時代のクラスメイトのひとりが逝去した。乳がんだった。
年に一度はクラス会をしていて、仲は良い話を聞いていた。それでも彼女は同級生には自身の病気のことは打ち明けていなかったらしい。

父たち同級生からすれば、青天の霹靂だったのだろう。
「年だからしょうがない。」と泣きながら言う父。
たしかに、来年には還暦を迎える年だしね。

涙を流す父を見るのは、これが初めてなわけではない。
滅多にないけど。片手で数えられる程度。

それでも泣き顔が、ひどく弱く見えて、強い父がとても小さく見えた。柄にもなく泣く父、父もそれをわかっているだろうから。
人並みの感情があったんだね、よかったね、なんて皮肉を言ってみたけど。

「俺にもこんな感情があったんだなあ。」
なんてまともに受け取るくらい、今の父は脆い。

父の涙の琴線に触れたきっかけは、亡くなった同級生のアカウントから届いたLINEだった。

“昨日はみんな来てくれてありがとう。またみんなで集まれるのを楽しみにしてるよ。”

きっと遺言であろう。家族の方が葬儀のお礼とともにグループLINEに送られたメッセージだった。生前みなさんと集まることをとても楽しみにしていた、と。


父がぽつりと思い出を話した。
言ったことないかもしれないけど、中学卒業の時に手紙をもらったのだと。
父の誕生日が卒業式のあとだったから、わざわざ手紙を送ってくれたらしい。

母はおそらく聞いたことのない話。母がどう思っているかはわからないけど、ぽろぽろ涙を流す父を見て、ただ穏やかに聞いていた。

私は朧気な記憶から、
木箱に手紙をいれて保管しているのを知ってる、子どもの私には話してたよ、と。
いつの日か、父の大切なものが入っているのだと、新聞記事の切り抜きや手紙などが入った木箱を見せ、教えてくれた日を思い出した。

うちの父はあまり嘘はつけない方だ。
つけないというより、嘘はつかないし、正直に話す。
今日だって、正直だから、情けなく涙をこぼしながら、母と私に打ち明けている。

「話したことあったか。
あの手紙はもう処分しちゃったし、木箱もない。けど、それよりも大切に持っているものがある。」

涙をぬぐい、少し待ってろと、戻ってきた父が持ってきたのは小さなひとつの色紙。

ほら、と渡された紙を広げると、
“おとうさん、ありがとう”、と。
文字とともに、幼い私の写真が添えられた色紙。
幼稚園で父の日につくられた飾りのひとつだろう。文字が、年少のときの先生のものだ。

これがいちばん可愛くて大切で仕方ないと笑う父。もう25年くらい前のもの、大切に持っていたのか。

父に愛されている。年甲斐もなく、自分が父の子どもであることを感じ、じんわりとした感情が胸にひろがった。

機嫌を損ねたらめんどくさいし、ささいなことで激昂するどうしようもない父だけど、慈悲深く、私の大切な父だ。

ちゃんとまたしまっておいてよ、可愛い私を。
なんて可愛げのないことを言って、ちょっとの照れ臭さを隠しつつ、今夜は泣き疲れて、酔い潰れて、気が済むまで父の長いひとり語りに付き合おうかと。今日だけだよ。


そんな、感傷的な気分になった今日。
今日の心の機微を残しておく。

お父さんのことだから、明日は泣いてないよ。
明日には、なんてことない顔してるはず。心のなかでは泣いてるかもしれないけど。

明日は、家族で美味しいもの食べようか。

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