見出し画像

映画「苦役列車」_誰かとつながりたい。それは、叶わずに終わる。

10年前、2010年下半期に直木賞を受賞したのが今時珍しい私小説:西村賢太の「苦役列車」

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。

新潮社 公式サイトから引用

ひたすら自分の現実を描く、私小説の伝統を行く。
人を選ぶ。 それが実状だろう。

この私小説をマイルドにやわらかくしたのが、本作だ。(原作者は、映画化の出来に対し、複雑な想いを各所で吐露している。)
それでも、骨身をさらけ出す男ひとりを、森山未來が見事に演じる。
ここは見ておいて損はない。

1986年。19歳の北町貫多(森山未來)は、明日のない暮らしを送っていた。日雇い労働生活、なけなしの金はすぐに酒と風俗に消えてしまい、家賃の滞納はかさむばかり。そんな貫多が職場で、新入りの専門学生、日下部正二(高良健吾)と知り合う。中学卒業後、他人を避け、ひとりぼっちで過ごしてきた貫多にとって日下部は、初めての「友達」と呼べるかもしれない存在に。やがて、古本屋で店番をしている桜井康子(前田敦子)に一目惚れした貫多は、日下部の仲介によって、彼女とも「友達」になる。でも「友達」ってなんだろう・・・不器用に、無様に、屈折しながら、けれども何かを渇望しながら生きてきた貫多は、戸惑いながらも19歳らしい日々を送るが・・・
STAFF
監督:山下敦弘
原作:西村賢太「苦役列車」(新潮社文庫刊)第144回芥川賞受賞作
脚本:いまおかしんじ
音楽:SHINCO(スチャダラパー) 
主題歌:「Trash」ドレスコーズ(日本コロムビア)
CAST
森山未來
高良健吾
前田敦子
マキタスポーツ
田口トモロヲ

キングレコード 公式サイトから引用

あらすじで察せられるように、森山未來が演じるのは、頭の中は金とセックスで充満していて、友情とか恋愛とか人間関係全般に関して、粗雑な考えしか持てない男だ。
粗雑な考えしか持てないから、自分を他人がどう思うか、考えが及ばない。だから、いつもおどおどして、いつもぎょろっとした目つきで、まわりの様子を伺うように、他人を下から見上げている。
よく言えば「不器用」な男、悪く言えば「凶暴な心のために、他人と相入れることができない」男。フェリーニの「道」のサンパノに通じるところがある。

そんな森山未來=サンパノが、天使な前田敦子=ジェルソミーナ、高良健吾=綱渡り芸人との三角関係にもつれこむ。一緒にボウリングしたり、海に出かけたり、私室にお邪魔したり、子供のように3人ははしゃぐ。「このままずっとこの関係が続いてくれればいい」ふとした僥倖にサンパノの顔はほころぶ。

しかし(乱暴な言い方をすれば)「不器用な人間」は得てして、良好な人間関係というものを維持する能力が欠けている。本作のサンパノも、まさにそれ。
「もうちょっとばかし、ジェルソミーナに近づきたい」
という自身の欲望ばかり先行して、他人との距離の置き方…近すぎず遠からずを測ることができない。結果、ジェルソミーナを見つめる視線も指使いも、どういうわけかいやらしく見えてしまう。いやらしく見えるから、ジェルソミーナはもちろん、綱渡り芸人のなかでもまた、サンパノへの好意が敵意→軽蔑→無関心と雪崩を打って急降下していってしまう。

そしてもうひとつ「不器用な人間」の悲しいところ、謝って泣いて縋ってでも、その関係を取り繕おうとする勇気がない。
「じゃあ俺は一人でいいさ。」
そう虚勢を張って、つながりを断ち切ってしまう、即ち決別してしまうのだ。


映画は、散らかった自室で声も無く音も泣く森山未來の背中で終わる。
   「正直に自分の心を明かせなかった」愚かさと「やっとみつけたつながりがいともたやすくしなびた」悔しさ。
その震える背中を見ると、肩を思わず叩いてやりたくなる。そんな不思議な感慨が最後に残る映画だ。人と人とのつながりを真正面から描き切った、監督の力量が感じられる。


この記事が参加している募集

映画感想文

この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!