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「東京でもカワセミが飛ぶんだ…」そんな新鮮な感覚でニューヨークを語る、そしてニューヨークの恋模様を語る映画「マンハッタン 」。

第73回 英国アカデミー賞において、「1917」が最多7冠を獲得した。

本戦では3冠。嬉しい結果だが作品賞を逃したのは、ちょっとだけ残念!


さて、英国アカデミー賞が、日本においても耳目を引く重要な賞となったのはここ最近(第62回の「スラムドッグ$ミリオネア」の辺りから?)のことと思う。
それまでは(よっぽどの映画通でない限り)米アカデミー賞と同じものと思われていた気がする。
よしや英国アカデミー賞を取ったとしても、米アカデミー賞を受けていなければ、日本ではマイナーなまま終わる…そんな時代があったのは、間違いない。

第33回で作品賞を受賞した「マンハッタン」など、その典型だろう。
第52回米アカデミー賞では助演女優賞、脚本賞にノミネートされるも、ひとつも獲得できずに終わっている。
監督・主演は、つい最近まで一戦で活躍していたウディ・アレン。ユーモラスでありながら奥行きのあるセリフ回し、コミカルでシリアスなストーリーテリングに、酔わされる。

ストーリー
アイザックは2度の結婚を経験し、現在の彼女は17歳の少女トレイシー。更に、彼は気まぐれで俗物的なジャーナリストのメリーとも恋に落ちてしまったのだが、メリーは彼の親友の愛人だった……。まるでメリーゴーランドの様に移り変わる現代人の人間関係をウディ・アレン独自のシュールな切り口で描くほろ苦いコメディ。
キャスト&スタッフ
アイザック・デービス…ウディ・アレン
メリー・ウイルキ…ダイアン・キートン
エール…マイケル・マーフィー
トレイシー…マリエル・ヘミング
ウェイジル…メリル・ストリープ
監督・脚本:ウディ・アレン
製作:ジャック・ロリンズ/チャールズ・H・ジョフィ
脚本:マーシャル・ブリックマン

20世期フォックス 公式サイトから引用

ニューヨークという街を語る。


この映画の魅力の過半は、トレイラーに該当する箇所、ずばり冒頭の5分間に凝縮されていると言って良い。
語り手=デービス=ウディ・アレンが、「我が街」=ニューヨークを表現するにあたって、適切な文章にたどり着くまで苦心。それを様々な角度から切り取ったNYの風景、軽快なジョージ・ガーシュウィンの音楽と共に綴るのが、見てて心地よい。

我々が、よく知っているようで、実は知らないNY。
そこがどういう場所なのか、この導入部でぐいと引き込むのだ。
「彼にとって街はいつも白と黒であり、ガーシュインの曲であった」
「彼はニューヨークを愛し、この上なく偶像化していた」
「ニューヨークは現代文化の腐敗を意味する比喩であった。麻薬、けたたましい音楽、テレビ、犯罪、ゴミで鈍感になった社会では生きづらかった」
ぴたりといまの気分を言い当てる表現にたどり着くまで、
何度も語り出しては、やりなおす、それを繰り返す。

最後にたどり着くのが、語り手が自分自身を重ね合わせて語るNY。

Chapter One. He was as tough and romantic as the city he loved. Behind his black-rimmed glasses was the coiled sexual power of a jungle cat. Oh, I love this. New York was his town, and it always would be.

IMDBより引用

「ここが私の街、私こそがニューヨークだ!」と自身に満ちた表現に辿りついた時、彼の気分と摩天楼・ニューヨークの気分が合致する。

そして、都会としてのNYが華やぐ。
夜明けのマンハッタンのカットを何十回も連続して並べ、林立する高層ビルの上空に花火が何発もきらめき、夜明けを対岸から恋人たちが眺めて「本当に素敵ね」、「実に偉大な街だ。魂を奪われるほどだ」と言葉を交わす。
それは永島慎二・作「フーテン」において、
60年代はじめの新宿:ハナのダンさんこと漫画家・長暇貧治とその周辺に集まる仲間たちが、夜を明かした後、摩天楼の奥から上がる朝日を拝んで

「新宿の夜明けだ!」
「東京にもまだ鳥なんかがいたのね………あんなにも」

と口々に感動を漏らすことばのよう、

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いわば「自分たちが住んでいる街を再発見する」喜び、祝祭に満ちている。


ニューヨークの恋人たちを語る。


「ニューヨークとは何か?」
マクロの世界を語ったのちに、本編は一気にミクロの世界に収斂される:NY市内の狭いカフェで行われる男と女の芸術論にシーンに移る。
そして、芸術論もそこそこに、いきなりデービスが
「別れた奥さんが結婚生活の内情の暴露本を書いて、参ってるんだよ。」
と下卑た話題を口にする。以後、本編も、それなりに俗っぽい話となる。

(NYをあらゆる角度で語れるから当然)知的で優しくユーモアもあるが、自己中心的で小心者の主人公アイザック=先述の語り手=ウディ・アレンが、周囲の男女とともに、愛を求めて右往左往する。
この男、神経質で、芸術論をやたら吹っかけたがる厄介者。たとえ場所が「みんな心静かに芸術を楽しみたいであろう」展覧会でも構いはしない。それでも「持っているのだろう」。ある時は周囲を苦笑いさせ、ある時は周囲を惹きつける。

こんな彼が、17歳の女性トレイシーと恋人関係になる。
彼女を大人として扱うか、子供として扱うか、態度を決めあぐね(場合によって使い分け)すったもんだする。間断なく続くおしゃべりの末、最後アイザックはトレイシーと破局する羽目となる。彼にとってもう何度目かの破局だ。

要は、いい年したオッさんが恋に浮つく情けない話を、NYという宇宙から見下ろすのだ。それが、通俗的なドラマに終わらせず、不思議な余韻を与えるのだ。

※本記事中の画像はまんだらけ公式サイト から引用しました



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