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そしてタランティーノ伝説へ・・・マカロニ・ウエスタンの玉石混淆、感想覚え書き八本だて。

すっぴんでも楽しめた「ジャンゴ 繋がれざる者」
マカロニ・ウエスタンに元ネタがあるのを知り、一層楽しめるようになった。

ジャンゴと賞金稼ぎのシュルツが 、とある町に向かう時に流れている曲がクリント ・イ ーストウッド主演の 『真昼の死闘 』。
シュルツがジャンゴにガン捌きを教える場面で『怒りの荒野 』の曲が。
愛馬のおどけた前足の動作とコメディ ータッチのエンディングには 『風来坊 /花と夕日とライフルと 』の曲が。
その他、マカロニウエスタン を思わせる展開がある、とのことで。

そんな細かいネタを知らなくても
ジャンゴとシュルツがカッコいい、キャンディとスティーヴンが憎い。
強烈なキャラクターの味付けで全編通したのは、凄いことだと思う。
(これが「ヘイトフル・エイト」になると、キャラクターが過激すぎ、登場人物全員感情移入できなくて、まるでついていけなかった。)


ともかく、この「ジャンゴ」の影響を受けて見始めたマカロニ・ウエスタン
妙に印象に残った作品を(ヘイトフル・エイトにちなみ)八本建てで紹介する。
なお、ジュリアーノ・ジェンマの主演作多めなのは、主にBSで視聴したからだ。


その1:アリゾナ・コルトは動かない。「南から来た用心棒」。


話は単純。
刑務所を脱獄した悪人を、町の雇った用心棒が迎え撃つ話なのだ、が…。

まず、我々の度肝を抜くのは、見るからに独裁者然とした頭悪い・高笑い・やたら銃を撃ちたがる悪人:サンチョ(演:フェルナンド・サンチョ)だろう。
この巨漢の男。同じく刑務所の囚人たちをそっくり自分の仲間に引き入れる。Sの焼印を入れて。
この多勢を以て町の住民を拉致し、身ぐるみはがした挙句、「逃げるがいい」と言って解放する、舌の根が乾かぬうちに全員自分の手で撃ち殺す。
目に見えてわかりやすい悪役だ。

対峙するは、ジュリアーノ・ジュンマ演じる用心棒アリゾナ・コルト。
恐るべきは、彼のスルースキル。
旅の護衛団が出発すると聞いて、防備に不安を感じた町の衆が、コルトに話を持ちかける。コルトはポーカーに耽って動かない。
護衛団がいなくなり手薄になった町に、強盗団が襲いかかる!町の中で虐殺が始まる。 赤シャツの保安官もサンチョの手で瞬殺される。
町の中は死屍累々、これでもコルトは動かない。
報奨金を吊り上げて、ようやく動く。
しかしあっさりサンチョらの待ち伏せに会う、実力に早くも疑問符がつく。

以降、コルトが振り回すというよりは、サンチョが振り回すかたち。
おなじみ「荒野の用心棒」と真逆の構図で物語が進む。
主人公としてはトホホ…なアリゾナ・コルトだが、最後はきっちり締める。
コルトとサンチョ、棺桶工場内での一対一の決闘が凝っていて、(こんなでも)盛り上げてくれる。

ARIZONA COLT THE MAN FROM NOWHERE[米]
製作年  1966年
製作国  イタリア/フランス/スペイン
監督   ミケーレ・ルーポ
原案脚本 エルネスト・ガスタルディ
共同原案 ルチアーノ・マルチーノ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ コリンヌ・マルシャン フェルナンド・サンチョ ロベルト・カマルディエル ロザルバ・ネリ ほか
マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション 4号収録


その2:旅に出た愉快な極道罷り通る。「暁のガンマン」。


とある西部の町。酒場でハリーがいかさまトランプのいいカモにされているところへ、ティムが口をはさんだことから大乱闘が始まり、ハリーとティムはすっかり意気投合。鉱山で金を掘り当てたハリーは、ティムの勧めで金を町の銀行に預けるが、実はそれはティムが仲間と仕組んだペテン芝居で、虎の子の財産をまんまと彼らに巻き上げられてしまったことにハリーは遅まきながら気づく。そんなこんなで2人の珍道中はその後も続き…。

ティムを演じるのは(もちろん)ジュリアーノ・ジェンマ。
彼と組む、粗野だが正直者のハリーを演じるのは「ダンディー少佐」や「ブリキの太鼓」でも有名なイタリアの名優マリオ・アドルフ存在感でティムを食う。
この男、西部で生きるにはあまりに純朴だし、落ち着きもまるでない。
騙されたり勘違いしたりして、ことあるごとにティムに突っかかる。
素手であたりのものをめちゃくちゃに壊したり、火を吹いたり、「オーマイダーリン・クレメンタイン」を大声で歌ったり、自ら修復した屋根の上でぴょんぴょん飛んで(案の定)ブチ抜いて地面に落下したり、一挙一同で笑わせにかかる。
東映やくざ映画「極道シリーズ」における若山富三郎 に喩えるのが、いちばんしっくりくる。

スマートで機転の利くジェンマと愚直なアドルフのコンビ。
またはボケのアドルフとツッコミのジェンマのコンビ。
抱腹絶倒の楽しい作品に仕上がっている。

と同時に、最初と最後が見事に呼応する、脚本の巧みさも光る。
ならず者たちの手で全滅した駅馬車の乗員たちを、優しさから土に埋めてやるティムに、通りがかりのハリーが手を貸す冒頭。
仇を全て撃ち果たし、一人去ろうとするティムを、手負いのハリーが追いかける最後。
モリコーネの哀愁漂うメロディーに乗せて、きっちりまとめたのが、ニクい。

原題/...E Per Tetto Un Cielo Di Stelle
制作年/1968
制作国/イタリア
スタッフ
監督 ジュリオ・ペトローニ
製作 ジャンニ・ヘクト・ルカーリ、ファウスト・サラセーニ
脚本 アルベルト・アレアル、フランク・マルティーノ
撮影 カルロ・カルリーニ
音楽 エンニオ・モリコーネ
キャスト
ジュリアーノ・ジェンマ、マリオ・アドルフ、マグダ・コノプカ、アンソニー・ドーソン
WOWOW公式サイトから引用


その3:胸にひかる星は使いよう。「星空の用心棒」。


アレクサンドル・デュマ原作「モンテ・クリスト伯」の舞台を開拓時代のメキシコ国境周辺に移した復讐劇だ。(マカロニ・ウエスタンは古典からの翻案が多い:世界観だけでなく物語もまた「もじり」なのだ。)

モンテクリスト島…もといテキサス山中の徒刑場からテッド・バーネット(ジュリアーノ・ジェンマ)が脱獄するところから物語は始まる。テッドは、父親を殺され、自分も殺人罪の濡れ衣を着せられて服役していたのだが、旧式の大砲を使って脱獄に成功。彼の目的は、もちろん復讐だ。
チャールスタウンの顔役コッブ(コンラード・サンマルティン)と配下のゴメス、町の保安官ダグラス(フランシスコ・ラバル)と彼の愛人ドリー(ニエヴェス・ナバロ)、以上がテッドが狙う仇。元ネタと同じ立ち位置だ。
テッドが「西武なら絶対目立つ」白の衣装で全身固めているのも、本家を意識してのことだろう。

まずテッドはゴメスのもとに趣き、彼の口から「自分が殺したことになっている」殺人の真犯人を聞き出す。
ここでユカイなのは、元・理髪屋のゴメスに髭を剃らせながら尋問するところだろう。テッドは髪バサバサ髭ボウボウから、スッキリサッパリの貴公子に変身。テッドはインチキ歯医者のバハリートと娘のダルシー(演:ガブリエッラ・ジョルジェリ)と知りあい、彼らの馬車に隠れてチャールスタウンに向かう。
(このふたり、原典におけるエデやジョヴァンニら協力者に該当。)

町の保安官ダグラスは、を投げて虫を殺したりして、テラスに座って警戒していますが、テッドは亡父の部下から町の情報を聞き出します。そして、
亡父の仇を取るべく、ここから、痛快なテッドの大活躍が始まる。
コッブ一味がメキシコ山賊と武器密売していることを知って、武器を積んだ列車を横取りしたり。町の保安官に成り上がってたダグラスを倒したり。(ついでに、ダグラスの保安官バッチを頂戴する。)

元ネタが大長編なのを90分で完結させないといけないので、とにかく展開が目まぐるしい。
元ネタの可憐さ・真摯さ、とは程遠い汚い身なりしたインチキ薬売り兄妹の寸劇も面白いが、重要なのは終盤のスピード展開だろう。
殺人罪の濡れ衣を晴らすべく裁判所に乗り込んだテッドは、逆に罪を着せられる。コッブが牛耳る町なので、スピード絞首刑だ。

間一髪(元はテッドの恋人だった)ドリーの証言で刑執行寸前に釈放され、コッブ一味と銃撃戦。ひとり、また一人と倒れ、残ったのは万全無事のコッブと瀕死のテッド。
身動きが取れず、銃も手中にないところ、まずはテッドの足を撃って、次にとどめを刺そうとする。
悪人相のコッブ の首元に、テッドが投げつけた何かが突き刺さる。
それは、ダグラスから戴いた、フチが刃物になっている保安官バッチだ

忍者の手裏剣のような技が決まる、クライマックスのカタルシス。
アルマンド・トロヴァヨーリの哀愁感溢れるテーマ曲と合わせて、忘れない印象を残す。

1967年 イタリア
監督:スタン・ヴァンス
出演:ジュリアーノ・ジェンマ/フランシスコ・ラバル/コンラード・サン・マルティン/ニエヴェス・ナヴァロ

スカパー! 公式サイトから引用


その4:ガンマン十戒(ダブりあり)。「怒りの荒野」。


メキシコとの国境近辺の町クリフトンで売春婦の私生児として生まれたスコット(ジュリアーノ・ジェンマ)は、肥溜め運びなどの使役をさせられ、町でもつま弾きものだった。そんなスコットにも夢があったガンマンとなり町の人々を見返すという夢を・・・そんなある日、タルビー(リー・ヴァン・クリーフ)という凄腕のガンマンがやって来た。そして、スコットはタルビーに弟子入りする。
ここから、物語は始まる。

上述の通り、主人公は、売春婦と客の誰かの間に生まれた私生児であり、成人してからは町でも最も卑下される仕事しかさせてもらえないため、肥溜め運びを生業としている。オープニングで、コレでもかというほどに苛め抜かれている。

そんなスコットにタルビーは、ガンマンのルール10を語っていく。
弟子入りしてから、死んだ魚の様な顔してたスコットが生き生きしてくる。十戒のひとつひとつを(ムダに説得力ある口ぶりの)師匠から聞かされるたびに、彼は一流のガンマンへt成長していく。その十戒を見てみよう。

教訓の一 決して他人にものを頼むな(1st lesson. Never beg another man.)
教訓の二 決して他人を信用するな(2nd lesson. Never trust anyone.)
教訓の三 決して銃と標的の間に立つな(3rd lesson. Never get between a gun and its target.)
教訓の四 パンチは弾と同じだ。最初の一発で勝負が決まる。(4th lesson. A punch is like a bullet. If You don't make the first one count good.)
教訓の五 傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される。(5th lesson. You wound a man, You'd better kill him. Because sooner or later, he's gonna kill You.)
教訓の六 危険な時ほどよく狙え。(6th lesson. Right put it, right time, well aimed.)
教訓の七 縄を解く前には武器を取り上げろ。(7th lesson. Gonna untie a man, take his gun before then.)
教訓の八 相手には必要な弾しか渡すな。(8th lesson. Don't give a man any more bullet, You know he's gun use for.)
教訓の九 挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる。(9th lesson. Every time You have exact challenge, You lose everything in life, anyway.)
教訓の十 皆殺しにするまで止めるな。(Last lesson. Do not quit until you exterminate.)

教訓四と六、 教訓二と七と八 が、同じことを言い換えているだけなのが、お分かりいただけるだろうか?

世慣れた賢者として様々な知識を彼に教える一方で、冷徹な殺し屋の顔も垣間見せるフランクの行動にスコットは疑問を持ち始めるようになる。
そして最後は、東方不敗、もとい師匠・タルビーを敵に回して戦うこととなる。

フランクがスコットに教えるガンマン10か条の最後、「一度銃を持ったらやめられなくなる」という言葉が象徴するように、拳銃の魔力に陥ってしまうガンマンの宿命。そんな落とし穴に気づいたスコットが師匠と対決する緊迫のクライマックス。なかなか骨のある出来栄えだ。

師を倒したスコットは恩人の形見の銃を放り投げ、生まれた街を去っていく。
「一度銃を持ったらやめられなくなる」
スコットは「一度殺し屋になることを選んだからには、死神について回られる」ことになるだろう。そして、恐らくスコットもタルビーのように死に絶えていくのだろう。 それを予感させて、映画は終わる。

I GIORNI DELL’IRA
DAY OF ANGER[米]
製作年 1967年
製作国 イタリア/西ドイツ
監督脚本 トニーノ・ヴァレリ
共同脚本 エルネスト・ガスタルディ、レンツォ・ジェンタ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ、リー・ヴァン・クリーフ、アンドレア・ボシック、ウォルター・リラ、ルーカス・アマン、エンニオ・バルボ、ベニート・ステファネリ、ニーノ・ニニー ほか
マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション 6号 収録


その5:大統領だって消せる。「怒りの用心棒」。


1964年のJFK暗殺の5年後に製作された本作は
1870年代のアメリカ南部。遊説中の大統領が暗殺され、容疑者としてビルとジャックが捕えられる。冤罪を訴える2人だったが、真相を闇に葬り去ろうとする暗殺団によって黒人のジャックは無残にも殺されてしまう。かつて同じ暗殺団に父親を殺された過去を持つビルは、真相を暴くべく復讐を誓う。一方、大統領の政策を引き継ごうとしていた副大統領は過去の違法行為に対して脅迫を受け、その証拠奪還を狙っていた…。

とまあ、サスペンスでグイグイ引っ張る。
途中、スケープゴートにされる黒人青年、人種差別丸出しの保安官たちなど、同時代ならではの鋭い社会批判精神も見せつける。

そして結局、(JFK暗殺の謎が、そうであったように)証拠は消されてしまう。

口より銃が、モノを言う。

というラストの台詞が、この世の無情、全てを言い表す。

IL PREZZO DEL POTERE
THE PRICE OF POWER [米]
製作年 1969年
製作国 イタリア/スペイン
監督 トニーノ・ヴァレリ
脚本 マッシモ・パトリッツィ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ、ウォーレン・ヴァンダース、ヴァン・ジョンソン、フェルナンド・レイ、ベニート・ステファネリ、レイ・サンダース、ホセ・スアレス、マイケル・ハーヴェイ、マリア・クアドラ、マヌエル・サルツォ 他
マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション 31号 収録


その6:駅馬車崩壊。「怒りのガンマン 鉱山の大虐殺」。


邦題が物騒だ。(資料を見ると、別に「ガンファイター」の邦題でソフト化されている。地味だから、えげつなくしたのだろうか。)

サクソンシティに向かうクレイトン(リー・バン・クリーフ)は、旅の途中で凶悪な賞金稼ぎたちに追われる若い男を助け、道連れになる。若い男は、サクソンシティを支配するサクソン一家の長老殺しの嫌疑で指名手配されていたが、真犯人は別にいた…… という話。

サクソンシティに向かうにあたり、クレイトンは駅馬車に乗り込む。これ幸いと?中盤はしばらくジョン・フォード監督「駅馬車」のプロットをいただく。
なので本家同様、乗客には銀行家も賭博師も娼婦も医師もいる。御者は飲んだくれだが。
衝撃的なのは、本家のそれを1/nスケールダウンさせた貧相な駅馬車だろう。本家が一等車なら、こちらは三等車といったところ。
駅馬車同様、画面に現れる他の事物も、どこか貧乏くさい。道中は安宿。酒浸り。駅馬車が走るのは水溜りと白っぽい土に覆われた無味乾燥とした大地。そして本家のアパッチが癒しに見えるくらい汚いツラしたならず者たちが襲いかかってくる。
騎兵隊も、進軍ラッパも、モニュメント・バレーがないだけで、ここまで退廃的な絵作りになるものか。そう思わせる。
とはいえ、観ているうちに、乗客に愛着が湧いてくる。
それも束の間、以上の面々が新天地に向かう途上で、機関銃で虐殺される。

さて、重要なのはサクソン一家の外見がザビ家そっくり だということだ。
長男がギレン。次男がドズル。三男がガルマにそっくり。(キシリアは不在)
内面について、長男が怜悧な策謀家、次男が激情家なのも、そっくり。
三男は坊やではなく、面白半分に人殺しするゲスだけどね!
(お察しの通り)真犯人はクレイトンで、この三人と一度に決闘に持ち込む。

駅馬車あり、虐殺あり、OK牧場の決斗あり、とストーリーは闇鍋気味だが
それをぶっ飛ばすほど(おおよそ不釣り合いなくらい)、ルイス・バカロフの手掛けた音楽が光ってる。

タランティーノの「キル・ビルVol.1」アニメパートで大胆に引用されたこのスコア。モリコーネもぶっ飛ぶ位、ドラマチックで哀愁感溢れて壮大。ストリングスのこみ上げるような悲壮感に満ちた美しいメロディと、スキャットの女王エッダ・デル・オールソの突き抜けるようなソプラノが聴く者の感情を高揚させる。マカロニ・ウェスタンならではのスコアに、震える。

REQUIESCANT
KILL AND PRAY[米]
製作年 1972年
製作国 イタリア/フランス/西ドイツ
監督 ジャンカルロ・サンティ
脚本 エルネスト・ガスタルディ
出演 リー・ヴァン・クリーフ、ピーター・オブライエン、ジェス・ハーン、クラウス・グリュンバーググ、ホルスト・フランク、マルク・マッツァ、アントニオ・カサーレ、(アントニー・バーノン)ドミニク・ダレル ほか

マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション 15号 収録


その7:本家と見分けがつかない。「ジェンマの復讐の用心棒」。

非常にマイナーなのは、マカロニウエスタン ブーム末期の作品なのもあるが
「南北戦争」+「シェーン」+「名無しの男」 と
本家西部劇でお馴染みの要素同士を組み合わせ、
それを見事に、荒削りながらも、「熱い話」に昇華、
悪く言えば「ごくふつーの西部劇」へと堕しているからだろう。

物語は南北戦争、雨中の前線で、徴用された南軍兵士たちが、北部の戦線で連合国の敗北を上官から聴かされるところから、始まる。
幸い戦犯としての処罰は下らなかったが、兵士たちは故郷に帰るほかない。
本家なら負けた者、追われる者もオブラートに包んで描かれるところ、本作は容赦ない。「負けた者は徹底的に悲惨である。」それが執拗に描かれる。
武装解除させられ、軍服だけの着のみ着のまま、故郷に逃げ帰ることを強いられる兵士たち。仕事を得て当分の駄賃を稼ごうとしても、ここは北部だ。住民の目は冷たい、仕事に就かせて貰えない。
したがって食料も買うことができず、確保もままならない。やむなく、沼地の蛙を、カエル跳びしつつ捕まえに回る。泥まみれになって沼の中をぴょこぴょこ跳ね回る(そして僅かな蛙を取り合う)兵士たちの姿は、ただひたすらもの哀しい。

空腹より応えるのが、「南部の正義が失われた」虚脱感だ。
昼は当てもなく泥道を、打ち捨てられた街の中を、彷徨い、
夜はどこからともなく集まって、廃屋の中で焚き火をたいて眠る。
ハーモニカを誰かが吹いている。空っぽになった心の中に、虚ろに響く。
その虚脱感に追い打ちをかけるように、彼らより遥かに高価な毛皮のコートに身を包んだ、北部の人間による落ち武者狩り…一方的な殺戮が夜な夜な行われる。彼らは、いつ、どこの世界にもいる、絶対な正義を失った敗戦国の兵士たちのまつろわぬ姿を体現しているかのようだ。

そのなかにも、誇り高き立派な精神を失わない人間はいる。
その若い魂を持つのが、少年兵士ウイリー(演:ミゲル・ボゼ)だ。
「身につけている間は誇りがあるんだ。」
そう言って、決して南軍の軍服を身体から離そうとしない。
またある時は、北部の富農が、泥の中にパンを投げ込んで呉れてやる。
従っては屈辱と知って、けして口にしない。
この若く苦難に屈しない、しなやかな魂に、ジェンマ演じる名無しのガンマン、後にマイケル・ランダムと椿三十郎さながら名乗る主人公は、何か感じ入るものがあった。ウイリーと連れ合いとなり、彼の故郷まで付いて行こうと決める。
そのウイリーも、最後には、「馬一頭盗んだために」北部の悪人どもの手で、首を吊られてしまう…。

ウイリーが殺された後も、思ったことがあり、マイケルは旅を続ける、そしてウイリーの姉ヘレン(演:パオラ・ボゼ)の家にたどり着き、彼の死を伝える。(彼女の家もまた砲撃に煽られために、大きく傾いている)
「つまらないものですが」 
ヘレンは、パンと目玉焼きを、テーブルクロスをかけたテーブルの上に差し出す。たまらず、マイケルはがっつく。
彼も飢えていたのだ。肉体的にも精神的にも。「人間らしい食べ物」「文明らしい生活」に触れる喜びが、痩せて落ちくぼんだ目の奥に輝いている。

マイケルはそのままヘレンの元に居候し、家の修復、井戸の採掘と、戦後の生活の立て直しを手伝う。
それは、一宿一飯の恩義の範疇を遥かに越えている。ウイリーがヘレンのために、弟が姉のためにしてやれなかったことを代わりとなって償うかのように。
あるいは、すべてヘレンへの愛のため捧げるかのように。

ここのヘレンに近づきすぎず、離れすぎずの間の取り方が、「シェーン」のアラン・ラッド、「遥かなる山の呼び声」の高倉健のようで、ものすごく、孤独で、格好良い。

そして、最後には敵の親玉との打ち捨てられた町の中での決闘に臨む。
すべては、堅気のヘレンを悪の手から守るために。 
親玉を討ち果たした、ヘレンがマイケルの胸に飛びつく、それをしっかり、マイケルは抱きしめてやる。愛の成就によって、映画は、終わる。

プロットは単純だが、
前半、乾いた荒野を彷徨うマイケルの姿、
後半、潤った泉にたどり着き、癒され、そして此処を自分の意思で守ろうとするマイケルの姿、高倉健のように、渡世人さながら真っ直ぐな心を演じた、ジュリアーノ・ジェンマの熱演が、眩しい。正直、同じ脚本でハリウッドで撮られていてもおかしくない。

そう、重要なのは
残酷表現 といったエッセンスがハリウッドに吸収された結果、
ハリウッド製西部劇と、見分けがつかなくなってしまった、ということだ。

LO CHIAMAVANO CALIFORNIA
CALIFORNIA [米]
製作年 1977年
製作国 イタリア/スペイン
監督 ミケーレ・ルーポ
脚本 ロベルト・レオーニ、フランコ・ブッチェリ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ、ライムンド・ハームストロフ、パオラ・ボゼ、
ウィリアム・バーガー、ミゲル・ボゼ、ダナ・ギア、ロマノ・プッポ、ロバート・ハンダー、クリス・アヴラム ほか
マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション 18号 収録


その8:失われた西部劇の風格。「荒野の七人 真昼の決闘」。


ハリウッド製西部劇も、同じことだった。彼らはマカロニに近づいていった。

「Mr.人間の証明」または「Mr.大空港」ジョージ・ケネディを主役に、多勢に無勢、アメリカン・ニューシネマの出来損ないの様な煮え切らない展開に終始した1969年製作「馬上の決闘」より3年。
あのエルマー・バーンスタインのメロディに乗せて、あのリー・ヴァン・クリーフが、あのクリスが、帰ってくる! ちゃんとアメリカ本土で撮影している。
期待に胸膨らませ、劇場に足を運んだ西部劇ファンを待ち受けていたのは、
「よくこれでGOサインが出たな」という やさぐれすぎたプロットだった。
マカロニっぽく悪どく・えげつなく・きわどく 作っときゃいいだろうという
製作者の安っぽい分析が透けて見える点で、つまみ食いする価値はある。

賞金稼ぎから連邦保安官に転進し新婚生活を送っていたクリスの元へ、旧友のジムが助けを求めてきた。メキシコの村マグダレーナが、デ・トーロ率いる山賊に狙われているというのだ。村の男たちは皆殺し、生き残った17人の女たちを助けるために立ち上がったクリス。自ら刑務所へ送り込んだ無法者たちを仲間に加えたクリスのもとへ、ついに数に勝るデ・トーロ一味が襲ってきた……。
キャスト&スタッフ
クリス…リー・ヴァン・クリーフノア…マイケル・カランスキナー…ルーク・アスキューぺぺ…ペドロ・アルメンダリス・Jr.ウォルト…ウィリアム・ラッキングエリオット…エド・ローターヘイズ…ジェームズ・シッキングローリー…ステファニー・パワーズアリラ…マリエット・ハートレイ
監督:ジョージ・マッコーワン製作:ウィリアム・A・カリハム脚本:アーサー・ロウ撮影:フレッド・コーネカンプ編集:ウォルター・トンプソン音楽:エルマー・バーンスタイン
20世紀フォックス 公式サイトから引用

あらすじ通り、クリスは、男は皆殺し、女は皆乱暴された 村にたどり着く。
夢も何もない状態から、物語は始まる。
ユル・ブリンナーが手段を弁えていたところ、リー・ヴァン・クリーフは手段を選ばない。味方の頭数を揃えるため、囚人たちを雇う。いつ裏切るかわかったものじゃないので、山賊一味に彼らの名前を伝えて、裏切れなくさせる。必要とはいえ、やってることは「特攻大作戦」同等の邪道だ。
そして、クリスより目立ってはいけないので、囚人たちは皆モブ顔だ。

本家よろしく村の中で待ち受ける・・・などということはしない。
村から少し離れた、一面だだっぴろい荒野で山賊と七人の戦いが始まる。
そして、クリスの仕掛けたショボい罠に引っかかって、山賊は全滅。

重要なのはラストだ。
クリス&生き残り2名は、女と子供だけの村に残ることにする。
「男手のいない村を守る」がクリスの方便だが、生き残りのうちひとりは
「俺の故郷は一夫多妻制なんだぜ」 などと抜かしている。
げんなりする、腑に落ちない形で、映画は終わる・・・。

リー・ヴァン・クリーフのカッコよさだけでもっている映画、の一言。
(せっかく凱旋したにも関わらず、ご覧の有り様に彼も思うところがあったろう:以後「ニューヨーク1997」までハリウッド大作への出演を避け、イタリアで活躍する。)


以上、駆け足で紹介した。 説明不足な箇所が多いのは許してほしい。
マカロニウエスタン の二大巨塔:セルジオ・コルブッチ作品、セルジオ・レオーネ作品は別格なので、ここでは紹介しなかった。また別の機会に紹介したい。

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