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山田洋次が描いたディアスポラ、過酷な旅路「家族」。

ある大家族が、南の島・長崎県伊王島から北の大地・北海道へと、移住を決める。
これが70年代ニッポンの話か⁉︎と驚かされる、過酷でシビアなドラマだ。
(「男はつらいよ」ほか松竹の顔・笠智衆だけが癒し。)

そのシビアさを伝えるには、旅の経緯から途上までを記した方が、よっぽど早いだろう。

1.思いを胸に、いま、旅立ちのとき。

炭鉱ではたらく夢みがちな父ちゃん(演:井川比佐志)が、そもそもの言い出しっぺだった。
毎日毎日黒炭に塗れてあくせくする肉体労働、単調といえば単調、今の仕事は向いていない気がする、といって長崎に勤めにいくのは自分らしくない、
大黒柱でありながら、「俺はまだ本気出してない」と目覚めぬ自分の可能性を夢見る男。
だから、理想郷は北海道、中標津での酪農に夢を見る。「自由」があると。

母ちゃん(演:倍賞千恵子)は当初反対だった。
それでも父ちゃんが行くと言って聞かないので、ハラスメント上等、下衆い地元の金満(演:花澤徳栄)に頭を何度も下げて、我慢して我慢して、旅費を工面する。

2.「1970年4月6日、長崎を離れる」

出発の日がやってきた。
旅立つ一家は、父ちゃん、母ちゃん、じいちゃん、幼い坊ちゃん、生まれたばかり女の子の赤ん坊、の5人。
港までの道すがら、母ちゃんはご近所さんに、父ちゃんは同僚に、手を振ってそれぞれ別れを告げていく。「いつか会える」と名残惜しく。
じいちゃん(演:笠智衆)は、先祖代々守ってきた墓に、永遠の別れを告げる。次に故郷へ戻ってきたとき、じいちゃんはこの世にいないだろう。

長崎へ向かう船に乗りこむ。
一家の家は、教会の見える小高い丘の上にあった。
「名も無き人の演じる」牧師さんが、遠くから、旅立つ船に手を振る。
佐藤勝の勇壮なる音楽と相まって、やはり旅立ちは非常に心が躍る瞬間だ。

3.大阪から東京へ。

旅の途上、彼らは故郷では目にしたことなかった様々な風物に遭遇する。
西日本の一大都市・大阪に着いて目にしたのは
「ディスカバリー・ジャパン」の看板、
複雑極まる地下道、
おいしいものいっぱいの食堂、
そして時折しもEXPO70。
エキスポ会場まで行ってみるが、あまりの人の多さに頓挫、太陽の塔だけ拝んで去る。
そして、東京行きの新幹線に乗り込む。

一番楽しみにしていた富士山は、長旅&万博疲れで寝入って、
じいちゃん以外、目撃することはできずに、終わる。

夜遅くに東京へ着いた。どうにも赤ん坊の様子がおかしい。
体調を崩したようだ。
なにせ真夜だ。どの小児科を探しても、固く扉を閉ざして開かない。
やっと開いてた小児科に駆け込むも、間に合わず、赤ん坊は死んでしまう。

赤ん坊を弔う準備のために、父は東奔西走する。
佐藤勝の音楽が「砂の器」の巡礼の親子よろしく、流離いの悲劇性を否応無しに盛り上げる。

その間、じいちゃんは坊ちゃんを連れて暇つぶしの公園へ。
坊ちゃんは物欲しげに、売店の肉まんを見つめる。
好意から店員がサービスしてくれる。
それを見咎めて、厳しい目つきで
「ちゃんとお金は払うこと。」
人としてあるべきことを、じいちゃんは躾ける。
いつもニコニコしているじいちゃんが、唯一厳つい、怖い顔をする瞬間だ。

母は哀しみに憔悴して眠る。かなしく綺麗な横顔で。

4.北上して、北海道に着いて、そして…。

東北本線の特急に乗り込む母ちゃんは、赤ん坊の代わりに骨壷を抱いている。
物見遊ついでの浮ついた気分は吹き飛び、
ギスギスした空気と、気まずい沈黙とが、一家を支配する。

「子供が死んだのは誰のせい?」
万博に行きたいがために、大阪発の予定を夕方へずらしこんだ父ちゃん?
子守の役目を忘れて寝落ち、一瞬(でも)赤ん坊から目を離した母ちゃん?
それともじいちゃん?
はたまた坊ちゃん?
青森駅から青函連絡船に乗り換えた後も、父ちゃんと母ちゃんは、互いに互いを責める不毛な言い争い。
じいちゃんにできることは、坊ちゃんをふたりから遠ざけることのみ。
誰のせいでもないからこそ、
どこにも気持ちの持って行きようがないのを知っている。
だから、ふたりの気持ちが、晴れるまで、待つしかないのだ。
さいわいにも、海は、静かだ。

5.「4月10日 北海道に渡る」

室蘭本線から根室本線、そして中標津線へ。やっと辿り着いた目的地:中標津。
地元の衆は歓迎の宴。疲れ果ててはいるが、それよりも喜びで胸いっぱい。
旅の果てに憧れの土地にたどり着いた喜びか、じいちゃんは滔々と吟じる。
宴もたけなわ、夜は更ける…。

ようやく皆が寝静まった深夜、じいちゃんは静かに息を引き取った。
なんの苦しみも感じなかったような、人生に満ち足りた、綺麗な死に顔で。

遥かなる大地に、十字架が立てられる。土の中に、南から北への渡り鳥の亡骸が、静かに埋められる。

旅の最中で、五人家族は三人家族に減った。
(それは奇しくも高度経済成長最中の「核家族化」を象徴するかのようだ。)
いつも泣いて笑って騒がしかった赤ん坊といつもニコニコ静かだったじいちゃんが家からいなくなるのは、やはり寂しく、虚しい。

6.「6月 釧路湿原」

それでも、草は緑、父ちゃん・母ちゃん・坊ちゃん3人で頑張る開拓の姿、希望を感じさせるエンディングで締められる。
父ちゃんの夢は叶った。
母ちゃんの苦労は報われた。
坊ちゃんはのびのびとした世界で少年期を満喫する。

その後、彼らが、飽食の時代、行き当たりばったりの日本の農政に踊らされ目のあたりにさせられたであろう開拓者としての苦難は、ワキに置いといて。


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