“老いぼれはゆっくり休んどれ。次は俺の天下だから。”_“The Death of Stalin”(2017)
本作中のスターリンを、某プーさんにダブらせて鑑賞するかどうか。あなたの良心次第、ご自由に。
それはともかく、二重アゴ、鼻眼鏡、肥満体、海のように深いホウレイ線。鬼畜大元帥もといベリヤが大暴れ。他はしみったれ。
名のある政治家がいっぱいいっぱいでてくるので、これは小説吉田学校ならぬ実録スターリン・ソン・ズ・スクール。あるいは昭和自民党内派閥闘争よろしくソ連版金環食なのだな。
と思ったら、大多数の政治家たちは蚊帳の外。
完全にサイモン・ラッセル・ビール演じるベリヤ、ソ連の秘密警察、KGBの前身であるNKVDの議長、つまりスターリンの名の下に嬉々として大粛清の陣頭を張った陽気なおじさん、の独り舞台である。
演じるビールは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで多くの舞台に立ち、シェイクスピアのせりふを自分のものとして語れるイギリス随一の役者。
(でもハリウッド出演作は少ない=日本ではマイナー。)
遺憾無く本作で演技力を発揮し、主役を食いにかかる。
ベリヤ本人の経歴はwikipedia等を見て頂くとして、重要なのは、ベリヤのキャラクターが「仁義なき戦いの大友勝利と山守組長を足して2で割らない」暴れん坊将軍である、ということだろう。
その風貌は、ゲイリー・オールドマン演じるウィンストン・チャーチルみたいな狂気と迫力と心胆の「怪物」と喩えられるだろうか。
従順に見えて狡猾。権威欲はあるが思想がない。
拷問が大好き。それも眺めるよりは、自ら手を下す方が好き。
悪人でありながら 、悪の何たるか 、騙しの何たるか、人の業の何たるかを、巧みにその丸々とした身体で、いとも鮮やかに示してみせる。
スターリン治世下は、彼の差し出す紙切れ一枚で粛清の旗を振るイヌ…の顔をしたハイエナ。おくびには出さないものの、そのころころ太った顔とだぶだぶ太らせた腹の下に野心を隠している。
だから邪魔者スターリンが死んだと真っ先に聞いた途端、その顔はぱっと輝く。彼はソ連の黒幕なるべく、得意の口八丁手八丁を武器に、暗躍を始める。
不都合な書類をスターリンの金庫から破棄し、その上でスターリン第一の使徒たる姿を見せかけるべく嗚咽感涙の演技を見せ、遺族を抱き込み、 スターリンの思想に誰よりも忠実であろうと言うポーズをとる。
スターリンの死後ソ連のトップとなるべく、常に先手を打ち続ける。
ここら辺の手際の良さは、流石は秘密警察長官という一大権力者になるべくしてなった、と言うべきか。
ベリヤがトップになる目的は、ずばり「やりたい放題する」ため。
他の閣僚も、人民も、政治も、他国も、神も、何も信じてはいない。共産主義すら信じちゃいない。自分しか信じていないのだ。
拷問大好き+自己中心+恥知らずの人でなし以外の何者でもないが、そこまで嫌悪感が湧かないのは、(もちろん遠い時代のことのせいもあるが)陽性の上昇志向と愛嬌とを兼ね備えているためだろう。
とにかくエネルギッシュ、だから、憎いが、頼もしさすらある。山守組長や大友勝利同様に。
そんなベリヤ様の台詞から。
take from here …ここから飛び立つ
このベリヤがトップに(お飾りとして)担ぎ上げるのがマレンコフ(演:ジェフリー・タンバー)。涙もろいお人好し。明らかにベリヤに利用されているが、それも知らずにいちずにベリヤのことを信じている。
何もわかっちゃいない木偶の坊。哀れさどころか、可愛いさすら感じられる。
総じて、本作は「破天荒将軍:ベリヤとついてくるマレンコフ。」といった方が良い内容だ。
陽気なベリヤ=マスコットのマレンコフ:この強力なコンビに、他の陰湿で陰気な政治屋たちは終始振り回されっぱなし。
他の政治家たちは陰湿で根暗でガチガチの共産主義者、どんぐりの背比べ。
ルール無用のベリヤに、官僚主義的で頭の固い連中が振り回される中、唯一歯向かうのがフルシチョフ(演:スティーヴ・ブシェミ)だ。 後にケネディと外交の場で渡り合ったユーモアはこの時から健在。しかしその実は、ひじょうに神経質で、冷徹だ。
追い詰められた彼が選んだ最終手段は「軍の力を借りる」。
つまりベリヤの後ろ盾であるNKVDを完全に押さえつけ、無力化する。こうなればベリヤはただのブタ。名目上のトップたるマレンコフを脅し、罪をでっち上げ、死刑を宣告。絞首台まで持っていく慈悲も与えない、ちょっと外へ引きずり出して銃殺へと一直線。
人間は、他人を断罪することには熱情的だが、自分がいざ断罪されるとなると不感症:ベリヤも例外ではない。
まさかの事態に、狼狽し乱心した挙句、ベリヤは、最期まで異議申し立てる。吠え続ける。 非常にネチネチと死にきれずにのたうち廻り、しかし、一発の銃弾で終わる。(この狂乱の演技、さすがは英国随一の役者オンステージというべきか。)
最終的にベリヤを打倒したフルシチョフが、スターリンの次の椅子に座る。
(だが、いずれブレジネフに背後を取られることが、暗示される。
まとめると、他が、右に倣えなエイリアンのような奴らばかりなので、自分の頭で考えている+無責任男よろしくホイホイ行動に移す+そのくせ足下がお留守な陽気なベリヤに、知らず知らずのうちに感情移入してしまう。
スターリン亡き後、組織のイデオロギーをはみ出してしまった者の末路。
そこには、実録やくざもにおいて、チンピラたちが親分たちの手で犬死するような、哀れさすら感じる。
腹が真っ黒な面では同じ、真相は「どっちもどっち」なのだが。
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