ここはチベット、祖父・父・娘のものがたり。「草原の河」
いまは亡き岩波ホールらしい、実にしっとりした上品な出来栄えの映画だった… ロードムービーのようであり、「洲崎パラダイス」のように彷徨う人々の物語のようであり、不思議な感覚を与える映画でもあった。
舞台はチベット高原。遊牧だけで生きていたのは昔の話。現代チベットには既に定住者の村があり、文明の利器もふんだんに進出している。
とある村で、なぜか村八分にあっている父・母・娘で構成される一家は、夏の放牧期を迎えて、町から逃げるように抜け出し、なけなしの荷物を抱え吹きっさらしの三輪タクシーで草原を駆け、ゲルを建てる。
見渡す限りの草原、ポツンと立った粗末な一軒家での厳しい生活が、始まる。牧畜だけでは生きていけないので、収穫用の種蒔きや、バター作り、などなど、草原での生活に日々追われる。せわしい日々の中に、少女の目を通じた「かぞく」が、淡々と、しかしドラマチックに描かれる。
少女にとっては、父はどこかだらしなく、そしてぶっきらぼうで、付き合いづらい、男性だ。どこかやるせなく、「父親失格」の匂いを漂わせている。 おそらく大都市で生活していたなら、安価に手に入る酒に溺れていたであろう…そんな情けなさ、女々しさを気だるく漂わせている。 タバコから離れられず、燻らす手つき。 なまじっか母がしっかり者なせいで、父はどやされ、叱られ、その関係はギスギスしてばかりだ。
父と母の不和以上に、父と母が忙しさに追われて「わたし」のことを見てくれないことに、苦しむ少女。村では、子供たちから、親不孝な悪い父親の娘だと、言いがかりをつけられいじめられるし、草原は草原で遊び相手もいないので、一人で草原をぶらつくしかない。
甘えたい年頃であるのは、当然だ。父と母の気を引こうと、あれこれねだったり、隠し事をしたり、 宝珠をこっそり埋めるなど悪いことをしてみる。 挙句、母乳をねだったりもしてみる。母は、竈の炭を乳首につけて、「母乳をねだるからおっぱいが病気になってしまった」と怖がらせて、ねだらせるのをやめさせる。「甘えるのをやめなさい」と直に言われている様で、悲しい一幕。
娘はだから、我慢するしかない。
厳しい自然の草原に生きる人間の気質を引いた「ひたすら耐える少女」横顔は美しいし、それでも耐えきれず、ふと漏らす、泣き顔もまた、美しい。
心を寄せる先のない少女にも、心を寄せられるものが二人いた。
ひとつは、母羊を狼に食われた子羊。ピンク色のリボンを角に止めてやったり、お乳を母羊の角で作った器に入れて飲ませてやったり、ゆっくりとやさしくさすったり、これは私が大切に育てる、と母親の気持ちになって…いや、自分だけは優しい母親であろうと、少女は懸命に頑張る。
少女の甲斐甲斐しい世話も空しく、ある夜、子羊は狼にあっさり食われてしまう。父親がこっそり谷間に隠した死骸を、少女は見つけてしまい…このシーンが、本作のハイライトだ。
もう一人は父方の祖父だ。「自分をただ受け入れてくれる、側にいてくれる」祖父に、少女は心を寄せる。
しかし、なかなかこの祖父とも会う機会がない。それは、父が祖父を嫌っているから。四年前、死に目の祖母の最後の願い_一目でもいいから見舞いに来てくれ、を遂に聞き届けなかった祖父を未だに許すことができていないから。
そんな祖父にも病魔が迫っている。母に追い立てられるように、父は祖父の見舞いに行かされるが、何かと理由をつけて、いや理由を付けずとも躊躇して、病院まで足を運ぶのをやめようとする。
「次こそ行くから」と、バターと麦こがしを土の中に埋めて、案の定その次回に掘り返して台無しにしてしまう一幕が、どこか悲惨で笑えたりする。
それでも、少女が、自身の大切なものを喪ったことを目の当たりにして、父は最後、ついに祖父の見舞いに向かうことを決意する。バイクの後部に娘を乗せて、雨と雪でぬかるんだ草原を、タイヤをとられながら、低速で必死に踏ん張って…。
まとめると、
と日本人が安易に夢想するのとは真逆のチベットのリアリティ。空と地の間に横たわる人間の苦しみ、遠くに聞こえる雷の音は不安の象徴、心晴れることのない風景が全編を支配する。
それでも、生きとし生けるものに救いはある:雨混じりの雪…は最後の最後子供が見つけ出した秘宝のようにして使われる。
98分の中編だが、観終わった後、心が洗われ救われる思いがする、見ごたえのある劇場映画作品だ。
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