“正義とは赤いリボンや金モールには目をやらないもの。殺された女の叫びのみ耳にするもの。“_“THE NIGHT OF THE GENERALS”(1967)
オープニングだけは”ヌーヴェル・ヴァーグの父”アンリ・ドカエのカメラが冴え渡っていて、あとはなんというかひたすら重苦しいだけのジメジメした(142分も必要だったか?)映画「将軍たちの夜」より。
ドイツ国防軍として実際に前線に出た東プロイセン出身のハンス・ヘルムート・キルスト原作。また、ハリウッド作品ながら、出演者は全てイギリス及びヨーロッパの俳優であり、そのことが本作に一種独特の雰囲気を与えているのは、間違いない。
舞台は1942年、
と後世に評される、ナチス・ドイツに根こそぎ奪われる、餓えたワルシャワ。
ある娼婦の惨殺死体が発見された。ドイツ軍情報部のグラウ少佐(オマー・シャリフ)は、目撃者の情報からタンツ将軍(ピーター・オトゥール)ら3人の将軍のうちの1人が犯人であることを確信する。
モラン警部(フィリップ・ノワレ)との対話から引用。
admirable 称賛に値する、あっぱれな、立派な、見事な、けっこうな
monstrous (伝説上の)怪物のような;《生物》奇形の · 1a 奇怪な;恐ろしい,醜怪な;ぞっとするような,残忍な · 2 巨大な;途方もない
let us say 仮にそうだとして
entrepreneur 起業家{きぎょうか}◇営利のため、新しいビジネスを始める人
グラウ 3人のうち一人が…殺人者だ。
モラン 一人だけ、が? 殺人は軍人の独占物ではないのか?
グラウ 仮にそうだとしても、壮大で崇高なものと矮小で穢らわしいものは、イコールなのだ。大量殺人者に勲章を与えるならばだ、どうしてこの小さな勇気ある者をも…公平に扱わないのだ?
この台詞にピンとこない人は、チャップリンの「殺人狂時代」の名言を知ってほしい。「一人を殺せば犯罪者だが、100万人殺すと英雄になれる」。
そして戦時下においても、「100万人殺すと英雄だが、1人を殺せば犯罪者」なのである。征服者が被征服者を「上からの命令」ではなく「自らの意志で、勝手に」殺した、と思われるのであれば、なおさら。
占領地の住民の反撥が予想される手前、モランは孤軍奮闘で捜査を進める。「もし殺人者が本当に将軍の一人だったら、どうするのだ?」と問われて、彼はこう返す。
gold braid 【名詞】ブレード、組み紐、金モール
あくまで正義を追求する執念が、タンツ将軍の怜悧な内面へと近づいていく。
「アラビアのロレンス」ことピーター・オトゥールは、カクカクした物質的な雰囲気と、虚空を見つめているような透き通るようなブルーの眼差しを浮かべている。そんな彼が、ゲットーを火炎放射器で焼き討ちするシーンや、戦車で住居を破壊する、おそろしい景色。
美しく撮られているからこそ、さらに恐ろしい。
彼は自身のなかに潜む獣を、こう自嘲する。ぞっとする(revolting)、必然的な(inevitable)生理であると。
結論から言えば、モランは、「大量殺人を行う」クルツの内面性を、「人殺し」の動機と結びつけることに、成功する。
即ち、クルツは、大義名分ある破壊行為に異常なほどに喜びを感じている、ということ。「ユダヤ人だから殺していい」「商売女だから殺していい」という風に。
だが果たして、モランはクルツを立件できるのか。…それは映画を見て確かめてほしい。
この記事が参加している募集
この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!