"笑うということ、それは最も惨く最も絶妙な、望んでの死"_"He Who Gets Slapped"(1925)
ロン・チェイニー(Lon Chaney Sr.、本名: Leonidas Frank "Lon" Chaney、1883年4月1日 - 1930年8月26日)。アメリカのサイレント映画時代に活躍した俳優。「怪奇王」とも称され、多くのホラー映画や異形のキャラクターや悲劇的な役柄を演じ、大衆に愛された男優。あるいは、秀逸なメーキャップと卓越した演技で観客を魅了する「千の顔を持つ男」と絶賛されていた男優。
代表作は1923年の映画「ノートルダムのせむし男」("The Hunchback of Notre Dame")や、1925年の映画「オペラ座の怪人」("The Phantom of the Opera")にだろうか。
サイレントの時代、量産の中で、ひときわ輝く一番星が、この「He Who Gets Slapped」(殴られる彼奴)だろう。監督は「野いちご」の老教授こと、 スウェーデン映画界の祖、当時ハリウッドに略奪されていたヴィクトル・シェストレム。
ロン・チェイニー演じるは中年の科学者ポール。長年の研究が実り遂に新発明に成功したが、その成果と妻をパトロンに奪われる。
哀しいかな、この科学者は最初、自分が騙されていることに気づかない。おまけに妻を信じきっていて、妻がすすんで裏切ったと気づきかけてもなお、なお彼女を愛している。
サイレントの世界の中で、被虐的でしかし美しく儚い世界が進行する。
そして、すべてを知ったとき、すべてを喪ったとき、彼は、自分自身を嗤うのだ。
裏切られた男は、自身の不幸を笑いに変えるためサーカス団の道化になりはてる。誰にどう殴られても、笑い続ける、自らを貶めつづける「かつてポールだった男」。
この道化師の前に、裏切ったパトロンと元妻が一介の客として現れたとき、彼は、彼なりの仕方で復讐を行う。もちろん、「コロシ」などというチャチな真似はしない。
スティーヴン・キングばりの恐怖が漂う、いちめん漂白塗りのピエロたちが、円になって道化師を囲い込む図。ぐるりと囲むピエロたちに、ひたすら道化師は殴られる。身なりの小奇麗なしかし笑う客たち、殴るカット、大笑いする他のピエロたち、ひたすら執拗に鋭くカットが反復される、殴られる構図。
かつての夫が知性を捨てて見世物にされている構図に、さすがに気が咎めた元妻:マリーは、幕間でポールに優しく語り掛ける。ポールはマリーの言葉に耳を傾けやしない。ただからからと笑い続けるのみ。
やがてあきらめた、いや、やり場のない怒りに襲われた純粋無垢の白いドレスのマリーは、思わず彼を平手打ちにする。打たれて、「クズ!」とののしられても、ポールはただ狂ったように笑い続ける。
白色人種と家畜さながらの人間。 さながら、「家畜人ヤプー」の構図。
彼の復讐とはずばり、「ポールが狂った」という事実、「ポールがマリーとパトロンたる男爵を嗤っている」という図を見せつけることで、一人の男を破滅させたという罪悪感を呼び起こすこと:マリーと男爵の心の距離を抉ることにあった。
そして、真の狙いは、マリーの心が自分から離れていることに気づいた男爵が、「あいつがいなくなれば」いてもたってもいられず、その原因元であるポールを殺そうとサーカスのステージに上がる ことにあった。
「手の上で転がされる」という言葉があるが、果たして、舞台の上では全てがフィクションやハプニングとして進行する。権力も金も持たない、俗世では到底男爵に太刀打ちできないポールにとって、舞台の上こそが、唯一復讐を行える場。
芝居が再開する。裏切ったパトロンがここでステージに乱入。もみくちゃにされつつもポールは、同じくサーカスの見世物であるライオンを誘導して、恋敵を噛ませる。ポールもまた、ライオンの牙によって致命傷を負う。
しかし、ここはスポットライトに照らされた舞台。すべては芝居として進行する。つまり、ポールは、最後まで、喜劇を、演じ切らなくてはならない。
ポールは、ステージによろよろと立つ、殴られる、倒れる、起き上がる、殴られる、倒れる、起き上がる、殴られる、倒れる、起き上がる。
"こいつ、死なないのかも"と誰もが冗談と思う、殴られてもされど立ち上がるポールは、しかし…力尽きたように、腹から血を流して倒れる。
茶番が本番に裏返る劇的な瞬間が現れる。それは狂っていてもなお神々しい、恐ろしい、景色なのだ。
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