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映画「そして友よ、静かに死ね」_裏切られた友情、返答は一発の銃弾。

「友情」とは何だろうか? 
橘玲「人生は攻略できる」で記している。友情でつながるのは、お互いに友だちと呼び合う関係でも20人を超えることはなく、イツメン(いつものメンバー)がせいぜい5~7人と希少、まして親友といえば1・2人しかない、値段がつけられないプライスレスな存在であると。

何者にも変え難い存在である「しんゆう」。
では・・・彼に裏切られた時、じぶんは何ができる? 
その答えが、本作にある。

“リヨンの男たち”と呼ばれ、一時代を築いていたギャングのモモンとセルジュ。組織を勇退したモモンは家族と穏やかに暮らしていたが、セルジュは13年の逃亡の末に逮捕される。幼い頃から固い友情で結ばれた朋友を見捨てることができないモモンは、セルジュを脱獄させ、自分にも身の危険が迫る。そんな中、衝撃の過去が明らかになり……。

スタッフ
監督:オリヴィエ・マルシャル
脚本:オリヴィエ・マルシャル/エドガー・マリー
原作:エドモン・ヴィダル
撮影:ドゥニ・ルーダン
音楽:エルワン・クルモルヴァン
●字幕翻訳:佐藤真紀
キャスト(声の出演)
エドモン・ヴィダル(モモン)…ジェラール・ランヴァン
セルジュ・ステル…チェッキー・カリョ
クリスト…ダニエル・デュヴァル
モモンの青年時代…ディミトリ・ストロージュ
セルジュの青年時代…オリヴィエ・シャントロー

パラマウント公式サイトから引用

昨日までは、友達だった。


モモンとセルジュ。
ふたりにとって70年代は青春。秩序の代わりに無法・無頼が幅を利かせ、ギャングとして成り上がることが男の憧れだった、だから悪徳の限りを思うがままになんの呵責もなく尽くすことができた、すばらしい時代だった。
半ば悪ノリで始めた強盗は、回を重ねるごとに次第に規模を増し、それに伴い強盗団も数を増し強大化、やがて極左集団よろしく谷間にキャンプを構えるまでに至る。

社会から見たらはた迷惑でも、彼らにとっては居心地良い生活。
働けど尚我が暮らし楽にならざり泪を振り絞る堅気の生活よりマシ、なにせ、せしめた大金で真昼間から酒と女を楽しむのだ。これで楽しく無いはずがない。
子供のように男2人はつるんで、はしゃぎまわる。

その愉悦の快楽も、ヘリコプターの爆音とともに降り立つ特殊部隊の襲撃によって、幕を閉じる。ふたりは引き離される。


時が経った。あらゆるものを、みんな呑み込んで流れていった。
革ジャンも、ヒッピー文化も、既成秩序の転覆も、みんな過去の遺物となった。
その中でも、どんなに時が流れても、モモンにとって、セルジュとの友情は変わらないはず、だった。だから潜伏していたセルジュが再びモモンの前に姿を現した時、彼は国外逃亡の手助けをすることで友情に報いようとしたのだ。
その過程で、苛酷な事実に触れてしまうことを未だ知らず。


今日もまた、友達か?

最後の最後になってモモンは知らされる、いや、信じざるを得ない状態に追い込まれる。
「セルジュが自分を売った」ことに。 あってはならない、裏切りに。

セルジュをどうするべきか。 殺すか? 見逃すか?
モモンは悩む、悩みに悩んだ末、1つの結論を出す。

郊外の倉庫に潜伏していたセルジュ。
モモンは、彼の前に逃走用のパスポートを渡しに現れる。弾丸が1つだけ入った拳銃とともに。そして告げる
「仲間に恥じない落とし前を付けろ」
モモンはそのまま振り向いて、セルジュに無防備な背中を向ける。

35年前のセルジュは自分を裏切った。しかし、いまのセルジュはどうだろうか?
35年前の彼が司法取引への協力を判断したのは、若気の至りだったのかもしれない。裏切りによって友情を感じられなくなったとしても、裏切りによって友情自体が無くなるわけでは無いはずだ。
少なくとも、友のためにしてやれることはあると思っていられるいま、ここに友情はあるはずだ。
セルジュはどうだろうか?
もし彼の中での友情がゼロであるならば、セルジュは俺の背中を撃ち抜くだろう。ぎゃくに、友情があるならば…。

モモンは、友情が、シャツのほつれのように、ひとすじの絹糸のように、まだぎりぎりのところで残っていることに、賭ける。
モモンと入れ違いに、待ち受けていた警察が突入を始める。彼らはセルジュを刑務所に閉じ込めるはずだ。死ぬまで外の光を拝めない場所へ。

その時、中から銃声が響く。 それをモモンは背中で聞く。
渋くて苦い、終わり方だ。


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