東映ヤクザ映画の残り火。そしてはじまり。「日本で一番悪いやつら」
実在の事件をもとに描いた「凶悪」で一躍人気を得た白石和彌監督が、2002年の北海道警察で起こり「日本警察史上最大の不祥事」とされた「稲葉事件」を題材に描いた2016年の映画「日本で一番悪いやつら」より。
鑑賞したのは今は亡き渋谷東映。
見終わった後に残るのは、非常に「もやもやした」感覚。
観る者を心ゆくまで楽しませた上で、社会に潜む問題の提起は忘れない。
かっちりした骨組みを持つ「社会派エンタメ」作品だ。
綾野剛演じる諸星は、ゆすり・騙り・暴力と手段を選ばず捜査を進める野犬の様に見える男だが、その根っこにあるのは体育会系譲りの生真面目さである。
だから上司の指示には歯向かわず従順である。
言ってみれば「県警対組織暴力」の菅原文太が遅く生まれてきた印象。
そんな「仕事熱心」な刑事が、半分は祖業の悪さによる自業自得で、半分は組織の上層部の怠慢と理不尽のために、追い詰められ転落していく。
これ、「県警対組織暴力」のプロットに通じるところがある。
そういえば「死にきれずにのたうち廻るような格好悪さ」といい、「金と外交本位のドライな権力図に圧殺される人間性」といい、要素だけ切り取れば、「県警対組織暴力」だけじゃない、「仁義なき戦い」はじめとする東映実録路線を忠実になぞっているといえる。
本作で綾野剛は四つの時代に生きる諸星を演じ分けている。(一部実年齢的もあってムリをきたしているものもあるが…。)それぞれ見ていこう。
70年代末:「青春編」というべきか。
まだ道警の刑事になったばかり。フレッシュマンな諸星は、社会の毒を知らない朴訥さと寡黙さを残している。
生真面目に、常に黙々と仕事に励む姿勢は、のちと変わらず。
そんな彼が、タバコ・暴力・薄汚さが似あう新しい職場、酒に女といった新しい大人の世界に洗礼を受け、戸惑いながらも徐々にその空気に浸り、馴染んでいていく姿を丁寧に描いている。
冒頭に繰り広げられる細い裏小路のカーチェイスといい、ネオン輝くススキノといい、「まだ日本が貧しかった」70年代末の空気感が、美術にロケーション、小道具に至るまで徹底的に再現されているのが、心地良い。
目につく難点は、綾野が新人を演じるには老けすぎていることくらいか。
80年代前半〜後半:「風雲編」というべきか。
諸星の痛快な活躍が始まる。
彼は銃器対策課で 、覚醒剤や銃器の摘発に辣腕を振るうようになる。暴力団に対してアメとムチを使い分けて、手柄を着々と挙げていく。
この彼の出世街道を支えたのが、お抱えの 「 S 」 (スパイの意 )と呼ばれる 「捜査協力者 」 (=暴力団構成員あるいは犯罪者の周辺にいる警察への情報提供者)。
先輩刑事の村井(ピエール瀧)のアドバイスに忠実に従い、彼が公私両面でひと一倍、Sの開拓 、管理 、運用を大切にしたことが、これまた丁寧に描かれる。
特に親身となったのが、麻薬の運び屋である山辺太郎(YOUNG DAIS)と、密入国者で盗難車バイヤーのアクラム・ラシード(植野行雄)。
諸星は彼らのために何でもしてやる。
「アニキ」「アニキ」と自分を慕ってくる山辺に金を貸したり、ラシードの親戚のレストラン開店にお金を出したり。
彼らを維持するためなら身銭を切り、時に非合法なシノギに手を染めるのも、諸星は厭わない。
もちろんカネや仕事抜きの付き合いもある。諸星・山辺・ラシード一族が一緒になってBBQをするシーン、彼らがまるで子供時代に帰ったかの様にきゃっきゃっとはしゃぎ回るの眩しすぎる姿は、前半部のハイライトと言えるだろう。
本パートの諸星は「暴」の面でもキレている。
特にグラサンをかけて組事務所にかちこむ姿など、「広島死闘編」の大友勝利にしか見えない。
そんなこんなで前半部にかけて、諸星は着実にキャリアアップしていく。きわめて陽性で上昇志向なエネルギーに満ちているので、やってることは悪すぎるが、見ていて実に心地よい。
しかし、時代は、つまり映画の後半部は、この余韻に浸ることを許さない。諸星の転落が始まる。
90年代前半〜後半:「狂瀾編」というべきか
そのきっかけは九二年 、突如として警察庁から全国の警察本部に下された 、拳銃摘発の大号令。
諸星はじめとする刑事たちは、血なまこ挙げて、暴力団から「クビなし拳銃」(注1)を奪取して回る。
彼らが出所不明の拳銃をゴロゴロと密かに所持することによるものか、手に入れるためには暴力的な手段も辞さない姿勢によるものか、前パートまで残っていたユルい空気感は消し飛び、危うさと緊張感とが、画面いっぱいに漂うこととなる。
月毎に決められたノルマ達成まで数が少し足りない、やむなく諸星が「貯金」を引き落とすシーンすらある。
マンションの自室にストックした拳銃が、引き出しから、時計の裏から、予想だにしない所から、次から次へと現れる。
指紋をつけない様ポリ袋に包んだチャカを、ほいほいとバッグの中に突っ込んでいく。
怒涛の展開に思考回路が麻痺し、一見何でもないシーンに見えるが、よくよく考えてみると実に「ヤバイ」一幕だ。
もちろん、国内の暴力団から引っ張り出せる拳銃の数など高が知れている。とすれば、あとは、海外から仕入れる他ない。
そこで立案された大量摘発作戦の陣頭指揮を、面目躍如とばかりに諸星は率いることとなる。
税関と協力し 、不良外国人グル ープを使って 、大量の覚醒剤を密輸させる。
そして 、数回見逃したあと 、外国人マフィアに拳銃を密輸させ 、そこを摘発させる。そんな計画だった。
果たして密輸が行われる。
さあ摘発だというところ、よりにもよって諸星が信頼していたSの一人の手で丸ごと持ち逃げされてしまう。
果たして、大量の拳銃が国内に流入することとなってしまう…。
本パートで綾野は、意気軒昂に任務に挑む姿から、そこからひたすら転落していく姿まで、体の穴という穴から悲劇的な匂いを上げて、力一杯演じている。
「おとり捜査」がバレて暴力団員に拷問を受けるシーン、
覚せい剤に手を出し、依存し、手放せなっていくシーン、
そして、Sや上司の信用を失い見捨てられるシーン…
この負のループに巻き込まれる姿に、目は釘付けにならざるを得ない。
大変残酷なことに、本編はその後30分、長すぎると感じるほどの時間を割いて、諸星が堕ちるところまで堕ちた「宴のあと」を活写し続ける。
ゼロ年代:「離愁篇」というべきか。
諸星は産業廃棄物の不法投棄捜査を役目とする 「ゴミ拾い 」のような部署に配置させられる 。
彼がこれまで培ってきた名誉も実績もスキルも 、ここでは何の役にも立ちはしない 。
それ以上に辛いのが、長年にわたり関係を培ってきた Sたちからソデにされること。
彼は全てを失ったのだ。
腹の突き出た見窄らしい身なり、死んだ目、覇気のなさ。
引っ越したオンボロアパートには、黒光りするチャカもない、豪華なインテリアもない。
あるのは、腐りかけた畳敷と覚せい剤だけ。
もはやかつての敏腕さの面影を失ったことが、残酷なまでに描かれる。
難点は、綾野剛のお肌のツヤが消せていないことくらいだ。
そんな「辛うじて息してる」ような諸星に、覚醒剤使用容疑による逮捕が、引導を渡す。その引導を渡すのが、奇しくも、前述の大量摘発作戦で諸星が「現場を知らない」若手扱いしたキャリア組である。
かくて彼の逮捕が、「日本警察最大の不祥事」を白日の下に晒すこととなる…訳はなかった。
アクラム・山辺らSを始めとする関係者は続々不審な自殺を遂げ、諸星は警察上層部の責任に言及するとなると、口をつぐむ。塀の中、白状を強いるのを止めてくれと哀願する涙ながらの表情が、印象深い。
かくて前代未聞の大スキャンダル事件は 、急速にスケ ールダウンし 、そそくさと終焉を迎えることとなる。
最後に画面いっぱいに我々に向けて突きつけられるのが、新規採用された警官たちがきらきらした目をして見つめる「桜の代紋」だ。
彼らは何も知らないのだろう。
しかしここまで本編を見て来た我々は、「悪い奴ほどよく眠る」ことを忘れることができない。
このラストシーンこそ、警察自体の持つ拭いがたい暗いイメージを、最も効果的に浮き上がらせているのではないだろうか。
さらにいえば、
本作の四部構成、作品のトーンからは、東映ヤクザ映画史のメタファーと読み取ることもできるだろう。
つまりは
70年代末は「実録やくざ路線」が終わっていく寂れたトーンを。
80年代はドンドンイケイケなノリ、開放的な空気:「Be-Bop」を代表する一定の人気を勝ち得ていた80年代東映チンピラ映画の様な輝きを。
90年代の「ただひたすら堕ちていく姿」は、90年代に入るや興収も上がらず袋小路へと突入していった東映ヤクザ路線そのものを。
そして00年代は、「極道の妻たち」も終わり、完全に息の根絶たれた「東映ヤクザ映画」そのものを。
ともあれ。警察の生臭く仄暗い側面を、この後白石監督は「孤狼の血」でさらにえげつなく、過激な方向に、そして東映ヤクザ映画に愛をこめて、昇華させたのであった。
この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!