見出し画像

名前からしてカッコいい男、誰もが憧れた伊達男_ジャン・ギャバン 主演作5本だて。

戦前戦後に、フランスの名優ジャン・ギャバンは、日本人の恋人 だった。
名前からして、威厳と貫禄を感じさせる男だ

彼が演じ続けたのは一般市民ではない、根っからのアウトローばかりだった。
悪事を働いて、アパルトマンの屋根裏部屋に逃げ込むイメージ。以後、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード に引き継がれる系譜。
きりっとしているわけでもないのに、ちょっと脱力感のある役でもかっこいい。ノスタルジックな味もある、ニューマンやレッドフォード同様にスタイリッシュな役者。

今回は、そんなジャン・ギャバンの名作を5つ紹介したい。


ジャン・ギャバンは、1904年パリで、ミュージック・ホールの芸人であった両親のもとに生まれ、WW1終戦後、18歳の時から舞台芸人として働くようになった。
1928年、『Ohe! Les Valises 』 (1928年) で銀幕デビュー。
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の 『白き処女地』 (1934年) で注目を集め、ここから各所で引っ張りだこになる。

全世界が戦争前夜の不安に晒されていた頃。
息苦しい時代の中で、必死で逃げようとするアウトロー:ジャン・ギャバンの背中は、戦争にのめり込めない全世界の男たちの心を打った。


1937年、カスバの恋、報われぬ恋。 「望郷」。


ギャバンが演じるのは、アルジェリアのカスバへ逃亡して来た凶悪犯。
だが、問題は、彼の犯罪を描くことではない。描きだすのは、恋の欲望に囚われた男の狂おしいまでの情念だ。 

主人公のペペ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)は、カスバの街の顔役で、街の住民は誰も彼を警察に売り渡そうとはしない。彼はカスバに留まりさえすれば、安全に暮らせる。
ところが、パリからやって来た金持ちの側妻、キャビーが彼の運命を狂わせる。

画像4

ギャビーと出会った瞬間、彼女の虜となったペペは女会いたさに、不用意にもカスバの外へ出てしまう。結果、逮捕される。
この作品が描くのは、「純粋の情念が、いとも簡単に理性を超える瞬間」。『望郷」という作品は、全編が主人公であるペペの女への情念の映像化であると言っても過言ではない。
ぺぺは、その情念を、クライマックスで命と引き換えに発露させる。

ギャビーはぺぺが死んだと教えられ、パリに帰ることにしたため、後を追おうとしたぺぺはまんまと波止場におびき出されるかっこうになり、客船に乗り込んでギャビーを探しているところを逮捕されてしまう。手錠をかけられ連行されるペペはギャビーの乗る客船を空しく見送る。
そのとき、ギャビーが甲板に姿を現した。
彼女に向ってペペは「ギャビー」と叫ぶが、その声は汽笛にかき消されてしまう。 ペペは、隠し持っていたナイフで腹を刺して死ぬ。 痛い。


翌年の「霧の波止場」でも彼は、「立ち止まってはいけない時に、立ち止まってしまう」男を演じる。

1938年、ル・アーブルの恋、報われぬ恋。 「霧の波止場」。


「望郷」と似たような話だが、こちらは一捻り加えている。
女に執着する浅ましい老人が、若い男を滅ぼすのだ。

時は第二次世界大戦の足音近いフランスはル・アーブルの港町。フランス領インドシナ(ベトナム)からの脱走兵である主人公のジャン(ジャン・ギャバン)は、他人のパスポートを手に入れて南米への脱出を図る。急がなくてはならない、立ち止まってはならない、捕まって汚名を受けないためにも。
喩えるならば

脱走? それもいい、けれど捕えられた暁には、この上もない汚名をこうむったうえに同じく死!

「兵卒」田山花袋・著 ※青空文庫から引用

だが、彼は立ち止まってしまう。
ル・アーブルの街で知り合った女ネリー(ミシェル・モルガン)のことが、どうしても気になって、今まさに旅立とうとする船を降りてしまうのだ。

それはなにも、ネリーがかわいいとか好きとか、単純な理由じゃない。「もし、あの男にネリーが絡まれたら」と思うと、居ても立っても居られないのだ。
問題の男ザバン(ミシェル・シモン)は、嫉妬にまみれた老醜無残。
「愛されたことがないから、愛し方がわからない」典型的な歪んだ人物で、
舐め回す目つきと、半分泣いているかの様な震えた声で、ねちねちとネリーをストーキングしてきた。

彼のネリーに対する執着は常軌を逸しており、以前にもネリーを連れて逃げようとした男を殺した、らしい。
ネリーがジャンに心寄せてると知るや、嫉妬心からたちまち半狂乱。
ジャンが南方へ旅立った(と思ったの)をいいことに、ネリーを地下倉庫に閉じ込めて、自分のものにしようとする。
この年寄り、「お前は若いから嫉妬心など知るまい」「お前の鳴き声が好きなんだ」と醜態極まる発言を連発。ネリーをも半狂乱に追い込んでいく。
この手のタイプのミニクイ男、現代社会にもいっぱい、いないかい?

間一髪、察しのよかったジャンが間に合い、この男をレンガで撲殺。
しかし舞い戻ったのがいけなかった:地下倉庫から地上に出た所、一発の銃弾がジャンを貫く。
路面の雨露で濡れた石畳の上で、大きな身体は熱を失い、ジャンは死んでいく。結局ジャンは、新天地も人の愛も、欲しいものは何も得られずに、終わる。
まるでネリーは、失敗すべく運命づけられた希望の星であったかのよう:
だったら、初めから見えなければよかったのに。


もうひとつ、ジャン・ギャバンが有名なのはジャン・ルノワールと組んだ二作だ。特に良いのが「大いなる幻影」と「フレンチ・カンカン」。
こちらは過酷な運命の中で滅びていく男ではない:過酷な運命の中でも、まっすぐ筋を通す男だ。


1937年、敵中横断三万里。 「大いなる幻影」。


本作においてギャバンは、ときどき獣性をぬっとむき出しにする、労働者階級出身のマレシャル中尉を演じる。
第一次世界大戦下の欧州。フランス軍航空隊のマレシャル中尉は、ボアルデュー大尉と共に偵察に飛び立ったが、敵軍ドイツの飛行隊に撃墜され捕虜となってしまった。2人はドイツ軍のラウフェンシュタイン大尉の食卓に招かれ、丁重なもてなしを受けた後、ハルバハの将校捕虜収容所に送られた。

この映画、失われた美徳を持つドイツ軍人ラウフェンシュタイン大尉(演:エリッヒ・フォン・シュトロハイム)ばかり語られるが、マレシャル中尉の視点において重要なのは、ド・ボアルデュー大尉(演:ピエール・フレネー)との交流だろう。
大尉は、決してお高く止まっているわけではない。長い虜囚生活の中、マレシャルら(「国民」が大部分を占める)フランス軍の捕虜たちと交流を深める。ともに歌を歌い、踊り、皮肉を語る。収容所内の一大行事である芝居の準備を着々と進め、その芝居の最中、リヨンを仏軍が奪還すると知るや、総立ちになって声を揃えてラ・マルセイユーズを唱和する。

個々のシーンはどこかお茶目で賑やかな雰囲気がある。だからこそ味わい深く、後にやってくる悲劇とのバランスを支えている。

大尉は、フランス軍下士官、一兵卒たちの脱獄計画に参画する。
脱獄の夜、大尉は、太鼓叩いて笛吹いて、敵軍の近くを撹乱。その混乱の最中にマレシャルは旅立つ。別れの握手を、そっとかわす。

画像3

なお、これは、第一次大戦前後の貴族と市民の階級交替の構図でもある。

おかげで中尉は「立ち止まってはいけない時に、立ち止まらずに済む」のだ。
そしてこのあと、ラウフェンシュタイン大尉とボアルデュー大尉との間の対話、射殺、ラウフェンシュタインの哀哭のウィスキー一気飲み、という本作のハイライトが続く。

もうひとつ、重要なのは、収容所を脱走して終わりではないことだ。
結局、生きて脱獄できたのは、マレシャルと相方:ローゼンタール中尉のみ。二人だけで、スイスとの国境を目指す。道はぬかるみ、風は強く、雪が降り頻る山岳地帯を行く。ただでさえ過酷な旅路、さらに悪いことにローゼンタールは片足を痛める。
だから、ささいなことで口喧嘩になる。
その結果、二人は互いに別の道を行こうとして、しかしすぐによりを戻す。
それはマレシャルが「二人一緒に歌を歌う連れ合いがいないこと、フランス語を話せる仲間がいない」ことに気づいたからだ。ひとりきりには、耐えられないのだ。

複雑な陰影を盛り込んだ 一大叙事詩。
物語は中尉が国境を越えるところで(ドイツ兵の銃弾に追われながら、ぎりぎりで)終わる。ルノワールは戦争の中でも人間は人間であるという、世界普遍的なヒューマニズムを貫いている。それが美しい。

なお本作は、ベネチア国際映画祭で芸術映画賞を受賞したほか、米アカデミー賞で外国映画として初めて作品賞にノミネートされた (当時は外国映画賞がなかった)。

戦後もフランス映画界を代表するスターとして活躍。その演技は国際的に高く評価され、『夜は我がもの』 (1951年) でベネチア国際映画際の男優賞を受賞。『現金に手を出すな』 (1954年/監督:ジャック・ベッケル)、『われら巴里っ子』 (1954年/監督:マルセル・カルネ) の2作の演技で再びベネチア国際映画際の男優賞を受賞。
重要なのは、逃げる追われる役はめ減って、どっしりと構える役が増えていくことだろう。それでも、彼が演じるのは、小市民ではない、非現実を生きる男とであるのは、間違いない。

1954年、ムーラン・ルージュの王侯。 「フレンチ・カンカン」。


1888年、パリの歓楽街モンマルトルで興行師ダングラールが営む上流階級向けのクラブは、満員ながら経営難。ある日下町のキャバレーで出会った洗濯娘ニニの踊りに触発されたダングラールは、自分の店を売った金でキャバレーを買い取り、“フレンチ・カンカン”という新たなショーを目玉とした興行を思いつく。しかしニニへの嫉妬から、舞姫ローラが騒ぎを起こす…。
スタッフ
監督・製作・脚本・台詞:ジャン・ルノワール
撮影:ミシェル・ケルベ
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
原案:アンドレ=ポール・アントワーヌ
キャスト
ジャン・ギャバン
フランソワーズ・アルヌール
マリア・フェリックス
フィリップ・クレイ
ミシェル・ピコリ
エディット・ピアフ
パタシュー
アンドレ・クラヴォー
パラマウントピクチャーズ  公式サイトから引用

ひとことでいえば、寝ても覚めても「フレンチ・カンカン」のことばかりを考えている男ダングラール:ジャン・ギャバンの物語だ。
踊り子たちへの厳しいレッスン。芸人たちの躍動。舞台をこしらえる職人たち。ニニの身分違いの恋(相手の男爵もまんざらではない)。
これら風俗を、美しいカラー画面のなかに淡々と描く。実に淡々と。芸に生きる人々、自分勝手な人間たちがエゴ丸出しでぶつかり合う様を、淡々と。

だから、クライマックス、満を辞して着飾った女たちの「フレンチ・カンカン」の(少し露骨で刺激の強い)ががぜん盛り上がる。ダングラール(とローラ)が仕立てた甲斐があった、アクロバティックでパワフルなダンスだ。

画像4

豊満な肉体をもった踊り子たちが、腕を組んだまま腰を振り振り舞台の上手から下手へ一直線に脇目もふらず通り抜ける、一景。
いつしか上流階級の観客たちも、この官能の虜となり、好色一代男女の大騒ぎが始まる。玩具箱をひっくり返したような、激しさ。変化球なしのカーニヴァル。
この中でダングラールは王侯だ。ムーラン・ルージュを従える、王侯だ。

画像2

そして彼は傲慢な男でもある。
なにせ、最終盤において、ニニに、恋を選ぶか、踊り(靴)を選ぶか、強い調子で迫るのだ。彼女は踊りを選ぶ。
ニニの視点だと気の毒だが、しかし彼の台詞の中にダングラールの人生、「芸のことしか考えない」生き様が浮かび上がる。 ぜひ見て欲しい。


この後、『放浪者アルシメード』 (1959年)でベルリン国際映画際の男優賞(銀熊賞) を受賞する。

そしてギャバンは60年代以降、次世代のスターとの共演を行う。ちょうど「霧の波止場」で老雄ミシェル・シモンがギャバンを牽引した様に。
ひとりはジャン・ピエール・ベルモンド。もうひとりがアラン・ドロン だ。


1963年、最後の大仕事、その行方は?「地下室のメロディー」

5年の刑を終えて出所したばかりの老ギャング、シャルル。過去2回の投獄にもめげず、一世一代、最後のヤマに選んだのは南仏のカジノの金庫に眠る大量の現金だった。獄中で知り合った若者フランシスとその義兄を加えたトリオは、綿密な計画のもと強奪作戦を展開、まんまと大金をせしめたのだが・・・・・・!
■キャスト
ジャン・ギャバン(Jean Gabin)「望郷」「ヘッドライト」「レ・ミゼラブル」/アラン・ドロン(Alain Delon)「太陽がいっぱい」「山猫」「サムライ」/モーリス・ビロー(Maurice Biraud)/ヴィヴィアーヌ・ロマンス(Viviane Romance)/ジャン・カルメ(Jean Carmet)/カルラ・マルリエ(Carla Marlie)
■スタッフ
監督・脚色:アンリ・ヴェルヌイユ(Henri Verneuil)/原作:ジョン・トリニアン(John Trinian)/脚色:アルベール・シモナン(Albert Simonin)/脚色・台詞:ミシェル・オディアール(Michel Audiard)/美術:ロベール・クラヴェル(RobertClavel)/撮影:ルイ・パージュ(Louis Page)/音楽:ミシェル・マーニュ(Michel Magne)/製作:ジャック・バール(Jacques Bar)/制作:ジャック・ジュランヴィル(Jacques Juranville)
株式会社アネック 公式サイトから引用

生まれて初めての大計画に、どこか浮き足立っているフランシスを、シャルルはときにブレーキかけつつ、引っ張っていく。
美女との邂逅にのぼせあがっているフランシスをたしなめるシーンも存在する。

それにしてもシャルルのグラサンかけた顔のカッコよさよ!
ギャング映画向きの顔立ちだなあと思った。実際のギャングとはだいぶ違うのだろうが、ギャングといえばギャバンという風に、彼の作品は庶民にギャングのイメージを叩き込ませたのである。

まんまと大金せしめた、さて、ラストは? 当然、綺麗に、無為に終わるのだ。

この後、彼は「シシリアン」でドロンと2回目の共演を行う。(今度はイヴ・モンタンとも共演だ)
アラン・ドロンとの最後の共演作になる「暗黒街のふたり」
見どころたっぷりだ。これについてはまた場を改めて紹介したい。


1976年、72歳で他界。遺言により、遺骨はブルターニュの海に撒かれた。
その3年後には72歳で同時代のスター:ジョン・ウェインも他界している。
伊達男たちの映画を浴びるほど見て、青春期には情熱に燃え、中年期には人生の活力を得た日本人のひとり、山田風太郎の文を引いて、本記事を締め括る。

それにしても、フランス映画とアメリカ映画、双方の代表的伊達男が同じ年齢で死んだのは一奇である。

「人間臨終図鑑」 七十二歳で死んだ人々


※本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,681件

この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!