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旅の終わり、夢の果て。ほろ苦いフランス映画「冒険者たち」。

「今すぐここから抜け出したい」という高望み。
動機は何が良いだろう。「宝探し」 はどうだろうか。

遠い噂に聞いた、南の海の宝探し。夢破れた男二人と女一人が、その冒険に乗り出した。ワクワクするはなしだ、最後は、かなしいけども。

青春の鎮魂歌とも言うべきロベール・アンリコ監督の永遠の名作が、ニュープリント・マスター版で登場。パイロットのマヌー(アラン・ドロン)、彫刻家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)、レーサーのローラン(リノ・ヴァンチュラ)は互いを助けながら、それぞれの違った夢を追っていた。やがて挫折を迎えた3人は、アフリカのコンゴ海岸に沈んだ財宝を探す冒険へ旅立つ。眩しい太陽と青い海にかこまれ、莫大な財宝を手に入れた3人を意外な悲劇が待ち受けていた・・・。
キャスト
アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス
セルジュ・レジアニ
スタッフ
監督:ロベール・アンリコ
原作:ジョゼ・ジョヴァンニ
脚本:ロベール・アンリコ、ジョゼ・ジョヴァンニ、ピエール・ペルグリ
撮影:ジャン・ボフティ
音楽:フランソワ・ド・ルーベ

アミューズソフト 公式サイトから引用

本作には公開時

大空に!海に!陸に! 愛とロマンと夢を賭けた三人

とのキャッチコピーがつけられた。これだけで本作の内容を知らない人が推測したら「文句なく、ドキドキワクワクのアドベンチャー」になる、はず。

しかし、実際は真逆、ものすごくペシミスティックな作品だ。
楽しい時はそう長くも続かず、祭りの後が延々と映される。
そう、例えていうなら
前半が「束の間の青春」、後半が「長すぎる老後」。


束の間の青春。


おおよそ青春とは程遠いスクラップ置き場で
まだまだ青春真っ只中(つまり叶わぬ夢を追い求める)のふたり、
彫刻家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)とレーサーのローラン(リノ・ヴァンチュラ)が、パリ郊外の自動車のスクラップ置場で、出逢うところから始まる。
フランソワ・ド・ルーベのリズミカルなメロディが華を添える。
レティシアは自身のアートの素材探しのために。ローランは世界最高速を目指すための自作のレーシングカーの材料探しのために。
ローランが自身のトレーラーにレティシアを乗せてやるのが、優しい。

ここに、一流のパイロットを目指すマヌー(アラン・ドロン)が加わる。
「夢を追う」 この一点で三人は意気投合し、共同生活を始める。
ローランは夜明けの田舎道をレーシングカーで爆走する。
マヌーは赤い飛行機で宙を舞う。レティシアはオブジェの製作に精を出す。
冬の弱い陽光と冷気が、彼らを鈍くも暖かく光らせる。

しかし夢とは、儚いもの:それぞれ、挫折の目に遭う。
マヌーは飛行機免許を剥奪される。ローランはレーシングカーを事故で失う。レティシアは個展の内容を、評論家にボロクソに貶される。

心機一転、彼らが次に目指すのが「コンゴ動乱」の時に脱出した富豪が、沖に捨てていった遺産。
宝の夢に胸膨らませ、潜水具そのほかの準備と、アフリカの踊りをした後に、三人はいっしょに、「俺たちの船」で沖に出る。
青いコンゴの海(ロケ地は地中海)に浮かぶ船を、カメラはロングで捉える:
漁をしたり、料理を作ったり、泳いだり、レティシアの誕生日を祝ったり。
象牙海岸の青すぎるくらい青い海が、三人の姿をこよなく明るく浮かび上がらせて、その風景にはどんな曇りもない。

しかし、悲劇は一瞬にして起こる。
果たして海底に沈んだセスナに残っていた遺産のサルベージに成功し、喜ぶまもなく、ハイエナたる悪党一味が襲い掛かる。
銃撃戦が始まる:流れ弾に当たって、レティシアはあっけなく死んでしまう。
なんとか敵を撃退し、のこされた男二人は、彼女の遺体に潜水具を着せて、海の中に沈める:何者にも汚されない海の奥へ。


長すぎる老後。


先日ご紹介した「サイドウェイ」もそうだったが、
この映画もまた「帰ってから」が、長い。

ローランとマヌー、二人の男は、宝を持って帰国する:夢は叶った、しかし顔は晴れない。それは、喜びを分かつべき「三人目」がいないからだ:ふたりとも、死んだ女のことを引きずっている。
とくに若いマヌーの落ち込みようはハンパではない。コンゴではマッチョな髭面だったこの男が、途端に、儚げで弱々しい姿をあらわす。後述する銃撃戦の際の恐れを知らぬ振る舞いも、この悲しみによる投げ鉢に由来するのではないか、と思うほど。

それでも、二人の男は、レティシアの取り分を届けるため、彼女の親戚の元を訪ねて回る。その中で二人は、レティシアがかつてユダヤ人一家として迫害され、「要塞」の見える島(本記事トップの画像)に移住していたことを、知る。
ここから戦争の影、というべき、さらなる「暗さ」が画面を覆っていく。
かつての「要塞」には、コルトだの柄付手榴弾だの、現役だった頃に持ち込まれたWW1期の兵器が隠されている。戦争の負の側面が、思いがけず、現れる。
(しかし考えてみると、彼らが赴いたコンゴ海岸というのは、ヨーロッパ植民地戦争と由縁が深い。そしてWW1はこの植民地戦争の延長線上に勃発した。)

しばらく経って。 ローランはこの「要塞」を購入する。マヌーを呼び寄せ、夢を語る。ここを「海上レストラン」に改築する夢を。
そこに、2人を追ってきた仇敵:あのハイエナたちが武装してやってくる。
マヌーもローランも男だ:「要塞」の武器を駆使して敵に立ち向かう。
「黒い島のひみつ」(By タンタンの冒険旅行)さながらの上下左右目まぐるしく動き回る銃撃戦は、「男2人に女1人」の人物設定以上に後世に影響を与えたに違いない!それくらい編集がみごと。(さすがにゴリラは出ないが!)

やがて、戦争の霊か憧れのレティシアの手招きか、どちらかに魅入られたかのように、マヌーが流れ弾に当たって、死ぬ。
ただひとり・・・ローランだけが残される。
三人いたのが、一人になった。彼は残りの人生をどう生きたのだろうか。
ともかく、宝探しの夢は、あっけなく、静かに、悲しく、終わるのだ。
フランソワ・ド・ルーベの繊細なメロディと、ともに。


もうひとつ、おしゃれなレティシア。


この映画が今なお語られるのは、「束の間の青春、長すぎる老後 な悲しい宝探し」の物語であるから だけではない。
レティシアことジョアンナ・シムカスの、すぐ真似できそうな、しかしどきっとさせられるファッションも魅力だ。

冬のパリでは、アメリカファッションと折衷した、しかし健気さがどこか漂う姿を披露する。ピーコートにコーデュロイパンツ、鎧のようなパコーラバンヌのパーティ服、モスグリーンのリブ編みニットワンピースの上からトレンチコート。

正反対の季節たる夏のコンゴにいくと、途端にスタイルの良さが輝く。黒いロングシャツ、ウェットスーツ、ジーンズ。パリにいた頃に比べるとはるかにシンプルだけど、着こなしが良くて、うっとりさせられるのだ。水色のビキニも良い。

彼女は引き際も美しい。愛し愛された男たちの手で、紺碧の海の底に、旧い潜水服に棺桶代わりに入れられて、水葬される。

フランスがファッションの(そして映画の)最先端を歩いていた頃の映画。その雰囲気を見ておきたい方も、又ぜひ。

※本記事の画像:フランスの港町ラ・ロシェルの要塞島の写真は、
Wikimedia Commonsより引用しました

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