“謝りたい、でも誰に?”_”In Cold Blood”(1967)
1959年、刑務所で知り合ったペリー(ロバート・ブレイク)とリチャード(スコット・ウィルソン)は、同房で知り合った男から聞いた話を元に、カンザス州の豪農の一家を襲撃することにした。 そこには43ドルしかなかった。
突然、ペリーとリチャードは何かに取り付かれたかのように一家四人を惨殺し始める。
「なぜ2人の青年は、理由もなく4人の人々を殺したのか?」
とことんまでドライな視点で描かれた映画「冷血」は、『ティファニーで朝食を』のトルーマン・カポーティが6年の歳月を費やして書き上げたノンフィクション小説『冷血』を原作にした作品。1959年に実際に起きた強盗殺人事件を題材に、カポーティは『アラバマ物語』のハーパー・リー女史の協力の下に最初の3年を犯人に対する獄中インタビュー等による6,000頁に及ぶ資料収集に費やし、あとの3年をその資料の整理につぎ込んみ書き上げた。
この素晴らしい原作を、素晴らしいスタッフが、モノの見事に映画化した。
コンラッド・ホールの撮影。クインシー・ジョーンズの音楽。
そして何より、リチャード・ブルックスの、リアリズムへの拘り。
実際に事件があった殺害現場で本作の殺害シーンを撮影。その後の法廷シーンも、実際にこの事件で使用された法廷を使用し、陪審員も6人は当時陪審員を担当した人々に演じさせたという。
物語は3部構成となっている。
前半において犯人2人の貧しさ、クラッター一家(被害者となる一家)の豊かさの対比。犯人と被害者の生まれ育ちの不平等感が、痛烈に描写される。
中盤から終盤においては、取り調べ室の中で、犯人と警察を対比。実際の犯行の描写とともに、犯人の卑劣さが強調される。
リチャードは饒舌に捲し立てるが、警察の淡々とした態度に怯えを隠せない。ペリーはただ怯えるばかり。この対比も、見事だ。
そして、クライマックス、絞首刑の前夜から、物語のエモーションはピークに達する。死刑執行は雨の夜に行われる:雨は、全ての罪を浄化するかのように、大きな音を立てている。
先に死刑が執行されるのはリチャード、彼は最後まで太々しい態度を捨てない、目一杯強がって見せる、
と言いつつも「今よりマシな世界に送ってもらえる」と寂しげな表情で振り向くのが、何とも言えない。
布に包まれた、出来たてほやほや屍体を見て、記者とアルヴィン(カポーティを投影したキャラクター)が交わす台詞が意味深だ。 「人はみな罪人」ということだろうか。
次に執行されるのがペリー。 執行前、ペリーは牧師に対して、父との思い出を語る。
観光客向けのロッジを建てて夢を描いたこと。ロッジが完成した時、父は屋根の上で小躍りしたこと。客は全くこなかったこと。次第に父は息子に当たり出したこと。
ある日、父がロッジの外にペリーの荷物を全て放り出した上で、息子の前で、直に、呪いの言葉を言い残して、銃で自殺したことを。
ガラス越しに話すペリーの顔に雨だれが反射して、まるでペリーの涙かのように雨の残影が頬をつたっていく・・・。
死刑執行の時が来る。
何か言い残すことはと尋ねられ、最後ペリーはこう言い残す。
板の上に立たされる。
ペリー本人の徐々に大きくなっていく鼓動。
戸板が落ち、ペリーが鈍い音を立ててぶら下がる。
心拍音が聞こえなくなり、それで映画は断ち切られて、終わる。
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