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THE・コメント論(1)|何故あなたはコメントが貰えないのか?

やは、おはやう♪
最近思うんだけど、必ずしも「コメントしたくなる=素晴らしい記事」とは限らないな、って。

今日はそこをちと掘り下げてみます。

予想外に長くなってしまったから、今日は「相手がコメントしてくれない理由」に絞って書き、その解決策は後日の記事に回します。

いつもの週とは若干違う振り返り記事ですが、お付き合いいただけますと幸いです。


何故コメントしない?

もしあなたがコメントのやり取りをして読者の方と交流したいと思っているなら、相手がコメントしてこない理由を潰していけばいいよね。

だからまずは俺なりに考えた「相手がコメントしてくれない理由」を挙げていこうと思う。

なので今回俺は「コメントする側」の視点から書くね。

まあ俺って完璧主義こじらせの傾向があるから、ちと極端な例もあるかもしれないけど…そこはご容赦願いたい。


1.感動を言語化できないもどかしさ故

時折沼にはまらせてくれる、素敵なNOTERさんに遭遇する。
文章を読んでいるだけでその世界観に惹き込まれ、いつの間にか余韻と後悔(また作業時間が減ってしまった~的な)に浸ることができる。

例えば俺が最近ハマっているのは水瀬文祐さん。

言語化が難しいのだけど、この方の作品の世界観が、とにかく愛おしい。
(というか、俺の過去生記憶との類似描写が多くて驚いている)

読み終えた時に「はぁ~」ってなります。

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ただ、コメントがし辛いのだ。
世界観が美しすぎて、【松尾芭蕉が松島を見た時と同じ状態】になる。
人って感動しすぎるとうまい言葉が出てこないのよ。

でもスキ押すだけじゃ、応援している意図は伝わらないよね。

自分で記事を書いている人ならわかると思うけど、ファンの人がいるかいない(認識できていない)かで創作意欲は段違いに変わるのよ。

だからこそ「ここにファンがいるよ」って伝えたい。

その最適解の一つが、記事中に↑のようにリンクを貼ることさ。
これで少なくとも熱烈なファンがいることは認識してもらえるよ。

あ、念のため言っておくと「紹介したんだから私にもコメントしてね」的な念は乗せないように。

そういうのって敏感な人ならすぐ気づくよ。
逆に自然と紹介したくなるレベルでなければ、ホンモノではないとも言えるかな。

まあ、かといって素晴らしい作家さんに遭遇するたびに1記事書いていたら、とてもじゃないが時間も労力も足りない。

でもコメント欄に
「感動的な作品でした。また来ます!」
とか残しても微妙なんよね。

字面だけ見たらスパムのコピペコメントと大して変わらん。
それに「コイツほんまに読んだのか?」って疑われそうだ。

穿った見方をすれば「こいつ私のコメント欄でアクセス稼ぎしてるのでは?」と相手に思われてしまうかもしれない。(自意識過剰な有名人にその傾向があるよ。)

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ちなみに俺はやっていないけど、FACEBOOKというSNSには超イイねボタンがあるんだって。

そういう機能があればある意味一発解決なんだけど、NOTEにも実装してくれんかな。


2.メインテーマ以外にコメントしたら失礼?という恐れ故

例えばなんだけど、長浜ラーメンの店に入るとしよう。
トッピングし放題の具があって、その中の高菜が美味かったとする。

で、素直に店の人に「この高菜最高です。」って伝えたとしよう。

そこで店の人がどう思うかなのよね。

ちなみにこれはカニちゃんぽんだよ。
俺は基本的に哺乳類と鳥類の肉は食わないのだ。

「いやおまけじゃなくて、ラーメン(うちのメイン商品)はどうなんよ?
(もしかしてラーメンが不味くてコメントしようがないから、高菜を褒めてるのか??)」って微妙な気分になる人もいるんじゃないかな?


俺も実はその傾向があったの。(過去形)

だから(投影と言われたら否定できないけど)完璧な記事を読んだ時にこれをしないようにしているんだ。

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↑の例えをNOTEに置き換えると、こんな感じ。

やは、おはやう。
ボクは朝ごはんにカステラの切れ端を食べるのが大好きだよ。
個人的には琴海堂の切れ端が一推しさ。

さて、そんなカステラはグルテンたっぷりだけど、みんなはグルテンフリーについてどう思う?

(以下本題)

まあ、最終的にそれで体調良くなる人はやればいいよね。
ボクはグルテンフリーで得られるメリットより、カステラを食べられない苦痛の方が勝るから、やらないことにしたよ。

【コメント欄】
琴海堂いいですね。
私は岩永梅寿軒推しなんですが、あそこは切れ端売ってないから残念です。

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いや、全然これはこれでありだと思う。
俺は喜んで返信するけどさ。

ただ自分がコメントする側の時は、勝手にハードル上げちゃってるんだよな。


3.中身が完璧すぎる故

これは専門性が高い文章に対して起こりやすい感情。

「プロの人に自分なんかが見当違いのコメントしたら恥ずかしいんじゃないか?」という、ある種の恐れかな。

ははぁ、ごもっとも。
というのが最も言い得て妙な表現かな。

そういう場合は無理にコメントしなくてもいい。

「でもその記事の主とは仲良くしたいんだ!」という場合は、その主のプロフィールとかつぶやきとか日常ネタとか、コメントしやすい記事にコメントすればいいと思うよ。

ただ、それができない場合もあるんだよね。
(此処から先は俺のかなり特殊な事情です)

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俺は今「あけぼの塾」というコミュニティに参加しているんだ。

あけぼの塾には本気でコメントしあえる人が集まっている。
しかもノルマとかルールとか相互コメントとかで縛るわけではなく、やりたい時にやるという俺にとってはちょうどいい距離感。

まだ参加者募集中だから、コメント欲しい人はぜひ登録するといいよ。
そしたら俺もコメントしにいく可能性が上がるしね。

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で、こういうコミュニティはたいてい企画立案者の周波数にマッチした人が登録する。

あけぼの塾のメンバーは一言でいうと「優秀な先生と優等生」の比率が凄く高いんだ。一言で言うなら超意識高い部活動

現に主催者のあけぼの博士も記事を書く時に超綿密にシミュレートしていて、その過程を見た俺は心底驚いたよ。

だからこそ、読む側としても襟元正して背筋伸ばしてビシッと向き合わねばならない、的な緊張感が生じる。


当の博士はそんなこと一言も言ってないのにね。
また俺の勝手なハードル上げさ…。

で、記事と向き合うのに結構なエネルギーを消費してしまうから、コメントを書くのも後回しになってしまうというわけ。

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でもこう感じちゃう人、結構いると思うよ。

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
日本史やっている人なら、↑の風刺を思い出してほしい。

きれいすぎる水に、魚は住まないということさ。

長くなってしまったので、今日はここまで。

ではどうすればコメントがもらいやすいか、については後半の記事を明後日アップしますので、そちらをお待ち下さい。

明日は月曜日なのでシリーズ物(ウォークン’S ジャーニー)アップするからさ。

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今日も長文駄文にお付き合い戴きありがとう♪

最後に・・・↓は私のnoteのサイトマップ。
(全記事へのリンクがあります。)

そして自己紹介(↓)です。
俺がどんなやつか気になったら読んでみてね。

【おまけ】

面白そうな企画を見つけたので、参加してみました。

なんと有名な作家さんに自分から売り込みに行けるらしいです。

採用されたら・・・いいことがあるかわからないけど、少なくとも存在を認知してもらうことはできそう。

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ちなみに↓の風山文さんは私が勝手にtwitterで紹介して、私のフォロワーさんが結構フォローしたんだけど、ほぼ誰もフォロバされず「この人本当に記事見てくれるのかな?」って半信半疑だったんですよ。

で…試しに投げやり気味に「文さん召喚テスト」とだけ打って、リンクを貼ってみたところ・・・

なんと数分でコメントが!!!
しかもテンションノリノリで。

大変失礼いたしました。(._.)


皆様、是非応募してみてはいかがでしょう?
俺が推している皆様は基本的にかなり高レベルですし、良い出会いになるかもしれませんよ。


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