投げかける
あの日、ぼくは扇町公園での集会に参加していた。
山にかこまれた施設で、生涯を過ごすつもりでいたころだった。
加川良さんの「下宿屋」というひとつの唄を通して、不思議な偶然の連続で知りあった親友と、おたがいに気になっていたホン・ヨン・ウンさんがステージに上がるということで、峠をこえて聴きに行ったのだった。
三百人程度の規模だっただろうか。
老若男女、会場は人で賑わっていた。
抜けるような青空がひろがっていた。
お昼どきになって、並んだ屋台に行列ができた。
ぼくたちは、神戸の南京町から出店していた点心の老舗のほうへ向かって行った。
いちばん長い行列だった。
出来立てをお客さんに渡していくから、かなりの手間がかかっていた。
ゆっくり待つことにして、あたりを見まわしているぼくの目の前で、三十年あまりを経過していたそれまでの常識を全部ひっくり返してしまう出来事が起こったのだった。
長い行列の中で、ぼくの前にはミニスカートの女子高生がいて、その前にはサリドマイド(一九五〇年代に主にアメリカから輸入された薬を妊娠中の女性が服用したことによって、手足が極端に短い子どもが生まれた)の若者という順番だった。
たしか、彼は上着を羽織っていたのではなかっただろうか。
それでも、サリドマイドであることは、その障害を知っている人であればすぐに判ったと思う。
ぼくはあの瞬間を忘れない。
女子高生が若者の肩をポンポンとたたいて、あどけない声で話しかけたのだった。
「なぁなぁ、お兄ちゃん、なんで手が短いの?」
声のあどけなさにもまして、なんの屈託も感じさせない言葉だった。
ためらいのかけらもなくふり返った彼は、表情をゆるめて応えた。
「おかあちゃんが、ぼくがお腹にいるときに飲んだ薬が原因なんや」
これっぽっちの気負いもなく、ある面あっけらかんとしていた。
「へぇ、わかった。ありがとう」
彼女も、負けないぐらいのつくらない明るさだった。
ふたりの会話を目撃してしまったときは、とにかくショックだった。
これまで何も考えずに受け容れてきた常識が役に立たないどころか、人との距離をつくってしまっていたことが…。
すぐにそれを気づかせたのは、この会話にはうらやましいオチがあったからだった。
目の前のふたりのストーリーはみるみる展開して、エンディングには「来週の土曜日には、いっしょに『りんけんバンド』のライブへ行こう」という約束で幕を降ろすことになったのだった。
もっと正確に書けば、行列の順番がきて、ふたりは水餃子を受け取ってどこかへ行ってしまったのだった。
ホン・ヨン・ウンさんのガンガンのロックを聴きながら、ぼくは自分自身に問いかけていた。
「もし、ぼくがあの女子高生に『お兄ちゃん、なんで電動車いすに乗ってるの?なんで、そんな手足がねじれてるの?』」と訊かれたら、どんな気持ちだろうか?
そりゃあ、うれしいに決まっていると思った。
時間をおいて何度か考えなおしてみても、やっぱり「そりゃあ、うれしいに決まっている」だった。
自分のモノサシを使えば、あたりまえのことだったのに、世間のモノサシを鵜吞みにして、呼吸困難になっていた。
その後、ぼくはいろいろな関係性の人たちに対して、疑問を感じるときには正直に訊いてみるようになった。
特に、長時間いっしょに過ごすサポーター(ヘルパー)さんたちには、相手の空気を確かめながら「いける」と直感したら、なんでも訊ねるようにしてきた。
それは引きこもっていたワケであったり、家族のことであったり、ギリギリのラインまで踏みこんで、信頼のようなものを深めてきた。
最近になって、このスタイルが通用しにくくなったというか、逆効果になってしまうことが増えはじめた。
その人の立場や心や存在を守るための法律によって、ある程度のコンセンサスが生まれ、安心して暮らすことができるようになったのかもしれない。
ぼく自身、障害という自分の中の個性によっての不利益や生きにくさから守られるようになったし、明らかな差別性に直面すれば堂々と訴えられるようになった。
ただ、目に見える部分での行動や、耳で聞こえる言葉にとらわれて、その背景にある想いを形にできなかったり、表面だけで判断して指摘したり、深いつき合いが難しくなってきているのではないだろうか。
サリドマイドの青年と女子高生のエピソードは、ずっと投稿したい記憶だった。
大好きなアニメのひとつに「じゃりン子チエ」がある。
チエちゃんがホルモンを焼きながら「テツはあんなことばっかりしてるけど、ホンマはええやつなんや」と、つぶやく場面がある。
何かといえば「心のバリアフリー」と言われるのもウソ寒いけれど、自主規制がはばかる世の中も生きづらい気がする。
ぼくのサポートに入っている事業所で、久しぶりに男性スタッフの採用があったみたいだ。
おたがいのエリアをうまく重ねることができるだろうか。
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