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成人発達段階で思うこと

プロフィール写真、もういいかなと思って顔出しました。笑

前回の投稿からあっという間に10日経っていた。最近は、自己変容プロセスでの体験を改めてnoteに書いて行こうと、キーワードを書き出してみたら50個以上になった。
いつも書こうかなと思っているけどなんとなく過ぎていて。
そのうちスタートするかも?

最近は空気がきれいになってきていて、
木々が喜んでいる。
今朝は木々がディズニー映画のように踊ってたし、散歩中の犬も踊ってた。
そう見えて笑ってしまった。

一昨日、昨日と仲間達とオンライン飲み会。
両日とも発達段階の話になり、Amyのnoteを読むとこの辺りにいるね、と言われ、改めて

スザンヌ・クック=グロイターの「自我発達理論」(Ego Development Theory: EDT)の邦訳文を読んだ。

以前学んだ時はよく分からなかった5.5以上の段階が、よく理解出来た。

特に以下の2つの文章。

『無執着という見解に執着すればするほど、その見解にしっかりと束縛され続けてしまう。心霊的な力をもっていることや、自我を超越するための探求を行っていることに誇りをもてばもつほど、自我は確実に王の座を占め続けてしまう。』 

『構築自覚的段階の人たちにとって、自分たちのような人々が他にほとんどいないということは、動かしがたい現実である。彼らは、自分たちの複雑性を理解し、自分たちの体験に共感してくれる人がほとんどいないということを恐れているかもしれない。しかしまた、こうした恐れを抱くことで、他者より自らのほうが「優れている」と思っているのであり、そうした傲慢さのために、自分たちは非難されるべきだと感じている。』

まさに最近思っていたことだ。笑

ちょうど同じ旅をしている同志に、前日ボヤいていた。笑

今感じる私はどこにいて、どこに向かっているのかと要所要所で思う。
そんな時はいつも同志にそれでいいらしいよ、って言われて安心していた。

そして、この安心を得ること自体が執着だと気づき、あーあ、と思う。笑

人に対しては、その人のベストなタイミングが来たら変容するもの。と思っているから、
頼まれた時以外は助言しない。
昨日は少し言ったけど。笑

なのに自分のことになるとベストなタイミングを待つ前にまだまだあれこれ考えている。笑

またとりあえず本来の自分でいよう。

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