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「生きていてくれてありがとう」すごい誕生日プレゼント

現在、2020年1月20日23:48
もうすぐ誕生日が終わろうとしている。

今年は誕生日の前日に、Facebookに登録してある自分の誕生日を非公開にした。
エネルギーを集約したくて。

そして、娘と誕生日旅行に出かけた。

「今年の誕生日は、物ではない私にとっての最高の贈り物をください」

と、1月19日夕方、意図しておいた。

何がやってくるかなぁと、ワクワクした。
サンタさんにプレゼントをお願いした頃の気分だった。

そして、想像もつかなかった、人生で最高の贈り物が届いた。

この日を一生忘れない、というほどの贈り物だった。

2020年1月19日夕方
お部屋から海が一望できるホテルにチェックイン。
音楽を聴きながらコーヒーを飲んだ。
そして、露天風呂で海を眺めながら温泉を満喫。
その後、早めの夕食。
デザートにサプライズのバースデープレート。
ありがとうね。

19時過ぎに夕食を終え、部屋で娘といろいろな話をし始める。

最近、思考ばかりだし、なんだか前向きに頑張り過ぎて、とても疲れていた。
だから、この旅行は本当にのんびりと頭を休ませたいと思っていた。
話していくうちに、疲れてしまったことがたくさん出て来た。
小さなことも。負の感情が出て来た。

娘は「言っちゃえー!海の波が全部持って行ってくれるー!」と煽る。笑

私の中の小さなしこりのような解消されていない感情が出始めて来た。

いつもは、嫌な事があっても、“それを巻き起こしているのは自分”と内省し、学びに変えていた。

でも、それは頭で自分に言い聞かせていただけで、実は全然消化していなかった。

ブツブツ文句を言ってみる。

思い切り他責で「まったくどいつもこいつもおんぶに抱っこで・・・」とか。笑
娘も「重いぞー!」と。笑

でも、まだ核心に届いていない感覚がある。

持病のために、メタルフリー、グルテンフリー、生もの、乳製品などやめたのに、なんで私は病気なの。
何で病気になってしまったの。

この24年近く病気を抱えている自分が本当につらく悲しかった。

受け入れられていなかった。

生きている感覚がなかった。

私、ずっと死んでいたんだ。って気づいた。

「いつから?死んでいた?」と自分に聞いてみる。

生きている実感を持ったことを思い出せない。

一度もない。

物心ついたときにはもう死んでいたんだ。

と分かった。

よく人は今を生きずに夢の中にいるように生きている、とは言われていたけれど、そんなものではなく、もっともっと深い所で生きる喜びを感じていなかった。

生きている喜びが欲しくて、成長のためにがんばって、刺激を求め、外側をみて、思考で考えていたんだって思った。

それを娘に伝えたら

「生きててくれてありがとう」

と言ってハグしてくれた。

私はもう涙が止まらず、わんわん泣いた。

「生きていてくれるだけでいい。夜寝て、朝起きて、息を吸ってくれていればいい。息はいっぱい吸ってね」と言ってくれた。

あぁ、私は生きているだけでいいんだ。
何もしなくても、ただ呼吸して生きていれば。
何も学ぶ必要も本当にない。

どんなに素晴らしい人が教えを説いてくれても、導いてくれても、それはその人の最善なことを教えてくれるだけであって、私に合う最善は、自分のオリジナルしかない。
自分で心底実感し、掴むだけ。

しばらく涙が止まらず、ハグしたまま泣いて、私も娘に伝えた。
「私も全く同じように思っているよ。
本当に生きていてくれてありがとう。」と。

その後、2人で温泉に入った。
星がたくさん輝く空の下、熱い温泉に気づき、

「生きているから熱いと感じている。これが生きているということ」
と生きている実感を持った。

あと15分で、誕生日を迎える。

死んでいた人生が本当に終わろうとしている。

そして、部屋に戻った瞬間、1月20日0:00だった。

本当の意味で生まれた。誕生した。

これだ。最高の誕生日プレゼント。

宇宙が極上のプレゼントを私と娘に届けてくれた。

身体が軽くなり、翌朝、海辺で昇る朝日を見ながら
「生きていてくれてありがとう。生きているだけでいい」

と言われたことを何度も何度も心の中で繰り返していた。

昨日までとは違うところにいる。
一緒に進み続ける人も同時に動いていた。

さよならになる人もお知らせがちゃんときた。

自分、誕生日、おめでとう

これからの真の人生へようこそ。



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