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自己紹介を「緊急事態宣言」の日にする

五輪を最初に意識した

1996年4月、アトランタ五輪最終選考会

最後の1周で「痛恨の失格」                    

(競歩にはフォームが規定を逸脱すると失格というルールがある)

最後の最後で五輪出場を逃すという「痛恨のミス」

涙腺のダムが容量がかなり大きくなる訓練となる


2000年に無事にシドニー五輪出場を果たし

2001年8月、世界陸上エドモントン大会男子20km競歩初の入賞

2002年には、アジア大会釜山にて銅メダル

結果は残せた自負はあるけれど

アトランタ五輪に出れなかった喪失感は補えなかった不思議

たぶん一生消えない、っと思う


2004年、アテネ五輪選考会敗北にて「引退」

「引退」って言葉使える人生に我ながら驚嘆しつつ

「引退」って言葉、の重みを感じる

卒業・悔恨・開放。。。


引退後、感じたのは

大学卒業後、13年も実業団の選手として活動していたので

自分が社会人に戻れるのか?

っという不安が常につきまとう


それは、実業団で所属していた先で浴びた洗礼

「スポーツ選手採っているとイメージ良いじゃん」

「君に稼いでもらおうなんてまったく思ってない」

そこから「スポーツの社会のあり方」を強烈に意識するようになる。。。


縁あって

東京大学生涯スポーツ研究センターにて5年間勤務

低体力者・高齢者・知的障害者などをサポート

運動生理学的な基礎、一般の方への基礎

トレーナーとしての礎となる5年間


そして、現在の会社にて、

国際統合リハビリテーション協会という理学療法士・作業療法士

の皆さんと、ウォーキングをツールとして社会に貢献する

「ウォーキング療法士」という資格を作り展開中


スポーツと医療の融合。


コロナで緊急事態宣言が出された日でも

自分たちの可能性を模索し、社会に発信していきたい


ある理学療法士さん、医療従事者なのに

コロナ騒ぎの中で『無力感を感じることがある』

という言葉に、

いやいや、そんなことはない


力を合わせて、今、自分たちの出来ることに

向き合っていきたい

そして、社会にしっかりと発信していきたい


と思っています






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