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子どもは日々変わっている

 待っていると子どもはある日突然変わります。

 子どもは、ある日突然変わる生命です。

 急に目を見張る絵を描きだしたり、ひかえ目な子がものすごく積極的になったり、寡黙だった子がべらべらしゃべりだしたりします。

 この、ある日突然変わっていく姿が見えるお母さん、お父さん、あるいは保育者は、子どもを理解した子育てをしている人だと私は思っています。

 変わる姿が見えないということは、子どもを先に先に追いやっているからです。子どもに自ら変わる力があることを信じられないのです。

 生命は日々変わっていきます。同じところに停まっている生命はひとつもありません。

 お母さんと話をしていると、我が子のことを「集中力がない」「注意力がない」「落ちつきがない」と欠点ばかりをとりあげて、そのうえ「育て方を間違ったのかしら」と、まるですでに決定してしまったかのように言う人がいます。

 そんなことはけっしてありません。子どもは毎日変わっています。

 目に見えるような変わり方もありますが、そこにたどりつくまで少しずつ少しずつ発酵する時に向けて内部で変化をし続けています。

 そのことが理解されないで注意ばかり受けている子は4歳ぐらいから、“指示待ち症候群”になります。

 「どうやるの?」と、お母さんや先生の顔色を見ながら、お伺いをたてて、なんでもしていくようになります。

 お母さんがたの話を聞いていると「欲張りだなぁ」と思うことがよくあります。

 「なんでうちの子は元気がないんでしょう。ハルオ君はいいわね、元気いっぱいで」

 「どうしてこんなに神経質なのかしら」

 「口ばっかり達者なんだから」

 「のろまねぇ」

 しかし、その親の判断をそう言われている子どもに当てはめてみると私は納得できません。

 元気がないと言われる子に落ちつきを感じたり、神経質と思われている子に繊細さを感じたり、口の達者な子に頭の回転の良さを感じたりします。集中力や注意力がないと心配されている子も、好きなことをしている時はわきめもふらずに活動に取り組んでいます。

 よく子どもに集中力がないことを前提にして、3分とか5分とか活動をこま切れにする教師や保育士がいますが、3歳児でも1時間以上積木遊びに熱中する姿を私は日常的に見ています。やりたいことがあればいくらでも子どもは集中します。やりたくもないことをさせようとするから集中しないだけです。

 花にはバラも、ダリヤも、ひまわりも、すみれもあります。人間も同じです。お母さんがたの話を聞いていると、すみれに似た子に、「うちの子にはバラの香りがない、ダリヤのたくましさがない、ひまわりの明るさがない」と嘆いているように聞こえることがよくあります。

 「どうしてでしょう」と質問されます。

 「すみれだからです」と答えるしかありません。

 すみれにバラの香りがあって、ダリヤのようにたくましかったらすみれでは
なくなります。すみれはすみれだからすばらしいのではないでしょうか。


和久洋三著書『子どもの目が輝くとき』より

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