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Vol.3 学校とは

今、カンボジアのレストランでPCに向かっている。私が「日本のアタリマエを変える学校たち」(新評論)を書くきっかけにもなった場所でもある。


このキリロム国立公園の中に ココナッツスクール というNPOが運営する小学校がある。「学校に行けない近隣の子どもたち」の学習サポートをする団体で、ゴミをはじめとした不要なものを学校に持っていくことが授業料となる。しかし、公立学校よりココナッツスクールの方が教育内容が良いという理由でここに子どもを連れていく家庭も増えていると聞いた。昨日の朝、バイクの前後に二人ずつの女の子を乗せた、計5人乗りのカブを見たが、まさにお父さんが近所の子どもも乗せて通学の途中だったのだろう。

7年前にここを訪れた時には、掘立て小屋のような建物が一つあった。小学校ができたと聞いたのだが、週に1日しか学校がないと聞いた。それがあれよあれよという間に、子どもがたくさん集う、ボランティアの教師も集まる、国内外の企業から寄付の集まる、視察者の絶えない学校になっていった。「カンボジアだからでしょ」というのはやめてほしい。どこであっても、意思のあるところには蠢くものが大きくなり、出来上がるものがある。世界中にある「目立つ」学校は、まさに、誰かが既成概念の枠を外した学校を作っているのだ。

学校はどこにでも作れる(シンガポール)

学校とは、という話をしだすとややこしいので、ここでは書籍には書ききれなかった、本当は伝えたかった話を書いていく。一年前のちょうど今頃、私はシンガポールに出張していた。シンガポールでスタートし、アジア展開している Invictus International School とのミーティングだった。その学校はもちろんのこと、いくつものインターナショナルスクールを見学してきた。日本の学校は、公立学校はほぼ同じ様式(いわゆる画一的)な仕様で建物。グランド・プールが作られている。そして、私立の学校はそれらが少し(時にはいっぱい!)豪華になっている状況だと思う。

シンガポールは約720平方キロメートル(東京23区よりやや大き目)程の面積に約564万人が居住(2022年時点の人口)している、非常に人口密度の高い国である。土地がないから、埋め立てるか、高い建物を建てるしかない。そのため、非常に「効率の良い土地・建物活用」がコストパフォーマンスのキーになる。

・米軍駐留時の歴史的建物をそのまま校舎にし、学校運営。スポーツファシリティは近隣から時間を決めて借りる。スクールバスも学校が所有するのではなく、提携企業から借りる。
・駅の真上にある商業ビルの3フロアを借りて学校運営。他のフロアのテナントはオフィスだったり、飲食店だったり。スポーツファシリティは時間貸しで近隣から調達。
・ショッピングセンターの催事場が学校。平日5日間は学校運営しているが、土日は学校が休みだから学校がまるでなかったかのように見える。(だだっ広い広いスペースがあるだけ)

シンガポールは国民は必ず現地校に行かないと行けません。そして、インターナショナルスクールのように簡単には見学ができません。ちなみにシンガポールの現地校は、国民とそれ以外で学費が非常に大きく異なります。つまり、外国人も子どもを行かせたい公立学校なんですね。日本の学校も、外国の人が行きたくなる質になるといいな、と思っています。(余談ですが、今日本の大学に外国からたくさんの学生が来るようになっています。日本語の勉強をしないといけないけれども、学費・生活費が他の先進国に比較するととても安いから。どう解釈して良いのかわからないですね。)

学校は誰もが作れる(デンマーク)

こう書きながら、実は「日本でも、構想と資金があれば、誰でも学校は作れるぞ」と思ったりもしています。しかし、デンマークの学校は公立学校を保護者が一定数(20人ほどだった記憶があります)集まれば作ることができるというお話です。背景には「今ある学校がよくない」から「子どもたちのために代わりの学校を作る」ことができるということです。もちろん地域から補助金をもらうので、乱立させるわけには行きません。公立学校が自然淘汰されて質が保たれるというものです。逆に言えば、近くに学校を作られても困るので、学校側も質の担保を頑張るというトレードオフになっていると聞きました。サスティナブルな国なので、こんな北欧エコラベルの素晴らしい小学校もありますが、同じ金額なら素敵な校舎で学びたいですね。

デンマークというと、学校もそうですが、いろんな場所がマナビヤです。そして、「学ぶ人」は子どもたちや学生だけではなく、生きている人は皆学ぶ人なんですよね。 Halfway House という仕組みがあります。これは麻薬犯罪者等が刑期を終える最後の頃に、大学生等と一緒に生活し、今の社会の生き方を学び、社会復帰のソフトランディングを図る場所です。大学生は生活費が軽減できることと、ボランティア活動ができることが得られるものであり、犯罪者は再犯率が減ります。「学校の学び」のみならず、社会の中にこのような学びが組み込まれている国とも言えますね。

学校は誰もが学べる(カナダ)

「誰もが」というのは少し語弊があるかもしれない。ここで言う誰もが、は、外国籍の人も、障害がある人も、英語が話せない人も、手続きさえすれば誰もが学校に行くことができ、しかも、自分の状態に合わせて教室内でも手厚いサポートが受けられる、と言うことが言いたかった。

昨年の11月にバンクーバーで公立学校を視察したのだが、その時にも教師が「あの二人は英語が話せません」と言っていた。30人いない教室で、そのうち2人が引っ越してきて間がない中国からの学生だった。本来ならサポートの先生が横につくそうだが、予算の関係か、その日は二人は普通に机についていた。ただ、この地域には中国からの移住者が多いことから、中国語が普通に聞こえてくる。なので、サポートしてくれる友達がいたのだろう。

また、私が訪問したBC州ではほとんどみんなが家から近いセカンダリースクール(中高)に行くそうだ。つまり、受験等で偏差値に分けた学校に行くのではないそうだ。なので、たとえば数学のクラスも3段階に分かれていて、自分の今のレベルに合致したクラスを選択したり、教え方の好きな教師のクラスを選んでいた。

バンクーバーといえばインクルーシブ教育が有名で、世界的なリーダーにもなっている地域だ。日本ではどうしても同じような年齢や立場の人たちが集まることが多いのだが、コミュニティセンターひとつにしても、全ての年齢や立場、そして障害のある人たちも集まれる仕組みになっていた。市民プールは障害のある方が利用しやすいように、大きなリフトがあり、水に入りやすい施設となっていたり、いろんなところのアタリマエが日本とは違っていた。

ことに、学校で驚いたのは、授業についていけなくなったら、学校が斡旋している家庭教師を頼む仕組みだ。そして、図書館の学習室で教えてもらう。日本語にしたら「家庭教師」なのだが「個人指導」の方が正しいのかもしれない。学校が斡旋する、と言うのも驚いたし、図書館で教わる、と言うのにも驚いた。

書籍執筆が決まる前にさまざま見てきたものが、「たくさんの人に知ってほしい」と言う思いに繋がった。自分の目で見に行ったり、自分たちが関わる学校や公共サービス運営の参考になればと思う。


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