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「高崎市立」くらぶち英語村、に行ってきた。びっくりした。地元の小中学校に通いながら英語イマージョン での寮生活。

「子どもたちは2ヶ月経ったら変わるんです」との高橋秀郎村長の一言が忘れられない視察訪問でした。どんどん積極的になり、どんどん自分から考えるようになる、と彼は思うそうです。

「インターナショナルスクール が無い県にインターナショナルスクールを作りたい」、と宣言する前から日本の英語教育、というより日本人の英語をなんとかしたいと思い、いろんな情報を探していた。1年前に電話で話を聞いたのが、くらぶち英語村だ。くらぶちってどこ?という人が多いと思う。「北軽井沢(群馬県)にインターナショナルスクールを作りたいね」、と話をしていた仲間が、「高崎市にくらぶち英語村があるよ」と教えてくれた。以前より山村留学の形式で小中学生が地方のご家庭にホームステイしながら地域の学校に通うものがあった。また、最近話題の地域みらい留学のように高校生が地方の閉校の可能性のある学校に通いながら寮生活をするというものもある。大自然と共同生活をセットにしたもの。はなまる学習会とコラボした山村留学のお話を聞いたときには進化する山村留学を知り驚いた。子どもたちの変化を現地で教える先生が熱く語ってくれた。そして別なる進化形が英語イマージョンの山村留学だった。

最初に、驚いた特徴を列挙する
・料金は8.3-9.2万円/月だが、本来は4倍以上。高崎市の補助が厚い。
・定員は20人程度(全学年で)
・高崎市民じゃなくても入れる
・学力による選抜でなく、本人のやる気と健康で公平に
・生徒の出身は北海道から九州まで
・小4〜中2の生徒が混在
・生徒人数以上に大人のスタッフがいる
・子どもたちのサポーターはnative English speakerと英語が話せる日本人が半々(現在はnative 9人と日本人8人。以外に市役所職員3人、食堂etcにも日本人スタッフあり)
・高崎市立だけど、学校ではないから自治体のサポートは市長直轄の企画調整課が担当。教育委員会ではないことから独自の運営ができる
・9割の生徒がもう一年参加したいと言うが、ほとんどの生徒は泣く泣く退寮となる。(たくさんの子どもたちに英語村を経験して欲しいから運営側も辛い)
・・・・・・書ききれない。詳しくはこちらをご覧ください。

憩いの場。薪ストーブと高い吹き抜けが壮観でした。

しかし、もっとすごいのは子どもたちの頑張りからの成長ですね。最初は小学校2年生から受け入れていたそうですが、その子たちの生活を一部書いてみると。。。

※ちょっとだけ違っているかもしれません。詳しくはくらぶち英語村まで!
<以下は小学生の一日>
05:00 起床、英語で掃除や食事、朝のミーティング、体操
07:00 登校。 1時間ほど徒歩(4km)で登校、学校が終わったら下校
17:00 帰寮 宿題、食事・入浴、日々のルーチンを英語で行う
21:00 就寝 テレビ・スマホ・PCは一切使えません

みんなで田んぼを管理したり、一人ひとりの畑があって思い思いのものを作ったり。これまでの私が日本で見たきたものは「さつま芋を掘る」「稲を育ててみる」とどの学校も同じことをやってきていて、それを当たり前に思っていたのですが「自分の好きな野菜を自分の畑に植えて、育ててみるんです」と言われて驚いたし、そんな当たり前の発想ができていなかった自分が恥ずかしくなった。

さて、地域がどう変わったかにとても興味があったので聞いてみた。
nativeの先生が地域の小学校の外部講師として英語で世界の授業
・地域の70,80代のお年寄り向けの「英語で遊ぼう!」が大盛況
・薪が足りない、と月次の地域向けお便りに書けば、農家の方が軽トラで薪を持ってきてくれる
・・・・これまた、書ききれない。日本の学校の元ALTのnativeのスタッフが日本や子どもたちに関わって楽しめたり、自分が役に立つ嬉しさを感じてくれているのが伝わるお話だった。

学校は子どもたちだけでなく、地域の人たちが集まる場であったのにそうではなくなった昨今。しかし、廃校になった学校が地域の人はもちろん、日本中、世界中から人が集まる場所になったというのはとても皮肉なものだ。

元地域の3校が1校に集約されて廃校に。創立100年の碑が切なかった。

高橋村長はくらぶち英語村で生活をした子どもたちがどんな大人になったかを追跡調査したいと言っていた。私もそう思う。
「みんな、大人になったら、高崎市で働いてね」
「もちろん来るよ」

そんな会話をしたと聞いて嬉しくなった。

私はデンマークのフォルケホイスコーレで学んだのだが、外国人にも国からの補助があり、自己負担は1/3だけだ。そんなこともあり、デンマークに恩を感じている。それと同じことがここでも行われていた。

最後になるが、立役者は高崎市長の富岡賢治だった。富岡市長が海外駐在も経験し、学校現場も経験した上で発想し、作ったのがくらぶち英語村だった。最初は廃校利用がきっかけだったが、旧小学校のリノベーションに4.5億円かかることがわかった後は、くらぶちの木を使った寮を同じ金額で新築することに変えたのも、市長が「変える」決断ができる人だったからではないかと思う。トップの経験が町を、子どもたちの未来を変えると確信した好事例が近くにあったことをありがたく思った。

初年度の問い合わせが、関東への新聞広告で2日で2000件あったというだけでも、たくさんの家庭が子供の英語力を気にしていることが窺える。月額料金は安いとは言えない。しかし、無駄なお金を何かに使うより、子どもの経験・教育投資に振り向ける方がその子や家庭だけでなく、日本や地球の未来に繋がる投資になることを保護者の方々にはわかって欲しい。我が家も中学までは公立の学校だった。公立だから日本全国一律の教育が受けられて十分だと思っていた親の1人だ。仕事で教育に関わるようになり、子どもが入っていた金魚鉢をぐーーーーんと広げる必要があると思ってインターナショナルスクールへの転校を勧めた。「お母さんの英語力では、お子さんはうちの学校に入ることはできません」と日本のインターからのメールの返信を見て涙が滲んだこともある。気づいたときには遅い、ことはたくさんあると知った。

子どもたちの選択肢を準備できるのは、ほとんどの場合は子どもたちの周りの大人に限られている。私は焦っているのだと思う。けど、1人でも多くの子どもたちの未来をより楽しいものにしたい。

くらぶち英語村のfacebook より


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