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Vol.1 教育格差は情報格差からも(日本)

日本のアタリマエを変える学校たち」(新評論) 出版は2024年7月12日。それに先立って、書籍の内容を書くことにした背景などをこのマガジンでは書いていきたい。

最初に断っておくことがある。日本の教育格差についてはいろんなところで言われているが、私は、国際化やグローバルな視野の育成について言及したい。


Vol.1 国際的視野に関する教育格差(日本)

教育格差はこれまで保護者の経済状況に寄与すると言われてきた。私もそう思う。これまでは「日本にいながらの学びの格差」について言及されることがほとんどだった。つまり「学力」の開きを課題としている。

「 「教育格差」とは、保護者(以下、親)の学歴や所得、出身地域、性別など、子ども本人には変更できない初期条件(「生まれ」)によって、到達する学歴に差がある傾向を意味する。」(龍谷大学社会学部社会学科准教授松岡亮二のレポートより抜粋)

教育格差の要素として取り上げられるものを列挙すると、経済格差・人種差別・就学前の教育・学校間格差・学校外教育と書かれている。(wiki 教育格差) もしかしたら国際的視野は「学校外教育」でのみ培われたものだったし、研究が始まった頃にはインターネットはなかったに違いない。

学力格差(がくりょくかくさ)とは、同年代における学力(成績評価、進学状況等)の格差のこと。また、格差がある状態そのものを指す場合もある。
東京大学基礎学力研究開発センターが2006年に行った調査「第5回 基礎学力シンポジウム(2006年度)」では、
・家庭の教育力の低下
・保護者の利己的な要求の深刻化
によって学力格差は広がるという分析が出ている。

教育格差 wiki

「保護者の利己的な要求」ってなんなのだろうか?経済力の差によって、教育で家庭に使えるコストは大きく変わるだろう。

「年に一度は海外旅行にいきたい」と「子どもが塾」を天秤に乗せた時、「子どもの塾」を選ばないことが本当に教育格差につながるのだろうか?もしかしたら成績格差にはつながるかもしれない。偏差値格差?学力格差?

経済格差×情報格差の先

今回の「日本のアタリマエを変える学校たち」(新評論)を執筆した背景を説明したい。2022年、2023に書籍の中にある学校や団体を訪問した。さまざまなこと(書籍で紹介)に驚き、いろんな人に訪問先の話をした。しかし、私の周りにいる、同じような考えを持つ人たちであってもそれらの学校のことを知る人は本当にいなかった。

それは息子が学んだ UWC ISAK JAPAN も同じだった。家の近所の公立中学校の先生と話した際にも「いやー、初めて聞きました。どこにあるんですか?」と言われて驚いた。少なくとも学校関係者はISAKは知っているだろうと思い込んでいた。そこでわかったとことは、「情報は興味のある人の間だけで回っている」「届けたい人には届いていない」ということだった。

さて、皆さんは情報はどうやって手に入れますか?
オンライン検索
・友人同士の情報交換
・新聞、ニュース、テレビ等のマス媒体(インターネットニュース含む)
・オンラインのトーク番組や掲示板的なもの
・情報の購入
・知ってそうな人に聞く
情報発信することで自分に新たな情報が戻ってくる(誰かが教えてくれる)・・・・

他にもたくさんあると思うが、私には太字部分が多いと思う。しかし、デジタル媒体を使っていないと、リアルな人間関係には範囲があり、ほぼ似たような経済状況や学歴状況にある場合も多く、それを超えたネットワークを持つ場合は、ことに国際化教育については、世界にダイレクトに繋がっている職種・業種の人たちからの情報が一番正確だと思われる。経営者・IT関連社・海外赴任/移住経験者、スポーツ選手、アーティスト、、、残念ながら私はあまりそこにネットワークはないのだが、なぜ私がさまざまな国際化教育に関わる情報に辿り着けたかというと、運が良かったとしか言いようがない。

・外資系のスタートアップのIT企業で働く機会があったことで、これまでと違う情報が入ってきて一気に視野が広がった
・当時中学生の息子がいて「どうもこのままじゃ、英語が話せる人にすらなれない」と朧げに気がついて対策を練るために情報を集め始めた
・海外大学の日本事務所の役割でさまざまな日本の高校とやりとりをする中で、自分の高校時代とあまりにも変わってないことが多く、日本の教育現場がアップデートされていないことに気づき、「ヤバイ!」と思って、いろんな人と情報交換を始めた。

今にして思えば、私は経済的には恵まれた人だったのだろう。悲しいかな、似たような人たちと机を並べて仕事をしていたので、何もかもが「自分のアタリマエ」で生きてきた気がする。ある程度余裕のある暮らしをしていたから、誰かと比較する必要もなかった。そこそこに生きていくためには過不足がない毎日は、変化を必要としていなかった。今思えば、本当に自分のことしか考えていなかったのだと思う。

ところが、気づいてしまった。
・お金のある家庭の人たちはインターナショナルスクールに子どもをいかせている
・その先には海外の大学に行くという選択肢がある
・そのまた先には日本以外の国で働いたり起業したりという選択肢がある
・外資系企業の方が一般的に年収も高いし、若い時から任せられる仕事の内容が多い(年齢や経験ではなく、能力・やる気・やり抜く力で与えられる仕事が変わる)
・・・・

また、ある企業の人事担当者から聞いた話に驚いた。「同じ能力・成績の日本人がいたら、アジアの大学、欧米の大学、日本の大学の順に採用時には順位をつけます。だって、卒業することの大変さはこの順です。レジリエンスや助け合う力もそうだけど、大学時代に身につくものの幅が全然違ってるんですよ」と。

なんじゃそりゃ。外国人に囲まれて生きることで備わる能力なんて考えたこともなかったし、聞いたこともなかった。

つまり、情報に辿り着く力があれば、違い解を見つけられる人はいるのだ。たとえ経済的には大変でも。

自分で情報を探し出し、情報発信しながら高校留学の費用を東京のお医者さんに出してもらった岐阜の中学生(当時)鈴木陽平さんの話はとても有意義であり、ぜひ皆さんに読んでいただきたい。記事はこちらnoteはこちら。

地方と都会の情報格差

情報格差は経済格差とは異なるものの、結局は経済事情によって一緒にいる人が変わってくるので、どんな人が近くにいるかで入ってくる情報が違う。ご存知のように情報は正しいものもあれば間違っているものもある。その上、昨今はクリティカルシンキングが重要になってきていて情報を鵜呑みにしないスキルも必要になってきた。テレビで流れているニュースも別の側面から見たら、他の課題も見えてくるのは実際だ。

インターネットの出現で大きな誤解が生まれている。「インターネットは世界中と繋がっている。だから、日本の田舎にいても、東京にいてもニューヨークにいてもケニアにいても、情報が平等になった」と思っている人が多い。一瞬は正論に聞こえる。しかしちょっと考えて欲しい。本当にそうか?

インターネットができたことで確実に、「英語ができるかできないか」による情報格差が大きく広がったのと、興味のあるものが多い人ほど検索によって情報を得られるこています。そして検索スキルによっても得られる情報は大きく異なりますね。今だと、生成AIを使うかどうかもそこに繋がるし、それらのツールに投資するかどうかで得られるものは大きく変わっています。そして、「前に進んだ人は情報がたくさん得られるようになっている。そうでない人は何も変わっていないので、自分がだいぶ後ろの方にいることに気づかない」ということが起こっています。なので、「起こっている」と書いても、誰も何も気づいていないで、新しい世界に行ったり、元通りの世界にいるという状況です。そもそも「新しい世界」なんて必要ない、と思っている人もたくさんいるし、そうかもしれません。しかし、子どもの教育、特に国際化教育については、国の指針に則っていては遅れざるを得ないので、もしも子どもの選択肢をもっと、さらに広げたいと思う人は、どうしても自分が動くしかありません。子どもたちは今は小学生から英語も学んでいますが、日本の教育では英語は話せるにようにはならないので、周りの大人がサポートするしかないと私は考えています。

やはり都会はモノも情報もさまざまなきっかけも、地方より多いのは絶対です。ただ、情報を得られるスキルとネットワークを持てたなら、「学校がない」というような物理的なものを除いては、地方にいてさまざまな情報から子どもの教育や自分の人生を考え、行動することが可能です。なので、最近は地方の保護者の方々が親子留学等でマレーシアやハワイに移住することも増えています。物理的に子どもにいかせたい学校がないなら、あるところに行くしか手はありません。実はそんな思いのある人たちの間では情報交換がなされています。しかしながら「うちの子は公教育でいいのよ」と思っている場合は、まさに私がそうだったのですが、そんな情報は入ってきません。自分もいつの間にか遮断しているし、そんな情報はスルーしていますから。

ただ、「このままじゃまずい」ということに気づけたなら行動できたはずの人が一番損をします。「知っていたらこうしたのに」と思っても、子どもの年齢を遡ることはできないのですから。そこが私の思う、「インターナショナルスクールがそばにあるかないか、で人生が変わる」と言いたいことなのです。

日本と世界を比較しよう

ここで言いたいことは、他の国の情報を知らないと「今」が一番になるということ。いろんなものを比較して、選択しながら私たちは生きてきました。高校受験や大学受験もそうです。しかし、自分が住んでいる地域での比較や、日本国内での比較はするものの、他の国との比較をすることがとても少ないのが日本人ではないかと思います。

いつまでもいつまでも「東大合格者数」「京大合格者数」を豪語していてどうするのかと思う。どうせ競争するなら世界と競争したらどうなのだろうか。東大生や京大生の何%が英語が話せるのかは知らないが、彼らが世界の大学で学んだなら日本はもっと経済成長ができるのではないかと真剣に思う。ちょうど本日QS世界大学ランキングが発表された。それを何かの日本語のニュースのダイジェストでみたら、それで終わりになる。たとえば、ニュース例としてこちらをご覧ください。大学ランキングは一つの指標であり、これが学校や学生を評価するものではないし、指標の設定でランキングが大きく変わることも頭に入れておく必要があると思う。その上でこのリストを見たときに、「世界にはいろんな大学がある」「日本の外で学んだら何が変わるのか」と考えることをしてみてほしい。「そうか、100位に日本の大学が4校入っているのか、いいね!」で終わらないでほしいのである。

日本から海外に教育移住している人たちはなぜそんなことをするのか、を考えてみてほしい。「その人たちがそうしたいからでしょ?」はあまりにも考えていない。そこには必ず理由があり、さまざまなことを考え、情報を集めてその選択をしているのだ。

一人、二人、と「普通じゃない動きをしている人たち」は今後のトレンドになっていったり、何よりも、現状に課題を発見した人で、解決策がそれであったのだ。

「ヒトはヒト」は子供達の国際化を考える上で、捨ててほしい発想である。ぜひ、「なぜあの人たちは子どものために海外に行ったのか?」を考えてみてほしい。



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