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良い商品を通して人々の生活をポジティブに。挫折を経て見つけた原動力

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

今回インタビューしたのは朝山高至(@taasayan)さん。
現在、企業のSNSマーケティング支援をするホットリンクでマーケターとして活躍されています。そんな現状からは想像できない苦しんだ過去がありました。
パニック障害や不安障害のような症状が顕著に出始め、人と一緒にいることを避けるようになったそうです。そんな中、どう自分と向き合い、わくわくエンジンを見出し、今にいたるのか聞きました。

【図鑑 No.5】
お名前

朝山高至
お仕事
マーケティングする人、SNSとかやる人
わくわくエンジン
まだ確立されてない仕組みを作ること
良い商品を通して人々の生活をポジティブにすること
今はまだないものをつくり出すこと

学生時代に苦しんだ経験から得られた自分の一つの軸


ー ー 野球を高校3年までやってきたと聞いたんですけど、高至くんの野球との関わりについて教えてください

中学で世田谷西シニアという硬式野球のクラブチームに入りました。僕の代で全国ベスト8。毎年全国大会上位に入る超強豪チーム。チームで唯一全試合レギュラーで出て、全国ベスト8進出したときの決勝打を打って新聞に載ったりもしました。

高校は甲子園に連続で出るような強豪チーム。部員150人で、全国から野球推薦で入ってくる人が各学年10人。推薦で入学する選手は今もプロ野球で活躍してるような人たちで足の速さも球速も段違いでした。

ー ー そんな強者揃いの中で高至くんは?

150人の部員の中で試合に出れるのはたった9人。
ベンチに入って、公式戦も出たりしましたが、中心選手として活躍することはできませんでした。

そんな中、高校2年生くらいから、不安感、人に対する恐怖感が不意に襲ってくるようになりました。特に閉鎖的なところにいったり、人から視線を向けられると頭が真っ白になって汗がばっと出てきて呼吸が苦しくなったり。

ー ー 悩み始めたのは何かきっかけがあった?

今考えるときっかけになったかもしれないことが2つあります。

中学校生活では部活単位で仲良くなっていくから部活ではないクラブチームに所属していた僕は常に学校コミュニティの外にいて疎外感を感じていた気がします。

もうひとつは、高校時代に仲の良い野球部の友だちに「朝山お前、顔めっちゃ引きつってんじゃん」って言われたこと。
今まで表情とか気にしたことなかったから「え?自分って、人に対して嫌な感情を出してるんだ」って思い始め、「相手は自分のことを挙動不審だと思ってるに違いない」と過度に気にするようになっていきました。

そうすると、仲の良い友達と話すときもどんどん不安になっていきました。
自分が不安そうにしていることで、友だちに不審に思われることが嫌で、ほんとはすごく大事な友だちなのに、自ら避けるようになっていってしまったんです。

どんどん周りの友人を失っていき、強い孤独感を感じ続けました。

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ー ー そこからどうやってその症状と向き合っていったの?

学校に認知行動療法の先生がいたのでカウンセリングに通うようになりました。その当時は学校のカウンセリングルームに行くことにカッコ悪さとか後ろめたさのようなものを感じていて、周りの人に見られてないか気にしながらこっそり、、、

カウンセリングを続けていくうちに、少しずつ「客観的事実」と「自分の認知」「感情」「行動」を区別して、整理できるようになっていきました。

今までは「僕は相手に不快感や不安感を伝えてしまっていて、相手は自分のことを挙動不審だと思ってるに違いない」というごりごりに凝り固まった認知が自分を支配していたのですが、「自分はこう認識してるけど、事実は違うかもしれない?」という認知の余白を作ることができるようになっていったんです。

また、今までは不安を感じるシチュエーションをあの手この手で「回避」することに全力だったのですが、少しずつストレスを感じる状況に身を晒し、不安を感じている自分を第三者の目線で実況中継するということを続けました。
この訓練を経て、「強い不安感を感じるけど、自分を不安に晒し続けると意外と少しずつ不安が下がっていく。人間は動物だから機能として不安感を継続的に感じることは不可能なんだな」ということを身をもって理解することができました。

大学に入ってからも、高校の時のカウンセリングの先生が民間でもやってることを知って継続的に診てもらいました。今でもたまに相談にのってもらったりしていてすごくお世話になってます。恩人です。

ー ー そんなとき家族はどんな様子だった?

思春期の時って(知識もなかったせいか)カウンセリング通う事がやばい奴みたいな気がしていていたし、カウンセリングってお金がそれなりにかかるけど、家族は自分のことを第一に考えて「周りのことは気にせず、どんどん周りに支援を求めな」と言ってくれました。
兄貴たちもいつも気にかけてくれて、とにかく家族は寛容でした。

ー ー 大学在籍中はどう過ごしていたの?

コミュニティに入ることに恐怖を感じてたからサークルにも入らなくて、友達も数えるほどしかいなかったです。
周りになめられたくないという気持ちが強くて、無理して遊び人ぽさを出そうと頑張ってたりもしましたが、基本的には必要最低限学校にいって、帰ってきて、家で引きこもる、みたいな生活でしたね。

そんな中で母が心配して、いろんなボールを投げてきてくれましたね。異なる文化を見たり経験することに興味を持っていたので、海外にいろいろ行かせてくれました。多分15カ国くらい行ったんじゃないかと思います。

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親は、本人が興味を持っているんだったら何事も経験させてあげることが良いと思ってたんだろうなと思います。
あとは、いくつかのNPOでインターンもしていました。

ー ー インターンはどういう流れで?

アメリカでハーバード大学の社会起業大会やソーシャルビジネスを見て回っていたとき、キズキというソーシャルスタートアップ(「何度でもやり直せる社会をつくる」をミッションに個別指導塾事業や就労支援事業などを展開)で働いてる人がいて。自分の挫折体験や、認知行動療法について話したら、一緒にやらないかと誘ってくれたんです。

ー ー キズキでのインターンはどうだった?

東京都若者社会参加応援事業という都の事業を受託して、引きこもりの若者たちのコミュニティづくりとか、イベントコンテンツの企画・運営とかをやりました。あまり仕事とかできるタイプじゃなかったんですが、自分の挫折体験を割とオープンに共有してたら、参加者の人たちがそこに共感してくれて、参加者が増えたり、相談してもらえるようになっていきました。

目の前の人にポジティブな影響を与えながら自分も周りから認めてもらえる。この経験を通して自己肯定感が育まれて、周囲の人とのコミュニケーションにも自信を持てるようになっていったんです。

そこから「社会的に弱い立場の人の手助けをしたい」というのが自分の一つの軸だと感じるようになりました。

大学3年のときに見つけたわくわくエンジンから広がったWEBマーケティングの世界


ーー 初めて見つけたわくわくエンジンを教えてください

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大学生の時、ひきこもり時間を活用して音楽制作に没頭してました。ギター、ドラム、ピアノ、コーラス、ベースを組み合わせて全部自分で作り上げることが面白いなと。そこから

『パーツを組み合わせて自分独自のなにかを作る』

みたいなところが自分のわくわくエンジンなんじゃないかと思っていました。

当時、キズキにWebエンジニア兼マーケターをやっているインターンの先輩がいて、自分の専門領域を持ってやってるところがカッコイイなと思い、憧れを持ち始め、インターンもWebマーケティング分野で関わらせてもらうことにしたんです。

Webマーケティングも、SEOやSNS、デジタル広告運用、UIデザインやライティングとか色んな要素やスキルを組み合わせてサービスを伸ばしていくという点が面白くて、どんどんとWEBマーケティングの世界へのめりこんでいった。これって音楽に没頭したのと同じわくわくエンジンが働いているなって感じました。

ー ー 大学4年、就職間際でまたひきこもり始めた?

インターン先に就職することが決まってたのですが、先輩たちからのフィードバックを自分への人格否定として捉えてしまい、どんどんとメンタルが落ち込んでいきました。

しまいにはインターンに出社できなくなり、またひきこもり生活に、、、

社会人生活スタート間近の2月。周りはみんな内定決まってて内定者飲み会とかしてたのに、ぼくはただひたすら家にいました。

焦りはじめた僕に、家族やキーパーソン21の人が「まだ募集している企業あるから今からでも就活してみたら?」と。でも就活なんて何もわからなくて、、、

ふと、NPO向けのWebマーケ勉強会で知り合ったムロヤさんという人のことが思い浮かびました。以前話したときの「知識量と頭の回転、話すスピードが凄まじい」という記憶が鮮明に残ってたからです。
そこでムロヤさんに相談してみることにしてみました。

そしたらまさかの、「うちの会社くる?」と誘ってくれました。自分を誘ってくれる人がいるなんてすごい嬉しかった。

その会社は人材系ベンチャーで、会社訪問にいったら役員の人たちも気さくで優秀だったし、マーケティング部に入れてくれることになって。

「こんな土壇場で入ってくる学生大丈夫か」と思ってたとは思いますがw

初めて自分のわくわくすることを軸に決めた転職


ー ー 劇的な就職劇を遂げて、今は?

新卒入社時は30名規模の会社だったのですが、2年ほどで社員も10倍に増え、まさに10xの事業成長を経験しました。基幹事業のデジタルマーケティング全般をやらせてもらえ、わくわくと仕事ができましたし、個人としても圧倒的な成長ができたと思います。

温かい上司や同僚に恵まれて、これ以上ない環境だったのですが、新しい領域に挑戦したいと思い転職することを決めました。転職サービスは使わなかったのですが、ありがたいことにTwitter経由や人づてで複数社からのオファーをいただけました。

新卒入社の時は、「彷徨ってたら拾われた」って感じだったけど、今回の転職は複数の選択肢からわくわくする方向を自分の意思で選べたと思います。

ー ー どういうところがわくわくしたの?

ちょっと専門的な話になってしまいますが、例えばリスティング広告(Googleなどの検索結果に表示する広告)とかSEOって、こうしたら企業の売上につながるっていう「正攻法」がある程度できあがっていると思うんです。

一方でTwitterやInstagramといったソーシャルメディアを活用したマーケティングって、「フォロワーの増やし方」みたいなテクニックは世に出回っていても、企業が売上を伸ばしていくための方法論がまだ確立されていない領域なんですよ。

ホットリンクは今、ソーシャルメディアマーケティングにスタンダードを作ろうとしてる。

ソーシャルメディアの本質は、SNSを通して発信ができるようになった個人の集合体。ソーシャルメディアマーケティングは、企業がフォロワーを増やして情報を届けるだけの話ではなくて、ひとりひとりの生活者に自分のブランドについて話題にしてもらうためにどうするかということ。

一人ひとりの発信によって、良い商品やサービスがより多くの人に伝わり、売れていく。

まだ確立されてないこの仕組みを作り、普及していくことで社会にポジティブな影響を与えていける。
そう思ったらすごく”わくわく”したんですよ。

これって、大学生時代に「パーツを組み合わせて、自分独自の何かをつくる」っていうところを面白がった時のわくわくエンジンに通じてるなーと思いました。

今、わくわくする仕事に没頭している高至くんのこれから


ー ー 最後に、今の高至くんのわくわくエンジンは?

「今はまだないものを作り出すこと」かなーと感じています。

ー ー 今後はどんなことしていきたい?

支援させていただいてるクライアントは商品やサービスを通して、社会にどういうポジティブな影響を与えていきたいというミッションが明確で、僕も一顧客として使わせていただくと、どれもパッと気持ちを明るくしてくれるものばかり。

この仕事を通して、過去の自分みたいにネガティブな気持ちを持っている人たちに商品や情報が届いて、人々の生活をポジティブにしていけたら良いなと思っています。


編集後記
普段ふわふわしていて掴みどころのない高至くんですが(あくまでも個人的な印象ですwww)、今まで経験したこと、感じたことにしっかりと向き合って自分でしっかり考えてきた姿がとってもカッコ良かったです。

(ライター:うる)

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わくわくエンジンって何?はこちら


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