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人が人とうまくやっていくために。わくわくエンジン®+αの大切なコト

わくわくして動き出さずにはいられない原動力わくわくエンジン®を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン®図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

みなさん、お元気ですか?
キーパーソン21副代表理事をしております、下川原彩です。新型コロナウイルスの影響を受けて、何でも我慢、な空気感ですが、自分の感情は「自粛」せず解放していきたいですね。大きく呼吸をして、ありのままの自分と向き合っていきましょう。

【図鑑 No.6】
名前

下川原彩(32歳)
お仕事
現状を把握し未来を考えながら、まちや人を元気にする仕事(市役所勤務)
わくわくエンジン®
(1)自分がいいなと思う人やものの可能性を引き出して、それに興味をもってもらえるようにすること(10年ほど前~今現在)
(2)変化や変遷を見ながら、人の本質を知ること(令和2.4.6発見)

私は大学卒業後、新卒でキーパーソン21の職員となり丸5年間働きました。そして、地元北海道でこの活動を広げたいと思い帰郷しました。現在、日中は市の職員として働き、それ以外の時間でキーパーソン21チーム北海道(支部的グループ)の運営をしています。これまで主に関東圏でたくさんの人に出会い、たくさん愛されて、こんなに大きくなりました(笑)みなさん、本当にありがとうございます。今日は、私の人生について、ちょっぴり振り返ってみたいと思います。

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両親のケンカが絶えない家庭に育った、幼少期から思春期の辛い思い出

私は夫婦仲の悪い両親のもとに育ちました。母は仕事にやりがいをもって働いている一方、父は仕事を辞めたい、辞めたいと言っていました。夫婦ですからいろいろあると思いますが、そんなことがきっかけで、よくケンカをしていました。私は何も言えず、感情を押し殺していたと思います。なんでうち(家族)は仲良くできないんだろう?なんでこんなにギスギスしているんだろう?と思いながら暮らしていたんです。そんな中、同居していた祖母(母方)だけが私にとって心の拠り所でした。家族の課題や問題をわかっている祖母と一緒にいる時間は、私にとってリラックスできる大切なひとときだったように思います。私が中学生の時、父が単身赴任のため家を出ることになり、その後は平和な日々が続いたのですが、年末に父親が帰ってくることがわかっていたので、その日が近づくと嫌な気持ちになっていたことを覚えています。

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大学時代に偶然出会った本と人とN P Oの活動が私の人生を変えた

大学では経営学部に進学しました。2年の夏頃から「勉強一つひとつはおもしろいけれど、このまま勉強を続けて、私は社会で何の役に立つんだろう、自分をどう活かせるんだろう」と考え始めました。当時大学を辞めて(わかりやすく)人の役に立つ仕事として看護師になろうかなどと考えていたんです。

ある日、深夜に放送していたN H Kの『一期一会』という番組で、初めて「社会起業家」という言葉を耳にしました。すぐにインターネットで検索し、そしてN P O法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんが書かれた『「社会を変える」を仕事にする』という本に出会ったのです。ここで初めて「社会的起業」という働き方を知り、興味を持ち始めました。

そんな時、大学の先生から当時キーパーソン21の学生代表をしていた女性の先輩を紹介されました。実は私が中学生の時に総合学習が始まり、地元のまち調べをする中で、私って世の中の仕事を全然知らない、もっと色々な仕事や働き方を知る教育があったら良いのに、と思っていたのですが、まさにキーパーソン21はそういう活動をしていたのです。そしてすぐに事務所を訪ね、学生会員として活動しようと決めたんです。

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新卒で「NPOで働く」という大きな決断

大学時代からの私のわくわくエンジン®は「自分がいいなと思う人やものの可能性(魅力)を引き出して、それに興味をもってもらうこと」。

当時、私は就職活動中で、一般企業に内定していました。しかし、朝山さん(キーパーソン21代表理事)から「キーパーソンで働く可能性ってある?」と聞かれたことがありました。可能性はある・・・と思い、そこから初めて自分のこれからの人生をどうしたいのかを考えるようになりました。(キーパーソン21で活動していた人間なのに!)考えてみると、こんなにも寝食忘れてのめり込むように活動をしている自分がいることに気がつきました。でも内定していた一般企業に就職するか、当時は新卒で働くという人がほとんどいなかったNPOで働くか、とても悩みました。

そんな時友人から、NPOで働くのはもったいない、と言われたんです。「もったいない」、その一言に大きな違和感を覚えました。キーパーソン21の考え方、活動はこれから絶対に必要になる。そして、NPOという市場がますます大きくなっていくこのタイミング(当時2010年)で、ここで働かないほうがもったいない、と思うようになりました。そしてまだまだ認知度の低いキーパーソン21の考え方を、活動を、自分の力で一人でも多くの方に興味を持ってもらえるようにしたい、そう思った時、私はとてもわくわくしたんです。ある種の使命のように。

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年末年始で実家に戻った時、祖母が内定していた企業に勤める直前の孫に対して、「何かあればここに帰ってくればいいよ」となにげなく言ってくれたんです。たしかに・・・私には帰ってくる場所がある、そう思えるようになったら、心が軽くなりました。

帰省から戻り、そしてキーパーソン21で働く決意をした後、電車の中で母にその旨をメールで伝えました。母はもともと心配性で、私には安定した道を進んでほしいときっと望んでいたと思うので、反対されるのではないかと不安でした。案の定、最初の返信は「大丈夫なの?」と心配するものでした。でも私の中では意思が固まっていたので、それをきちんと伝えなければと思っていました。すると5分後くらいに2通目のメールが届きました。そこには「援助はできないけれど、応援はするよ」というメッセージが。おそらく母は本当に心配だったんだと思うし、反対だったんでしょう。ただ母の中で5分の葛藤の末、私のことを尊重してくれ、応援しようと思ってくれたんだと思います。その母の一言に心震え、思わず電車の中で涙が溢れました。忘れもしない、小田急線内での出来事です。

「わくわくエンジン®」に出会って気づいた両親のケンカの原因

「わくわくエンジン®」の概念に出会い、キーパーソン21で働き始めたあとで、ふと気づいたことがありました。それは両親の夫婦喧嘩の原因のこと。きっと父がわくわくエンジン®をわかっていて自分を活かし、やりがいを感じながら働き暮らすことができていたら、きっと自分自身の心が満たされ、うまく家庭運営できていたかもしれない、ということです。

そして、今まで私の中では、原因は父のせいだと思っていたんです。そして父ばかりを心の中で責めていました。でもこれまでの両親のことを振り返ってみた時、ケンカの原因は父だけの問題ではないな、と思いました。母のコミュニケーションのとり方にも問題があったんじゃないか、そしてそれに向き合わなかった父も良くなかった。さらに言えば、もともとの育ち方、育てられ方も異なり、互いの考え方、価値観が異なる2人は(言葉は陳腐になってしまうけれど)相性が悪かったのかもしれない。だから仕方のないことだったんじゃないかな、と思えるようになったんです。もし両親が互いのわくわくエンジン®がわかって、互いの考え方や生き方を尊重する向き合い方をしていたら、時にケンカしながらも、幸せな家庭を築けていたかもしれないと思うようになりました。

キーパーソン21の活動が今の私をつくり、そして前向きな婚約解消をした

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キーパーソン21で活動する中で多種多様な人や価値観と出会えて、本当に多くのことを学びました。それは「物事や人の本質に着目すること」、「今目の前にないもの(例えば活動資金、ネットワーク等)をどう生み出し、あるものをどう活かすか」「人からどう思われているかを気にする人生からの脱却」の大事さ、などなど。今は地元北海道に戻り、キーパーソン21の考え方を北海道でも普及したいと考え、ゼロから「チーム北海道」を立ち上げ、10名程で活動しています。

そしてプライベートでは、婚約解消したんです。(突然の告白・・!)
ある時彼とケンカし、原因はわかっているのだから、ただその原因を取り除けば仲直りできるのに、彼から「ケンカしたからもう無理」と言われたんです。ケ・ン・カ・シ・タ・カ・ラ・モ・ウ・ム・リ・・・?その価値観は私には理解できなかった。どうにもこうにも、互いに納得のいく「向き合う」に至らなかった。あれ?私、両親と同じことをしている?そんな関係性の危うさに気づき、私が理想とする「家族」を築けない予感(その予感はきっとお互いに)がして、さよならすることにしました。

(プログラムをやったわけではないので正確にはわかりませんが)日常の様子から、彼のわくわくエンジン®のようなものは感じ取っていて、それを仕事に活かせている人でした。・・・でも、それぞれがわくわくエンジン®がわかっている状態だけでは幸せになれない。それだけではきっと足りない。必要なのは、一人ひとりの中にある揺るぎないわくわくエンジン®を互いに認めることと、相手がどんな人で、どんな考えをもっていて、悩んでいて、これからどうしたいと思っているのかを互いに理解し、尊重し、寄り添い、そして応援し合えるような関係性を築ける土壌を少しずつ育んでいくことが大切だと思うんです。そうすれば家庭はもちろん、きっと、職場の人や友人など周りのいろんな人にも優しくなれるのかも。だって、自分がそうしてもらえたら嬉しいじゃないですか!プラスの循環の大元は、きっと一番そばにいる家族とのコミュニケーションにあるんじゃないかなと思うんです。

キーパーソン21での活動のフルコースを経て、自分の人生を主体的に生きていけるようになった

私はわくわくエンジン®を発見したことで、主体性が引き出され、自分に自信が持てるようになったんです。自立するということは、自分に自信を持つことなんだと思うようになりました。自分を活かしながら自立し、人が人とうまくやっていくためには、わくわくエンジン®がわかることと、もう一つ大切なことがある。一人だけの人間世界ならば、わくわくエンジン®発見だけで良いかもしれない。でも、家族をはじめとする社会は、多くのいろんな人のもとに成り立っている。だから、相手を受け止め、真の意味で尊重するという「+αの大切なコト」の絨毯の上に座って、人と向き合っていけたらと思うんです、これからも。それが、良い社会づくりの一歩だと思うから。

わくわくエンジンって何?はこちら


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