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大好きな川崎のために、そして、未来を創る子どもたちのために今の僕ができること

今から20年前の2000年に川崎の地で産声をあげたキーパーソン21。まだよちよち歩きだったキーパーソン21を見守り、ここまで支えてきたのが、「やっさん」こと齊藤安司さんです。
大手企業を定年退職後にキーパーソン21の一員となりました。なんと、御年79歳!一般的には引退して悠々自適に老後を楽しむ…そんな年齢です。80歳を目前にした今もさまざまな活動を続ける、その原動力は何なのでしょうか?そして、やっさんが見てきたキーパーソン21の歴史とは?!

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

【図鑑No.23】
お名前 
齊藤 安司(やっさん)
お仕事 
キーパーソン21の元祖金庫番
わくわくエンジン
知らないことを知ること
そして、そこに至るまでの課題を仲間とともに一つひとつクリアしていき、その先にある成功をみんなで味わうこと

生まれ育った川崎に恩返しをしたい


ーー 来年80歳を迎えられるということですが、今もさまざまな活動に携わっていらっしゃるそうですね

僕は昭和16年に神奈川県の川崎市に生まれました。それからずっと川崎に住んでいます。戦時中からずっとです。だから、地域に恩返しをしたいというか、地域のために活動するのは、ごく自然なことだと思っていて。

結局、僕は川崎が好きなんですよ。

これまでに、青年会の立ち上げ、子ども会の会長、地域の盆踊り、祭礼の企画など、いろいろやってきました。今は町内会の会長や社会福祉協議会の会長をやらせてもらっています。こうした活動は、川崎に住んでいる限り死ぬまでやっていくつもりです。

ーー キーパーソン21の活動には2007年から携わっているとのことですが?

定年退職後、66歳の時に川崎市から紹介されたことがきっかけでした。いわゆる大企業に長く在籍していた人材を地元の中小企業に活かす目的で、商工会議所内に「達人クラブ」というものが立ち上がったんです。30年も40年も一つの企業に勤めていれば、それはもう一種の達人だろうという発想だったのでしょう。僕は、もともと子どもが好きだったこともあって、教育に携わりたいと伝えました。それで、連れて行かれたのがキーパーソン21の事務所だったんです。

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ーー キーパーソン21ではどんなお仕事を担当されたのですか?

当時、キーパーソン21は経産省の予算のついたプロジェクトに携わっていました。川崎市の小中学校にキャリア教育を浸透させる目的で立ち上がったプロジェクトの中心的な推進部隊がキーパーソン21だったのです。
ところが、僕が入った直後にそのプロジェクトは終了。主となる収入がなくなり、寄付や会費、パートナーからの収入が頼りとなってしまったんです。それで、やむなく人員を整理する必要も出てきて…。

しんどいことではありましたが、それにまつわる経理や役所関係の仕事を担当しました。本当は子どもたちと接したくてキーパーソン21に入ったのだけど、そんな状況から経理や役所関係の仕事を引き受けることになったんです。

科学者になりたい!という夢を抱いて


ーー キーパーソン21の活動に加わる前も、経理などのお仕事だったのですか?

いえ、全然違います。むしろ、経理などはまったくやったことのない畑違いの仕事です(笑)僕は、研究職一筋だったのです。高校卒業後に石油会社に就職し、その研究所に定年まで勤務しました。

子どもの頃、父親から「ナイロンの靴下ができた」という話を聞いて感動したことを今でも鮮明に覚えています。それまでの靴下は絹でできていました。ナイロンの原料は石炭。だから、「そんなものから靴下ができるんだ!!」と子ども心にすごく興奮して。父親に科学博物館に連れて行ってもらったり、キューリー婦人の伝記を読んだりしたことも影響して、小学生の頃から「科学者になりたい!」と思うようになりました。

僕は、営業や机の上に向かい続けるような仕事には、まったくわくわくしないのです。だから、高校の先生にも「会社は問わないから、とにかく研究所で働きたい」と言いました。それで、いくつか受けた中で石油会社からご縁をいただいたというわけです。

入社後には同期の仲間とともに夜間大学で学び、無事卒業することができました。好きな仕事を精一杯できたから、本当におもしろい会社員生活でしたよ。

ーー「研究」のどんなところにわくわくを感じるのでしょう?

会社員時代には、実にさまざまな研究に携わりました。例えば、灯油の硫黄分を取るための触媒の研究なんかも夢中でやりましたね。僕は、熱中するとお昼ご飯を食べるのも忘れてやり続けちゃうんです。だから時々、「やっさんがお昼休みを取らないと、後輩たちは遠慮して休憩できないよ。」なんて指摘されることもありました(笑)

実験というのは、自分たちの仮説にもとづいて実験→失敗→また実験、というのを何度も繰り返します。壁にぶつかってもあきらめずに一つひとつクリアしていくと、いつか大きな成果に繋がる。誰も到達していないところに最初に到達するって、すごく夢があるじゃないですか?そんなプロセスや新たな発見が好きでしたね。

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わくわくエンジンの正体


ーー ということは、「新たな発見」がご自身のわくわくエンジンですか?

以前に見つけたわくわくエンジンは「知らないことを知ること」です。言い換えれば、「新たな発見」ですよね。でも、もっと突き詰めて考えてみると、そこに至るまでの課題を仲間とともに一つひとつクリアしていき、その先にある成功をみんなで味わえることがすごく嬉しいんです。これは実験でもそうですが、別のことにもあてはまります。

例えば、かつて携わった地域の盆踊りの企画。当日、僕は踊りません。でも、結局一番楽しい思いをさせてもらっているのは、踊っている人たちじゃなくて、僕ら運営側なんじゃないかなと思ったんです。

当時はまだ現役でしたから、仕事をしながら盆踊りの企画を進めるのは並大抵のことではありませんでした。仕事している傍らで、「櫓はどうする?」「子どもたちの踊りの練習はどうする?」とか、考えなきゃいけないことがいっぱいある。ついには、「金魚は何匹用意しますか?」なんて、職場に電話がかかってきちゃうんですよ(笑)

でもね、盆踊りを通じて地域のみんなの笑顔が見られる喜びは、企画した者にしか味わえない特権だなって思うんです。そういう喜びも僕のわくわくエンジンかもしれません。

子どもたちに自分の目で見ることの大切さを伝えたい!


ーー いま、キーパーソン21の活動でどんなことが一番楽しいですか?

やっぱり学校に行くのが一番楽しいです!学校に行ってプログラムをお届けするたびに、子どもたちが手紙をくれるんですよ。そこには、「やっさんの話がおもしろかった!」とか、「やっさんの言ったことを実行してみたらうまくいきました!」とか、子どもたちの生き生きとした言葉が綴られているんです。その手紙を僕はずっと取ってあります。

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同じ小学生・中学生・高校生でも、いろんな子どもがいる。年齢が同じでも、地域や学校によってカラーが違うというか、特色があるんですよね。素朴な子どもたち、ちょっと大人びた子どもたち、やけに物わかりのいい子どもたち…さまざまです。でも、どんな学校におじゃましても共通しているのは、先生ではない“第三の大人”が関わることで、いつもの授業とは違う好奇心や集中力が生まれること。たいてい2コマ続きで時間をもらってプログラムをお届けるするのですが、その間、休憩は入れません。それくらい子どもたちは夢中になって集中します。プログラムが終わる頃には僕らスタッフとの距離もぐっと縮まって仲良くなる。

プログラムのあとに一緒に給食を食べることもあるし、食べながらゲームみたいなことをすることもあるし、本当に楽しい。帰りがけに、「やっさーん、また来てねー!」なんて言ってくれるんですよ。つい先日も地域の小学校に行ったら、一年生の男の子に「オッス!」って言われました(笑)

ーー これまで子どもたちにどんなことを伝えてきたのでしょう?

ある時、こんなことを聞いてきた子がいました。「将来お医者さんになりたいけど、小説も書きたいんです。そんなことってできますか?」と。僕は、「簡単ではないけどできるよ。実際にやっている人もいるよ。森鴎外だってそうだよ。」と答えました。夢は一つである必要なんてないし、あきらめる必要もないことを伝えたかったのです。

また、かつて子どもたちに「やっさん新聞」(※かっこいい大人ニュースというプログラム)というものを作ってもらったことがあります。その新聞を作るために、子どもたちは一生懸命僕を取材するんです。「仕事で失敗したことは?」「その失敗をして怒られた?」「失敗から学んだことは?」などなど。僕は勤めていた石油会社の研究所で実験中に起こしてしまった爆発のことなどを話しました。それらはぜんぶ僕自身が体験したリアルな話だから、子どもたちも夢中で聞いてくるし、仕事の手触り感が伝わるんですよね。

ーー 確かに、実際に体験したストーリーには説得力がありますよね

僕が体験した話もそうですけど、できれば子どもたちにも実際に体験してもらいたいと思っています。例えば、「光」について。光は粒子でもあり、波でもあるのですが、それは実験で証明することができます。実験をすると、見えないものが見えるようになるんですよ。一方的に教えられる知識はたいして定着しないけど、自分が体験したことは記憶として残るんです。

小学校6年の時、学校でモーターを作る実験をしました。だけど、僕のモーターが回らなかった。それが悔しくて悔しくてね。きれいにニクロム線も巻いたはずなのに何故なんだろう…!と。ところが、中学生になったある日、理科の教科書を見てようやくその理由がわかったんです。あの時のモーターは、ニクロム線をきれいに巻けてはいたけど、途中で巻く向きを変えていたんですよ(笑)小学校6年の僕は、フレミング左手の法則とか、そういう原理をきちんと理解していなかったから。こうやって得た知識は絶対に忘れるわけがありません。

僕らが中学校におじゃまして、「蝶やセミの脱皮、トカゲがハエを取るところ、食用ガエルがトンボを取るところを見たことがある?」と聞くと、手を挙げる子はほぼいません。みんな知識としては知っていますけど、見たことがないんです。ちなみに、僕は全部見たことがあります。だから、「朝8時前に○○○に行ってみな。セミの脱皮が見られるよ。」って教えてあげるんです。自分の目で見たものに勝るものはないですから。キーパーソン21でもそんな風に子どもたちに理科を教えられたらいいなぁ…(笑)

20年の歴史を経てさらなる飛躍を!一人ひとりが輝ける社会の実現に向けて


ーー 長きにわたりキーパーソン21に関わってきたわけですが、これからのキーパーソン21についてはどんな風に考えてますか?

2000年に立ち上がったキーパーソン21は、ある時期から急拡大しました。それに対して組織が追いついていない面があるので、そこが課題だと思っています。
本来、私たちNPOも含めた法人には、「法人としてのあるべき姿」があります。ただ、これまでのキーパーソン21はとても小さくて、その「あるべき姿」という枠に嵌めてしまうことで身動きが取れなくなる恐れすらあった。これは僕の持論ですが、「あるべき姿」は法人の規模によってもっと柔軟であってもいいと思うんです。そういう意味から、まだよちよち歩きだった時期には行政とも随分いろんな交渉をしましたよ。うちは川崎市で初めて認定を取ったのですが、その時も試行錯誤で本当に大変でした(笑)でも、組織が大きくなってきたら話は別。それなりの責任が発生します。「こうじゃなきゃいけない」という枠にとらわれる必要はないけど、果たすべき責任を果たすために組織も成長していく必要があります。

それと、キーパーソン21の考えをもっともっと広めたい。僕らがどんなに学校に行っても、日本全体で見たらキーパーソン21のプログラムを届けられる子どもの数なんてほんのわずかです。それよりも、地域や保護者を巻き込んで、そこから伝播させていったほうが遥かに多くの子どもたちに届けることができる。だから、お母さんたちをもっともっと巻き込めたらいいと思っています。そのためには、キーパーソン21が日本全国の地域に根を張る必要もあるんじゃないかな。せっかくキーパーソン21には優れたプログラムがあるのだから。

あとは子どもたちの居場所問題。居場所のない子どもっていうのは目立たないから、地域の大人たちがもっと目配りしていく必要があります。そういう意味では、「なかわく」や「こすわく」はすごくいいと思います。あそこにいた子どもたちは、ずっと繋がりを持ち続けているんですよ。あそこが安心できる場所、帰る場所になっているんですよね。キーパーソン21として、居場所の役割を担い続けると同時に、さらに力を入れていきたいですね。

「なかわく」:「なかはらわくわく学習室」のこと。川崎市から委託を受けている学習支援居場所作り事業です。中丸子と新城の2教室でそれぞれ週2日やっています。(コロナ禍で一部オンライン対応)
「こすわく」:「こすぎわくわく学習室」のこと。キーパーソン21が自主事業でやっている学習支援居場所作り事業です。市の基準に満たない子どもを対象にしています。週2日、英会話と学習をやっています。(コロナ禍で一部オンライン対応)

僕自身、以前よりも体調に自信がなくなってきたのも事実。でも、後任の方々にきちんと引き継ぎができているので心配していません。キーパーソン21のこれからがますます楽しみですね!

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〜インタビューを終えて〜
キーパーソン黎明期からの功労者であるやっさん。御年79歳と聞いて、どんな方なのだろう?と思っていましたが、年齢を感じさせないアクティブさに驚きを隠せませんでした!若い頃は山岳部、ヨット部、ジョギング部にも所属。そして、58歳で水泳を始め、今でも水泳やテニス(そして、その後の飲み会も!)をされることもあるそうです。
ご飯を食べるのを忘れてしまうくらい熱中したという実験の話は、思わずこちらも夢中で聞いてしまうほど、わくわくが伝わってくるものでした。そして、何よりやっさんのさりげない気配りに心癒される時間を過ごさせていただきました^^
(ライター・ゆみりん)

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