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毒は咲く花にもなる。【モーニングエッセイ15ただの何者でもないあなたへ】

何をきっかけとしてか?いや、ほんとうは全てわかって今月1日から始めたと思うこのモーニングエッセイ。14日までの2週間、毎日更新していましたが、しばらくお休みしていました。

朝のじかんに、浮かんだこと書くというルーティンを始めようと思いつきました。書く時間はまちまちでも、その中身は朝のじかんに決めていきたいと考えています。
流れでここへたどり着いたあなたへ、通勤のじかん、帰宅のじかん、通学のじかん、家事のじかん、休暇のじかん、1日の終わりの寝る前に…など、いろんな時空を超えて何かの灯火になるようなことを書きたいと希望します。

このモーニングエッセイはこんな想いで始めましたが、読み返してみると他でもない自分のために綴ってきたのだなとあらためて思います。

◇読む方の調子によっては、受け取り方も様々な内容だと思います。読まれる方はご承知の上お願いします。


先週、母が旅立ちました。このモーニングエッセイでも書いてきましたが、今年の春に進行性の病気であることが検査により判明してそれから入院治療、退院して夏の間は通院しての治療、そして先月の検査で転移が見つかり入院、そのまま病院で亡くなりました。

最期のその時は、わたしがひとりで見守る中で、安らかな旅立ちでした。

告別式までを終えて、自宅に戻ってからまだ日も浅く、心身ともにしんどさもあるけど、どうしても今書いておきたいことがあるのです。


どこにいても、歩けば開ける。

母が危篤状態だと連絡を受け、すぐに実家に帰り残業が続いて遅くまで仕事をしている兄の代わりに留守番をしつつ、諸々の手続きや家事などで動きながらの日々はとても辛い時間でした。

連絡を待つということは

もう亡くなる寸前だという知らせを待つということ。

様々な用事をこなしていく日々の中で「それ」を意識する瞬間がきつかった。でも確実に時は過ぎていく…。

そんな日々でも、免許はあっても運転できない万年ペーパードライバーなわたしは、ある日は隣町まで徒歩で片道1時間掛けて用事を済ませたり、田舎だけど(結婚して家を出てからいきなり出来た)大型スーパーも近所にあるのでなんの不便もなく買い物したり、何回か行かねばならなくなった役場さえも2年前くらいに徒歩5分のとこに移転!してたので、ちょうど良い散歩くらいの気持ちで毎日歩き回っていました。ちなみに病院も徒歩10分くらいでした。

地元だと歩いてると目立つけど、近年、新しい家もたくさんできて昔より歩いてる人が若干いるので露骨にじろじろは見られなくなったのにも今回気付きました。

毎日、天候にも恵まれて上着が要らないくらい暖かい日が続いていました。

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そしてそんな少しの合間に、町を見渡せる小山を思い出して久しぶりに登ってみました。登るといってもほんとに5分くらいで登頂。

なんてミニマムな世界…。

ここは昔、わたしも通ってた学校の通学路沿いにある場所で地元の幼稚園児が遠足で来るような、ほっこりした場所です。

車の運転免許は取らず田舎では珍しい徒歩族(笑)であった母親も、この小山にはちょくちょく散歩で来てたようでした。というかほんとに健脚でしたので、お隣のおばさんと信じられないくらいな距離を普通に毎日ぶらぶら散歩してたらしいです。(70歳過ぎてからの最近までの話です)それも入院前の母といろいろ話していて初めて知ったことでした。

地元の同級生にクニちゃんのお母さん、どこどこで歩いてるの見たよ!とたまに会うと昔から目撃情報を教えてもらったり、今回、お焼香に来ていただいたご近所の方々にも元気に歩いてるのを最近まで見てたから…そんなに病気が重いとは思わなかった…と言われました。母といえば、よく歩く人という印象だったのだなと思います。

一方でわたしといえば当たり前だけど母よりだいぶ若いのに、

ちょうど一年前…突然、理由が分からず歩けなくなり精密検査でやっと骨の内部の骨折とわかり1か月ほど静養していましたが、痛みがなくなってからはリハビリのため…と思って近所を歩き始めました。80歳になろうとしてる母が、ずーっとてくてく歩いていることが、ほんとにすごいな!とその時にあらためて感じました。

母をお手本にわたしもこれからはたくさん歩こう!と素直に思ったのです。

そしてそれは気づいたらダイエットにもなり、体力作りに、そして歩き瞑想に、潜在意識の書き換えの時間に、近所の浄化に…ただの散歩を超えて、様々なはたらきとしての時間になりました。

ですので、実家での散歩時間も用事のための移動と息抜きを超えて、わたしのもう一つのミッションとしての時間だったと感じます。

歩くと自然につながり直し、結び直し、そして新しい扉が開きます。

ずっと気づかれないで忘れられてた大切なものが、見えなかったものがわたしには見えました。

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わたしの生まれ育った町は、素敵なところです。

これまでとこれから。

そしてこのモーニングエッセイでは、母に対してのわだかまりを吐き出すような記事を書いていましたが、何処かではこれは最後のわたしのわがままで母親というものに対する最後の甘えなんだとわかっていました。ストレートにウザい!と思える相手はわたしには母しか居なかったから。それってすごいことだったんだ。

表面上は受け止めてくれなくても

大丈夫だって信頼していたから。

どんなわがままも言えたし、無視も出来たし、分かり合えないことに対して不満が持てたんだ。

母が元気だった時はそんなこと全く気づけなかった。

母にもあった毒は

わたしの中にもありました。

その澱みがどんどん洗い流されていくのを日々を通して感じながら、

そうか…ほんとうにもう終わるんだなということも、それと同時にはっきり感じて、

悲しみと後悔とごちゃ混ぜになりながら

そんなこととは

全くの別次元の

大きな愛に包まれるのを感じたのです。

母の死を通して

最後の最後までその愛を全身全霊で受け取ることができました。

母もきっと最後に愛に還って

今世での決めてきたことを果たせたんじゃないかなと思います。

そしてその一部には

この人間としては出来のあまり良くない娘を生み育て、そのわがままに耐え、

使命に気付けるまで遠くで見守るということも

きっと含まれてたんだと

亡くなってから、そう思いました。

だからきっと、

生きてる間は分かり合えないでよかったんだ。

母がthe人間をやり切ってくれたおかげで

わたしはわたしの道が

はっきり色濃く見えるようになったから。

お母さん

ありがとう。

やっぱりあなたは

わたしにとって、素晴らしい母親でした。

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わたしの中の毒は咲く花になりました。

この花を枯らさないよう

これからしっかり生きていきます。

そして、まだまだきっとある澱みは気づけば流し、また花を咲かせ、そうやって何者でもないただの宇宙のカケラの一員としてこれからもやっていきます。

このモーニングエッセイも

特定の誰かの為ではないけど

自分のために書くことが

何者でもないあなたへ届くように

これからも書いていきます。

よかったらまた読みに来てください。




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