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これからインフラも維持できない時代に「田舎で暮らす」ことのリスクは、やっぱり直視すべきという話

今日は能登の地震についてもう一度、というかこれを機会に「田舎で暮らす」というのはどういうことか考えてみたい。

まず、僕がこの問題に関心が高いのは、僕が地方出身者だからだ。ただ(まさに今回の地震の被害が大きかった珠洲市出身設定の)『スキップとローファー』ヒロインのように生まれ育って親しんだ「田舎」があるのではない。

むしろ逆で、父親の転勤の関係で子供の頃に6回くらい引っ越しを経験し、北は北海道から南は九州まで、いろいろな土地に暮らしてきた。そしてどの土地でも「余所者」として過ごした。加えて父も母も、それぞれともに東北の農村(山形と青森)の出身で、祖父母の家の泥臭い田舎の社会もやはり「外」の人間として、それなりに触れてきている。

要するに僕の少年時代はずっと日本の「田舎」を、しかも都会人としてではなく「別の田舎から来た余所者」として転々としていたのだ。これは大人になってからしみじみと思うのだけれど、なかなか稀有な経験だと思う。

そしてこのような原体験をもつ僕は大人になって、この仕事を続ける中で(具体的には東日本大震災をきっかけに)それなりに「町おこし」や「地方創生」の取材を続けてきた。そしてその上で結論を書いてしまうと、僕の考えはシンプルに少なくともいまの経済構造と規模を維持するのは不可能だし、そうすべきでもない、というものだ。誤解しないでほしい。僕は地方を、田舎を捨てろと言っているのではない。むしろ逆だ。僕は地方の自然と文化を維持するためにこそ、地方社会は大きくダウンサイズすべきだし、経済構造も根本から変えないと、難しいと思っているのだ。

以下、その理由を書いていく。

僕は個人的に能登に、特に奥能登に思い入れがある。いまから6年ほど前に、取材でお世話になったことがあるからだ。きっかけは友人の主催するNPOのイベントで、奥能登の「山菜」を食べたことだ。たぶん、かんたんにブッキングできる多少メディアに出ている人間として僕が呼ばれたのだろうけど、僕はこの日まで奥能登にも、山菜にもまったく関心がなかった。いまだから告白するが、呼ばれた「奥能登の山菜を味わう」というイベントにもあまり乗り気ではなく、同行したスタッフに「山菜でお腹いっぱいにはならないから、ラーメンでも食べ帰ろう」と話していたくらいだった。

しかし、僕は間違っていた。そこで供された山菜ははっきり言って激ウマだった。しっかりアクを抜いた山菜は大抵の野菜よりも味と香りが強く、個性的だ。そしてそれを適切に調理すると、いくらでも食べれてしまう。特に天ぷらの類は作りおきにもかかわらず何個もお代わりしてしまった。僕は、「山菜」を舐めていた。そしてその日は脇役だったが能登で取れるブリなどの刺し身も絶品だったし、僕は飲酒しないのだけれど地酒を振る舞われたスタッフはそれにかなり感動していた。半島は海と山と距離が近く、両方の恵みを味わえるのだと、能登の人たちは話してくれた。

すっかり奥能登のファンになった僕たちはそのあと実際に現地を訪れ、彼らの地域おこしを取材した。楽しい取材だった。柴野大造さんのマルガージェラートには特にハマって、その後通信販売で取り寄せて食べるようにまでなった。

……懐かしく(切なく)なってすっかり奥能登の楽しい思い出を語ってしまったが、本題はそこではない。僕はこのとき思ったのだ。この土地で暮らしていけるのは、もしかしたらこうやって土地とともにしっかり根を張って生きている人たち「だけ」なのかもしれない、と。

もう、直視するしかないと思う。地方に、特に大都市から遠く離れた場所ーー離島や、半島の先っぽなどーーに暮らすことは、リスクが高く、そしてコストが高いことなのだと。そしてこのリスクを引き受ける覚悟もないままに、いまの地方経済とインフラを維持し、今の人口を維持しようとすることが、結果的には土地を汚しそこに暮らす人々の人生も足を引っ張ってしまうのだ、と。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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