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もう少し「物書き」が夢のある仕事になるために「あったらいいもの」についての話

今日は、僕の夢の話をしたいと思う。本当は小説を出したばかりなので、その宣伝になるようなことを書いたほうが良いと思うのだけれどあまりネタバレになるようなことを書くタイミングでもないので……。もし読んだ人がいたら、ぜひ感想を書いてほしい。やっぱり本を書くと、読者の感想をもらえるのが一番モチベーションになるので。いくつか、良かったものを貼っておく……というか、どちらも発売直後によくこれだけ読み込めたなとビックリするようなもので、素晴らしい批評だと思うのだけど【完全ネタバレ】なので、クリックするのは必ず「読み終わってから」にしてもらいたい(マジで)。

さて、本題だ。今朝は明治大学のゲスト授業で、酒井信さんと話してきた。テーマは「メディアの運営」で、僕がやっている小さなメディア(PLANETS)について話してきた。その講義の終盤、酒井さんとのやりとりのなかで出た話を書こうと思う。

少し前から僕は将来やりたいこととして、ちょっとした出版アワードみたいなものを考えるようになった。批評の新人賞というと、あまり良くない客筋……あらゆる言動を自分が「賢く見えること」に最適化してしまっていて、実は思想も文化も必要としていないタイプの人たちが寄ってきてしまうので、もっと別の言い方にしないといけないと思うのだけど、特に大学の常勤の先生でもなければ有名起業家でも、大企業の幹部でも代議士でもない……といった「筆一本で食べていく」のを夢見ている人のための賞とかあったらいいな、と思うのだ。

その理由は単純で、たぶん今、産業構造的に「執筆」だけで食べていくハードルはかなり上がってしまっていて、そのせいで「書く」だけで食べていこうとするとタイムラインの潮目を読んだものにするとか、耳目を集めやすいスキャンダラスな内容を題材に選ぶとか、そういった仕事をするしかなくなってしまう人も少なくないと思うからだ。

そこまで悲惨な状況でなくても、本当は好きな作家とか、ずっと追いかけてきた分野のこととかをしっかり解説したり、批評したりする本を書きたいのに、オウンドメディアで広告性の強い記事ばかりを書いたり、インターネットでバズりやすいコンプレックス層を刺激しやすい記事や本(誰か目立っている人を叩くとか、ビジネス系を叩いて文化系を持ち上げてプライドをくすぐるとか)を書いて名前を売る……みたいなことを不本意にしている人もいるように思う。

要するにこのままだと長くて半年サイクルとかで入れ替わるトレンドを追いかける「流行り物」か、「他に安定した収入源がない」人じゃないと、広告じみたものか、コンプレックス商法的なものか、みたいな仕事を中心にやっていくしかフリーランスの物書きはやっていけないのではないか、という危機感があるのだ。

では、どうするか。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。