見出し画像

安倍晋三の遺したほんとうの「分断」とはなにかーー強行開催される国葬から考える

明日9月27日に安倍晋三元首相の「国葬」が開催される。僕はこの国葬に明確に反対だ。理由は書くまでもない。この人物を権威化することが、どれほどこの国に暮らす人々の社会に対する信頼感を失わせるか考えればよいだろう。

さて、ここで僕が考えてみたいのは安倍晋三がなぜ国葬に値しないか、ではない。実のところそれは自明のことで、国葬を支持する人々のうち、ある程度の知識がある人はその上で賛成しているように思えるからだ。

ちなみに僕の観測範囲には、金融政策と規制緩和以外にはあまり政治的な関心の薄いNewsPicksのコメント欄でイキっている系の今どきのビジネスパーソンたちにあまり深く考えず(その知識もなく)「長期政権の労をねぎらいたい」とか言って(!)この国葬を支持している人たちが結構いるのだけど、そういう人たちは今すぐ本棚の「ビジネスに役立つ教養」系のアレを全部捨てて、山川出版の「世界史B」とかを熟読すると(本気で)良いと思う。しかし、ここで問題にしたいのはこの支持層ではない。

僕が議論したいのは、少なくとも安倍晋三という為政者の法的、倫理的な問題について一通り理解しているはずの政治家や言論人たち、特に「第三極」を標榜する人たちのなかに、「敵の敵は味方」という稚拙なマキャベリズムを不必要に発揮して、この国葬に賛成している人が(僕の周りにも)少なくないことだ。そして、僕は思う。安倍晋三長期政権がこの国にもたらしてしまった「ほんとうの分断」とは、ここにあるのだ。

ここから先は

2,541字

¥ 100

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。