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「書く」という「暮らし」を学ぶ

 先日から「発信できる人になる」をテーマに、僕のもっているスキルをシェアするための講義をはじめた。人にスキルを教えるというのは、やりがいがあるけれどとても、難しい。それもこの講座は単にスキルを受講生に覚えてもらうというだけではダメで、この誰もが発信者になってしまう現代の情報社会において、価値ある発信を継続的に続けていける足腰の鍛え方、大げさに言えば「発信する」という生き方のようなものをみんな求めてきているのを強く感じるのだ。

 僕が物書きとしての経験から、そしてインディペンデントなメディアを15年近く運営してきた経験から得られた氾濫する情報との距離感と進入角度、発信するときの語り口、世界に対する問いの立て方といったものを総合的に伝える講座を僕は考えているし、そうではないと受講生たちの期待を裏切ってしまうことになると思う。本当に伝えなきゃいけないのは、「発信する」という生き方であり、ライフスタイルであり、世界との向き合い方なのだと思う。

 なぜそう思うのかというと僕もかつてある人物に出会って「発信する」という、「書く」という「生き方」を学んだからだ。より正確に言えば、彼と出会って僕は物書きになろうと思ったのだ。それは、一部の読者が期待するような「業界」の有名人とのドラマチックなエピソードではない。彼は僕が最初に務めた京都の会社の上司だった。上司といっても、それは僕と彼の二人だけの部所で、僕が彼の仕事をアシスタントするというか、彼が僕の仕事を監督するという関係だった。仕事の内容はその会社の運営していたウェブサイトの読み物の編集制作で、僕は彼から執筆と編集のイロハを学んだ……はずなのだけど、そこはあまり記憶に残っていない。どちらかと言えば僕が彼から学んだのは、社会との距離のとり方とか、対象への進入角度の調整方法だった。いや、間違いなく技術的なことも教わっているのだけれど、そうではない部分の方こそが大事だったといまでは思うのだ。

 そもそも僕と彼との出会いは、甚だ不幸な偶然の産物だった。僕は大学卒業後、1年以上ブラブラしたあとにその会社に就職した。そして僕を採用した最初の上司(僕はその人物のアシスタントとして採用された)は、僕の入社の約1ヶ月後に僕の目の前で社長と大ゲンカして退職してしまった。「こんな会社辞めてやる」「お前なんかクビだ」というやり取りを本当に目の当たりにして、こんな小さな会社でもサラリーマン漫画のようなやりとりが実際あるんだなと思う一方で、直接の上司が最初の1ヶ月でいなくなってしまうという緊急事態に、人並みに途方に暮れた記憶がある。実際にこのままでは編集長と、採用されて1ヶ月のそのアシスタント=僕の二人しかいない編集部はたちまち機能を半ば停止することは明らかだった。そして僕以上に途方に暮れたであろう(ケンカの当事者である社長を除く)経営陣は、仕方なくかつてその辞めた編集長を自分の後任として推薦した前編集長を呼び戻すことにした。要はお前が推薦したやつがケンカしてすぐに辞めたので、責任をとって戻って来いと迫ったのだ。そして、最初は固辞したものの推薦責任もあるので週3日ならなんとか……としぶしぶ引き受けて戻ってきたのが、僕が生涯の師と仰ぐことになる豊田素行さんだった。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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