「庵野秀明的なもの」の可能性と限界から「オタク的な感性」のポジティブな応用を考える話
さて、今日は昨日の話の続きだ。
今日は「オタク」という文化にどのようなポジティブな可能性があるのか、ということを考えたい。当たり前のことだけれど、こういうことを考えるときに「クールジャパン」を誇り「偉大な日本」をでっち上げて自分がそれに同一化してショボい人生をごまかすとか、逆に「オタク」を敵視し、その駄目なところをあげつらって「サブカル」な自分を(自分たちのことは棚に上げて相対的に)免罪するといった低レベルな問題意識ほど邪魔なものはない。そのレベルの人たちは、なんというか