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與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 〈一挙配信〉 第7回 コラージュの新世紀:2001-02(前編)

「PLANETS note」創刊記念として、(ほぼ)毎週月・金曜に、與那覇潤さんによる連載「平成史──ぼくらの昨日の世界」を一挙配信中です。
今回は、「第7回 コラージュの新世紀:2001-02」前編をお届けします。2001年、小泉純一郎が内閣総理大臣に就任します。新自由主義の潮流に乗り、高い支持率を背景に構造改革、規制緩和を推し進めたその政策の伏線は、90年代にありました。

エキシビジョンだった改革

 元号が替わったいま、遠からず各種の入試でも平成史から出題される事例が増えてゆくのでしょう。それは同時代が「過去」になることの徴候ですが、せっかくですので本連載でもひとつ、問題を出してみようと思います。

「問い 以下のA・Bそれぞれについて、発言者である平成の政治家の名前と、いかなる状況での発言であったかを簡潔に答えよ。
 【A】もちろん改革には痛みがともなう。痛みのない改革は存在しない。しかし、人はなぜ痛みを覚悟で手術台に横たわるのであろうか。生きて、より充実した明日を迎えるためである。明日のために今日の痛みに耐え、豊かな社会をつくり、それを子や孫たちに残したいと思うのである。
 【B】いままでの自民党の党内手順というのは、調査会とか部会でまず全会一致で了承を得る、政審も全会一致、そして総務会も全会一致、これで初めて正式の党議となったわけです。しかし、今度の……にかぎっては、どこでも了承を得られていない。それを『これには××内閣の命運がかかっている』と言って無理やり国会に出そうとしている。」

 多くの方が連想するのはやはり、Aは平成13(2001)年4月に組閣し、5年半におよぶ長期政権をスタートさせた小泉純一郎首相。Bは2005年の郵政政局で、彼に自民党を追われた亀井静香氏あたりでしょうか。たしかに「……」に郵政民営化、「××」に小泉と入れれば、それでもとおります。

 しかし正解は、Aは小沢一郎で、細川非自民政権への引き鉄を引く直前だった1993年5月に刊行され、ベストセラーとなった『日本改造計画』の末尾の一節[1]。むしろBが小泉純一郎で、「……」に入るのは小選挙区比例代表制、××はその小沢氏が(自民党幹事長時代に)担いでいた「海部〔俊樹〕内閣」です。1991年10月の『文藝春秋』誌上、田原総一朗さんの司会で小選挙区制導入の可否を論じる座談会での発言でした[2]。このとき反対で歩調を合わせたのが、YKKと呼ばれた加藤紘一・山崎拓(ともに、のち自民党幹事長)。逆に推進派を代表したのは、小沢の盟友でやがてともに新生党を創る羽田孜でした。

 一般に小泉内閣は「親米保守による新自由主義の政権」と呼ばれ、そうした評価は大雑把には当を射ています。しかしそれを拡大して、「小泉純一郎の思想はネオリベラリズムとナショナリズムのイデオロギーであった」、さらには「小泉改革のおかげ(せい)で日本経済回復(戦後的な平等社会の解体)の第一歩がもたらされた」といった言い方になると、あきらかに過大評価と呼ばざるを得ません。小泉政権の発足から20年を目前としたいま、私たちはむしろ、彼の言動に過剰な「一貫性・必然性」を読み込みすぎては来なかったかを、より広い視野で振り返るべきではないでしょうか。

 小泉政権の最末期(2006年5月)にはすでに指摘されていたことですが[3]、当時「変人宰相」と呼ばれた官邸主導のリーダーシップは、じつは橋本龍太郎が行った霞が関再編と内閣機能の強化を引き継ぐものであり(連載第5回)、その意味で平成の政治改革の系譜に忠実なものです。発足当初は民間人だった竹中平蔵氏に重要閣僚を歴任させるなどの「サプライズ人事」も、もとは小渕恵三内閣が熱心に試みたことで、堺屋太一の入閣(経済企画庁長官)が話題となりましたが、じつはそれ以外にも緒方貞子(国際政治学。国連難民高等弁務官として知られる)・曾野綾子・西澤潤一(電子工学。東北大・首都大で学長)などの著名人に声をかけ[4]、なんと晩年の江藤淳にまで文相をオファーしていました[5](妻の入院のため固辞され、元東大総長だった有馬朗人が就任)。同内閣が野中広務官房長官のもとで運営した経済戦略会議が、小泉改革の舞台となる経済財政諮問会議への「道筋を用意した」ことは、両者に参加した竹中さんも認めています[6]。

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