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#28病や事故は繋がりを取り戻すために起きているのではないか

こんにちはぼんやりです。



今日は最近これきっとこうなんじゃないかなと思っている仮説を発表したいと思います。



それは
タイトル通り、


病や事故というものは、繋がりを取り戻すために起きているのではないか。という仮説です。




最近僕は介護施設で働かせてもらえることになったのですが、そこでは認知症の方が沢山居ます。



認知症になると、1人で生きていくことが目に見えて難しくなるのですね。



ご飯食べたかもわからないし、今どこに居るかもわからない。トイレの場所もわからない。



だから、助けてもらうしかない。
人に聞いて、助けてもらうしかない。



なんか、そうやって人と共に生きていくんだよと、病が教えてくれるように見えてきてます。



僕自身、20歳くらいまで普通に大学に通ってましたが、

そのときはいかに成績を勉強せずに上げるか、いかにいい就職先につくかと、焦りや競争心が強くあり、



心はひとりぼっちで、孤独で、だんだん耐えきれなくなっていました。



そしてある時
なにもする気が起きなくなって、


大学に足を踏み入れることが出来なくなりました。




今思えば鬱のような状態だったかもしれません。
今まで通りの生き方が出来なくなったんですね。




頭ではこうした方がいいと考えていても
もう、身体が動かない。





そこから、心のことを話せる人を探しはじめました。
心の繋がりを求めはじめたんですね。




そうしないことにはこれはもう生きていけないと、
もうどうしようもなかったんですね。




今でも自分一人でなんとか生きていこう!
人には頼れない!
みたいに考える時がまあまああるのですが、




そういう意識で一定期間過ごしていると、
元気がなくなったり、頭が働かなくなったり
身体が動かなくなったり、


病気みたいな現れが出てきてくれて、
活動が半自動的にストップします。



これはもう、それこそ病の方が人と生きていく方向に持っていってくれてるというか、

人に頼る様に、人と繋がるように教えてくれてる様な感じなんです。


山をコンクリートで固めて孤絶させると土砂崩れが起きる様に、


人の心も孤独になると、自ずからその殻を破る様に働きかけてくれるのかも
しれません。



最近はますます一人では出来ないなあとなってきていて、これじゃダメかなと思い、困るのですが、



人と繋がりながら自分のやりたいことをやっていく。人と繋がりながら、自分を生きていく。




そういった勉強をさせてもらっているのかなと思っています。




すぐかっこつけようとしたり、いい奴ぶろうとしたりするのですが、




やっぱりすぐ疲れちゃって、心もカラダも萎びたもやしの様になるので、ダメなんですね。




そうやって、身体も心も教えてくれているのでしょう。



人に頼るんだよ。人と生きていくんだよと。



繋がりながら、というか、実際は多くのものに支えられて、多くの人にお世話になっているのですが。



それがわからなくなった時に、それを忘れてしまったとき、事故や病というかたちで教えてくれる。



最近はそんな気がしているのですが、みなさんはどうでしょうか。


以上最近のぼんやりでした。

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