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星の光は遅れて届く。

どうやら太陽が沈むことはないらしい。僕らが住む地球が自転しているだけで、太陽が決して動いているわけではない。だから「人間は太陽が勝手に沈み、次第に明けると思っている」と太陽が知れば、きっと怒ることでしょう。動いているのはあなたの星で私が沈むことはないのだから。

人間は夜明けが好きな生きものだ。暗闇を抜け出し新たな光を浴びるその瞬間が好きなのだ。無情にも夜明けは誰にでも平等にやって来る。
診断を待つその日にも私には朝が来て、夜が来た。

先生、僕のパニック障害は治るんでしょうか?

「不安発作と診断します。」

ランチの注文をするかのようなさらりとした診断に、不思議と納得した。
その後、文明の利器が教えてくれた。

この病名が所謂「パニック障害」であること、同時にその病気で悩み苦しむ人が世の中にはたくさんいるということ。大変な病気にかかってしまった。その日はそこからの記憶がない。

後日、薬の受け取りのため、改めて担当医に自分の病気について尋ねた。

「先生、僕のパニック障害は治るのでしょうか?」
「完治をしたのか判断が難しい病気だね。半月で治る人もいれば、10年以上付き合っている人もいる。一概には言えないが、インターネットやSNSで見る情報は声が大きい人の意見だからあまり鵜呑みにしないように。」

確かにインターネットには胡散臭いアドバイスがごまんとある。ジャスミン茶を飲むといい、漢方やヨガで治った。そんなことばかりが書いてある。

パニック障害とは

定型的なパニック障害は、突然生じるパニック発作によって始まる。本能的な危険を察知する扁桃体が活動しすぎて、必要もないのに戦闘体制に入り、呼吸や心拍数を増やしてしまう。続いてその発作が再発するのではないかと恐れる「予期不安」と、それに伴う症状の慢性化が生じる。さらに長期化するにつれて、症状が生じた時に逃れられない場面を回避して、生活範囲を限定する「広場恐怖症」が生じてくる。

Wikipediaより

自分の心なのに、自分の体なのに、自分では動かすことができない。突然の苦しさに意識が遠のく。苦しいのに、自分が何を欲しているかわからない。原因不明の体調不良に、仕事や友達からの誘いに行けない日々。
好きだったもの、美味しいと思っていたものも薬のせいか何も感じない。

壊れた部分は壊れたまま抱えて生きていく。

自分のSNSアカウントで「パニック障害・不安障害(これは後日分かった)」を抱えていることを投稿した。意外にもその投稿は1万人以上に見られ、大して顔も素性も知らない方からの励ましのメッセージが届いた。
なぜカミングアウトをしたのか、自分でも説明がつかない。だけど、世界のどこかで自分を気にかけている人がいると思うと、自分がまだ社会の一員としてカウントされているようで安心した。

曖昧なものは曖昧なままでいい、ととある作家が昔コラムで語っていた。

学生時代、バイト中に流れていた討論番組。赤と青、右手左手に分かれ、討論を交わす。答えなんて出るはずもない話題に、司会者は面白がって登壇者の喧嘩をあおる。番組終盤、意見に納得がいかない人、突き返される反論に怒りをあらわにする人、一歩引いて番組の体裁を守ろうと調整に入る人、様々な人間模様がそこにはあった。当時、雑巾を片手に食い入るように観たその番組は今でも休日の昼を彩っている。

なぜこの番組が3か月ごとに改編される目まぐるしいテレビ欄で生き続けられたのだろう。それはきっと、この世が正解なんてありようもしないことで溢れているから。答えのないことを解決したい人でたくさんだから。

仕事柄、会議をする機会が多い。同僚と企画を練ったり、たくさんの意見を交差させたりする中、その度にどこかで必ず息詰まる。
仕事のできる上司は決まって「とりあえずいったん保留。いろいろな意見が出て学びになったんじゃないかな。時間があったら次の会議までにまたこの資料を読み込もう」と会議を締めくくる。私はその上司の締め方が好きで「答えの出ないものは曖昧なままでいいのだ」とその度にあの小さなコラム記事を思い出す。

パニック障害と診断され、はや1か月を迎える。
自分の病気はなかなか治ってくれない。胸の鼓動は鳴りやまないし、漠然とした不安がいつ襲ってくるかもわからない。とにかく人前で発作を起こしてはならない。倒れるわけにはいかない。けれど、集団行動、騒音の大きい場所、人混み、今の自分は耐えられない。人との関わりも最低限に抑え、ヘッドホンから流れるアーティストに思いを馳せる時間が長くなった。

あれから生活は一変してしまった。

一度壊れたものは、元の姿に戻ってはくれない。あれだけ人付き合いが好きだった自分も今では無気力かつ塞ぎ気味で、得体の知れない恐怖におびえる毎日である。それでも、精神安定剤を飲み、睡眠導入剤を飲み、ちぎれた日常のページを脆いセロハンテープで留めていく作業の連続。壊れた部分は壊れたまま抱えて生きていくしかない。それしかないのだ。

夜明けが一番暗い

人間は夜明けが好きな生きものだ。ゆっくりと明るくなる瞬間に胸躍らす生きものだ。しかし、それは夜明けが一番暗い時間であることを同時に指している。

パニック障害を患うと、色々な場面で自分と同じ病気を抱える人を知る。好きな作家が同じ病気だった、あのテレビスターも、快活に過ごすあの人も。

人の優しさや気遣いにもよく気がつくようになった。ノンカフェインのお茶や、ノンアルコールビールの美味しさ、発作を抑えるため支えてくれる家族や友人。暗い場所にいるからこそ少しの光が遠く眩しい。

星の光は遅れて届く

今から約500年前ほどにいた天文学者コペルニクスは、地動説を提唱し、太陽が太陽系の中心にあり、地球と他の惑星が公転するという理論を1530年に発表した。これは地球中心の天動説とは異なり、当時の宗教的常識に科学をもって挑戦した。彼の理論は初めは受け入れられなかったが、後に近代天文学の基盤となり、ケプラーやガリレオに支持される天文学史上の重要な一瞬となった。

夜明けが待ち遠しい私たちにも、暗闇で光る星座が頼りだった時代があった。文明が発展する中で、人類は星座に頼る必要が次第になくなってしまったが、今もなお夜空に浮かぶ星座は何百年前の星の輝きを遠く離れた地球に届けている。

パニック障害になる前の自分が、光り輝いて見える瞬間がある。たった数か月前の自分が、目標となり自分を照らしている。私にはひそかに祈ってくれる人がいるのだから、きっと大丈夫だ。

最後に

映画「夜明けのすべて」

この記事を書くにあたり、「夜明けのすべて」という映画(原作小説)を拝見し、自分の病気のことについて発信しようと思いました。この作品の主人公山添(松村北斗)は自分と同じ「パニック障害」を抱え、パニック発作やパニック障害が抱える生きづらさに悩みます。PMS(月経前症候群)を抱えるもう一人の主人公藤沢(上白石萌音)と同じ職場で働いていく中で、思い通りにいかない人生にやさしく寄り添っていく、やわらかい映画となっています。よければ、是非ご覧になってみてください。(3/14現在上映中)
要約が苦手ですみません。本当にいい映画ですので、是非。

また、映画の中では「グリーフケア」という、病気だけでなく、家族や恋人などの大事な存在が亡くなられた際の深い悲しみへの向き合い方についても描かれています。映画を通じて初めて知ることも多く、中でも、グリーフケアについては、人生の中で経験するであろう家族との死別にどう向き合えばよいのか考えさせられました。

グリーフケアとは、死別を経験した人々に寄り添い、喪失と立ち直りの思いとの間で揺れる時の悲しみへの準備を目指す支援のことです

日本グリーフケア協会 | グリーフケアとは (grief-care.org)

この記事をどう締めればいいか、私はこれからどうしていけばよいのか、答えの出ないものは曖昧なままでいいんです。人はみな苦しみや悲しみを背負って生きています。それでも夜明けはやってきます。遠く離れてしまった存在も、私がパニック障害の療養を通して巡り合えたように、人それぞれ軌道が違うだけで必ずまた交わることができる。だから、曖昧なまま身を委ねればそれでいいんです。

追記
この記事は僕のお守りとなるように作りました。誰しも遠く離れた場所から支えてくれる大事な人が必ずいます。前向きになれない時もなんだか苦しい時も僕はこの記事をまた見に来ます。いつかどこかでこの記事が誰かの光となって届けられますように。





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