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結婚式で号泣した話。その理由とは。

結婚式とは不思議な場所だと思う。


今までに何回か私は友人の結婚式に参加したことがあり、幾度となくこの感覚に襲われてきたのだが、その感覚の正体が何なのかをはっきりと認識することができたので、ここにそれを記す。

今回私は従兄弟の結婚式に参加してきたのだが、私は彼については幼少の時の記憶と、大学生になった時に一度会った記憶ぐらいしか、持っていなかったりする。


それは当然の話で、彼は本州、私は北海道で人生の大部分を過ごしたのであって、私にとっては彼が年に一度、北海道にある本家(という表現は時代錯誤かもしれないが)で集まる行事でしか彼に会ったことはないのだ。

久々に再会した彼は、とっくに大学を卒業し立派な仕事に就いていた。
そして私が今まで見てきた彼とは、また違った雰囲気をまとっていた。なんというか、本来の優しさそのままに頼れる男になったという感じ。


これが結婚し、夫になるということなのかぁ〜などと勝手に想いを馳せたりしたのだが、私の不思議な感覚はここから本領を発揮する。

結婚式には多くの人が参加していた。
私を含めた親族、彼の大学の友人、会社の同僚や上司、奥さんの学生時代の友人や職場の方々ももちろん参加していた。

ここに改めて書く必要はないのかもしれないが、私にとって彼側の親族数人以外、知っている人が誰ひとりとしていないのである。


それは当然のことだ。上述のように、私は彼とは人生において数回しか会ったことがないし、彼が今までどのような人生を歩んできたのか知る由もない。

しかしここには、彼の人生に関わってきた人たちが一堂に集結しているのである。
通常であれば交わることのない人生が、この日、この時間、この場所で、確かに交じり合っている。この事実に私は言い知れず感動してしまった。

親族とは今後も会うのだが、彼や彼女の同僚や上司、そして友人。きっとこの人たちと会うことはもうないと思う。日本には、世界には本当にたくさんの人が存在するのに、その人たちと人生が交じり合うことは途方もないくらい低い確率だ。

そんな途方もない確率から新たに出会い、親しくなり、そして結婚するということはもはや奇跡としか言いようがない。

新郎新婦のこれまでの人生の歩み、二人が結婚するまでの流れをまとめた映像が披露宴で流されるのはもはや定番かもしれないが、私はこの映像を観ながらこの奇跡を噛みしめ、酒の力も加わり号泣してしまった。(周りから見れば完全にただの酔っぱらいである)

ひとしきり涙を流し終えると、隣に座っていた夫のことが妙に愛おしくなってきた。

あぁ、私もその奇跡を経験したひとりであった。

今までの人生、本当にいろいろなことがあった。

そして人生は選択の連続で、数ある選択肢の中からいろいろな選択を迫られる。

選択肢の選び方は計算式では出せないくらいの場合の数があるだろう。(果たして何通りなのか…なんとか計算で出せるものなのか…残念ながら私は文系だ)

その選択のひとつひとつの積み重ねで『今』があり、私は今の夫と結婚したのだ。

楽しいことや嬉しいこと幸せなことばかりでは当然なかった。

でも、今の夫と出会い交際し、結婚して幸せな今に辿りつけたのであれば、あの辛かった出来事や悲しい思い出も無駄ではなかったのだと心からそう思える。

私はこれからも夫と楽しくて幸せな時間を過ごしていく。そのために今ある一瞬一瞬を大切にして生きていこうと固く誓う。

できることはたくさんあるのだ。


少し話が逸れてしまったので今回の内容をまとめようと思う。

結婚式とは不思議な場所だ。

決して交わることのない人生が一堂に会して、一組の新婚夫婦を祝福する。

その時間を味わうことで自分自身のこれまでを振り返り、そして未来につなげることができる。

そんな大げさな気持ちで結婚式に参列しているのは私くらいなものかもしれないが、今度誰かの結婚式に参列する機会があれば、どうかその『奇跡』を噛みしめてみてほしい。

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お読みいただきありがとうございました!

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