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3月11日の集いで、起きたこと。詩と音楽。

 まぁ、言い訳になるんですが、色々なことを表わすことにもなりますので、此処に書き記すことにしました。
 まず下の詩を読んでください。震災で有名になられ、原発に始めっから反対していたなかなかの方の詩です。

        「草茫々」

      草茫々
      田畑茫々
      村一つ荒れ果てて茫々

      二年前
      玉蜀黍畑を風が渡り
      大根の葉先に朝露が鈴生りの
      その畑に
      ささやかな豊かさに満ちた
      その山畑に

      草茫々
      野道茫々
      蔦かずら絡み合って茫々

      幾星霜
      牛を牽き 耕運機往き来し
      何千回何万回の足跡を印した
      その道に
      暮らしの汗したたり 地にしみた
      その畦道に

      草茫々
      我が家茫々
      軒先を埋め尽くして茫々

      かつての昔
      子たち孫たちの歓声はね返り
      バーベキューの焚き火燃え盛った
      その庭に
      生きて暮らした思い出消えやらぬ
      その庭先に

      草茫々
      ふるさと亡々
      わが涙滂々

      草茫々
      何もかも亡々
      悔し涙滂々

 筆者の小島力氏は、福島第一原発事故で、福島県葛尾村を追われた方だそうで、上の詩はネットで探し出しました。

 これに曲が作られ、演奏されたのですが、そのたびに喝采を浴びたということです。まさに、演奏者冥利に尽きるところです。
 それが、今年の「3.11メモリアル 天災に向き合う、詩と音楽、文化の夕べ」の最後の演奏に掛けられ、そして終わる予定でした。
 今回の3.11は、我々自身の問題として、能登大地震の体験を目の当たりにして、いかにして都会(大都会だ)の砂漠と長らく言われている密集地から、我々自身が互いに力を合わせられるかの思いがあり、初めのお話でもそう御指摘申しました。
 確かに主宰者がぼくだったので、当たり前だったのでしょうが、いちばん後ろに座っていた自分に向けられて、終わりに一言と指名され、最後の曲につけられた詩に思わずというか、自然に触れてしまいました。ちんまりと暗い気分で終わりたくなかったからです。
 会場の一部(総勢40人強)に声が上がって、必ずしも悪い印象ではなかったと思ったのですが、確かに暗っぽい気分(それが当たり前と思う人びとがあったのでしょうし、とやかく言うつもりもありません)でしたので、前列に居た演奏者たちから「故郷」(作詞・高野辰之)をみんなで合唱しようと、琵琶はむろん、ピアニストの伴奏、バイオリニストも伴奏に加わるなど、元気よく明日への活力を示して終えることができました。機転を利かせて下さった方々には、感謝でいっぱいです。
 さて、よくぞ言ってくれたとの好意的なメールや声掛けがありました。一方、不評のあったことも事実でした。そのうちのお一人は、ご多忙中時間を割かれて長い批評を連絡先に寄せられました。余程腹の虫が収まらないほどのものを感じられたのだと思います。

 そもそもぼくの初めのお話からして問題だったのでしょう。
 自分では使った言葉ではありませんが、自助(共助)、公助(この語自体に問題があるとぼくは思っています)のことから、前者を強調する菅自民党前総理と同レベルの話と断じた方がいらっしゃいました。上の詩については、「被災者の心の叫びでしょう」と指摘されました。感動を覚えないほうがおかしいし、そもそも被災者のことを少しも分かろうとしていないという批判があると思います。ぼくは最初の方で、政府、行政の関わりについて触れておったのですが、決してその対策を認めているのではないことは、言わずもがなの前提です。
 しかし、仰ることはよく分かる気がいたします。ただ、申すまでもなく、詩文学となりますと、ただ嘆いているだけでは済まないものがあります。例えば峠三吉の詩を思い浮かべてみたいし、自然災害にも、それこそ「公助」の問題があるではないか、と思います。
 ぼくも、2011年の秋、被災地を巡ったし、別の機会に科学者たちとあちこち解説をいただきながら、バスから見た光景、それは、まさに上の詩の通りのものでした。そして、黒や青の袋に山積みとなった被災地の土。何とも悲しい気持ちに襲われました。「祖国」という言葉が浮かびました。その祖国が泣くような放ったらしというしかない状況です。そのことに触れずにはおれません。だから、叙景と抒情のいり込んだ東日本大震災の「詩」の一つを綴りました。


 『「音楽は素晴らしかったが、詩はダメ」ということはあり得ません。』とされてしまうと、ハイそうですね、という訳にはいかないものがぼくにはあります。詩にもはっきり言って歴史に刻まれるもの、ピンからキリまであるのです。
 詩に影響を受けて作曲するのは、有名なところでは、ゲーテやハイネとシューベルト、シラーとベートーベンなど、数多くあるだろうと思います。 その意味で、「作曲者が詩に触発されて作ったもの」かどうか、断りにくい委嘱先があったのかどうか、多少問題に思うことがあってもいいでしょう。少なくても、大自然の襲い来る災害対策には、上から目線ではなく、自助とか公助という区別が問題になるのはとも角、何とか希望や光を見出したいのだと思います。
 ともあれ、批判者の心情を誤解したくないので、ご指摘御礼を申し上げます。
                            以上。 

 和久内明に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。 

 


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