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ぼくの思う 人と文化  絵本って、大人にも面白いものだ

 ちょっと深いアームチェアーがあって、そこに腰掛け、何気なく側にあった絵本を取り上げた。仕事場の居間での話である。かなり古いもので、妻の言ではバザーで手に入れたそうな。家に来る子たちに人気があったそうで、何人かの名前を上げていたが、絵本を読む(見る)ことから遠く隔たった僕には、まぁ無縁の本と言ってよかった。

 30代後半の昔、東京を離れるまで半年ほどかなり深く付き合った、ある青年から聞いたことがある。まぁ、この人は25歳だったが、東大法の第1類及び第2類を出た、本当に「頭の切れる」という言葉がピッタリの、尊敬に値する人格の持ち主であった。そのまんま大学に残れば今は名誉教授になる頃だろうが、いろいろ冒険をして、アメリカに渡り、あちらの大学院を出て弁護士になってしまった。

 彼曰く、大学を去った後の教授は、子どもの法に強い関心を持つか、法の原理の探求に向かう傾向があるそうなのだ。分かるような気がしたが、原理探求は学問の入り口であるから、法の講義を終わってからでなく、若い頃からそれでなくては困るけど、と思ったりしたものだ。

 腰をかけ絵本を取り上げ、何気なしに表紙を眺め、ページをめくった自分。考えて見れば、それなりの歳月が投影されているのかも知れない。文字を拾いはじめ、毎ページの挿絵を見つめ始めてから、いつの間にやら、強い力で惹きつけられて、他の何ごとも目にも耳にも残らなくなった。それにしても、恥ずかしい限りだと読後に思った。この作家の名も知らずにずっと過ごしていたのだから。      

この絵本の表紙です

 絵本のタイトルは『とうげのおおかみ』、今西祐行(1923年~2004年)さん作、絵は鈴木義治(1913年 - 2002年)さんである。1974年5月、金の星社発行の小学校低学年生用絵本で、母親が読んでやって子供が食い入るように本をのぞき込む形が似つかわしい。絵本だから、表紙はもちろんのこと、毎ページに、自分の中にあった何かを引き出し、照らすような絵が施されている。例えば48頁の絵など、素朴な筆、一つ一つに物語の真意が隠れているようで、僕は好きだ。

 さて、読んだ話の筋を追いかけて、しばらくボッとしていたが、どんな人が書いたものか、父母・先生宛ての「あとがき」を見つけて読んでみた。

 「奈良と大阪を結ぶ道に、奈良街道という古い道があります。」「この道は奈良に都があった昔からあった道です。」 自動車道に寸断されて、風景が変わってしまったという指摘があり、「先年故郷に帰ってみますと、私の村も、そだった村も市になって、美しかった生駒山は稜線まで赤土をむき出し、哀れな姿になっていました。人の心も開発(なんといういやな言葉になってしまったのでしょう)とともにくだけていく様を見て悲しくなりました。」とある。

 絵本のタイトルの「くらがりとうげ」は、県境の生駒山に実際にあり、作者は、幼い頃から父親から聞いてきた話を元にして書いたのだそうだ。この峠は、松尾芭蕉(1644年~1694年)の「最後の旅路」に当たるんだそうで、芭蕉が残した「菊の香にくらがり登る節句かな」の「くらがり」なのだそうだ。

 僕は人様に絵本について書くほどのものをいささかも持ち合わせていないと思う。しかし、「開発」とか「芭蕉」とか聞くと、いささか吐露せずにはいられないものがあるので、少し付き合ってください。

 作者今西祐行さんのつぶやき、「なんといういやな言葉になってしまったのでしょう」に見られるごとく、「開発」すること自身は、停滞し、行き場のない状況を打ち破り、人々の暮らしを改善するものとして、積極的に受け止めることができる。しかし、人あるいは政治社会はこの言葉を「当面」の問題として、あたりかまわずいいものだと思ったりしてこなかったのだろうか。誰が責任を持つ? ここに大きな問いというか問題があるだろう。

 芭蕉だが、絵本にある「おおかみ」伝説がもうあったのかな、と思う。というのは、この「おおかみ」、自己中心の野蛮な心をとがめる役を果たし、物語中に出てくる茶店のおばあさんは、それを人々に申し伝える純粋な心を人を代表して担っているからだ。仏教説話ではない。儒教道徳でもない。何というのか、人々の良識のエッセンスと考えると、芭蕉より前の時代に信じられたお話にも思えるのである。

 どこそこに当たり前にある教訓話とはちと違うとすれば、芭蕉がこの「くらがり」にまつわる峠の話を知って共感していた? そう考えると、あの句も深いたたずまいを秘めているではないか、と思うのである。

  (続きがあるんです。二つ揃って読んでいただければ、と思います。今西祐行さんが、知る人は知るんでしょうが、学校の教科書にあれこれ採用される作家であること、原爆の広島を直接知り、それにまとわる童話をかいていること、しかも、驚くことにその童話を見事な朗読で私たちに伝える女性歌手があったことに及びたいと思います。果たしてその方は誰でしょう。次回を是非!!)

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