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ナミビア紀行 像と夕日 ヒッチハイカー


像と夕日
ヒッチハイカー


像と夕日

 ずっとひとりで運転をしてるとだんだんと、一体どこを目指しているのだろうか、なぜこんなところにいるのかということがわからなくなってくる。

ナミビアの首都ウィントフークから北西にあるエトゥーシャ国立公園内のハラリというキャンプサイトに向かうため、およそ445KMの道のりを一人でひたすらに車を走り続けている。時速120~150キロで走る車内から外を眺めると、途方なく乾いた白い土地がパノラマのように流れていった。わたし以外を載せた車は1、2時間に1台、ドイツ人観光客を乗せた四駆の対向車が砂を巻き上げ通り過ぎて行くくらいである。ひどい時には1日中誰ともすれ違うことなく日が暮れる。眠くなったので車を路肩に停め、外に出てみてのびをしたり、車の周りをうろうろとふらついてまた車内に戻り運転を再開する。過ぎてゆく木々は葉を一切つけておらず、ときどき木の下にベンチが置かれているが、これでは涼むことができなさそうだ。どこまでも続く平原が広がっていて、寂しく高木がだだっ広い地にぽつんと佇んでいる。

インターネットも街と街の間の数百キロは繋がらず、こんな場所で立ち往生する羽目になってしまったら大変だ。砂利道にはごろごろとした大粒の礫が混ざっていて、それをタイヤで踏むとゴリッという音がするのでたちまちわたしを不安にさせたが、それらは実際、人差し指と親指を軽く押し合って潰せるくらい脆い土の塊だったことが後になってわかった。

睡魔がやってくるたびに一休みできればいいけれど、日没には次の目的地に辿り着いていなければならない。歌ってみたり、歌にも飽きて一人でまるで誰かが横に座っているように会話をしたりもするけれど、そんなことにはすぐに飽きて、つぎは本当に馬鹿になったかのように、視界に入ってきたものを片っ端から叫んでみる。わたしの口から出てくる言葉のほとんどは土か岩か、緑色の草、枯れた草、小石の5つの単語だった。なんだか本当にばかばかしく思えてきたら、ノーリアクションでやめる。
初めから終わりまで、3分も満たないこれらの暇つぶしを繰り返していると、ぽつりぽつりと建物が見え始め、町が現れたりする。大きな街は、1日に1回現れる。だいたい直線距離で1キロも進めばまたいつもの何もない道路に突入する。街に出ると信号があり、住宅街のようなものは見えないが、食料雑貨店やモール、銀行なども構えている。それらの施設には車がたくさん停められているので、皆どこからきたのか、どこに住んでいるのかが気になってくる。町に着くと必ず水をボトルに足す。そしてパンをいくつかと、スナック菓子も買っておく。車輪が破裂することを念頭に入れておかなければいけない。そうえいば一度モールに入りトイレを探していたとき、わたしを囲い20人ほどの人だかりが出来たことがあり、全員がこぞってトイレの場所を案内したがったときがあった。

溜まり場のような場所が道中にはたくさんあった。そこにはたいだいモーターバイクがたくさん停められていて、プレハブ小屋の住まいが密集して村みたいになっており、スプレーアートでごちゃごちゃになったプレハブ小屋、ローカルバーの外には男たちが屯していて、ほとんど空っぽな小店が道に沿って横並びで建てられている。安全第一なのでそこにSUVを停めるわけにもいかず、面白そうな休憩所なのか何なのかわからないそれらの場所は、ただ通り過ぎるしかなかった。わたしは砂利道を、パンを齧りながら急いだ。土が隆起したまま乾燥し固まった凸凹道を作り、平たく整って見える道でも、尖った小石をいくつも隠しているということもある。ほとんど無の境地で公園内に辿り着き、入園料を払ったあと、約70キロ先にあるキャンプ場を目指した。

気づけば砂漠の空が、太陽が地平線のすぐそばにあった。空は深い青色から淡い紫色に変わり、鮮やかな黄色の光線が地平線から真上に広がっており、太陽は燃えるように赤く、色のない大地に温かい色彩がもたらされた。もう陽が沈みかけているのに、そのときが1日の中でもっとも暖かく明るい時間のように感じた。ようやくアフリカにいることを実感し感動していると、窓から何かが通り過ぎるのを確認した。車を路肩に停め、エンジンを切る。ドアを開け、外に出てみる。音がない。静けさの中、砂利を踏むわたしの足音が聞こえる。遠くに、像の群れがある。わたしはおよそ10匹くらいの像たちがゆっくりと西に向かって進んでいるのを、ぼうっと、ほとんど立ち尽くしたように眺めていた。それらは夕日に飲まれ、影になっていく。あっと声を張りあげてみようかと、なぜか一瞬よぎったけれど、その時わたしの一歩近づこうとした足音が向こうまで届いたのか、像が一匹立ち止まりこちらを向いたので、わたしは息を呑んで、わざとらしくそっぽを向き、像が見えない位置、車の影に隠れた。像は再び歩き出した。


像は遠くに消え、いつのまにか太陽は地平線に沈み、あたりは一気に冷え込んだ。色の境界が曖昧で、鮮やかな黄や紫や青や橙がどこにでもあった。そのせいか時間と空間の境界も曖昧になり、奇妙な雰囲気に包まれていた。緩やかに心が静まり、体の中に澄んだ水が通り抜けるような感覚だった。意識を取り戻したかのようにてきぱきと車に乗り込みエンジンをつけ、爆速でキャンプ場に向かう。ダートロードを130キロで走る。途中に鹿に似た動物が横切るが、もうすぐ夜が来るので立ち止まれない。

結局キャンプ場へ着いたときには、辺りはもう真っ暗だった。
ようやく与えられた駐車場に辿り着き、車中泊の準備をする。シャワーは浴びれず、電波もない。散歩でもしようと呑気に考えていたけれど、暗すぎて何も見えない。できる限りの厚着をしているけれど、寒すぎる。砂漠の真ん中にあるキャンプ場、車の中で縮こまり、夜になったばかりなのに朝が来るのを待っている。その晩は、寒さのせいで一向に寝付けなかった。後部座席の窓から上空を見上げると、点滅する航空燈が北斗七星を通過していた。一定のスピードを保ち、ゆっくりと南の方に進んでゆくそれを眺め、頭に地球を思い浮かべて自分のいた場所と今いる場所の遠さを想像してみた。陸路では不可能な長距離の直線路が開拓され、人々の自由自在な移動を実現したこの偉大な発明のおかげでわたしはここにいるわけなのだ。人間と動物に大した差はないと思っているが、歴史の継承という大きな武器を持つわたしたちはすごい。歴史の継承は、文化や伝統を維持し、可能性を広げるものだ。人々は道を作り、広範囲の移動を可能にした。
わたしは、サン=テグジュペリ「人間の土地」の一文を思い出す。

”道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものだ”

結局、何世代もの人々がその生涯を費やし、どれだけの長い歴史が、どれだけの人々が人間界を豊かにすることを費やしどれだけ素晴らしいのものを発明したのかということを踏まえたとて、わたしが見ている宙や、荒々しく聳え立つ大地と比べれば、あまりにも脆く未熟なものに感じてしまう。


ヒッチハイカー

 街と街のちょうど真ん中、どちらの場所からも100kmはあるだろうこの道の途中で、低木の茂みの中から国道にでる一本の細道がいくつも見える。そこから人がひょっこり出てきたり、茂みの中に消えていくのが見えるので、おそらくこの先に居住地があるのだろう。もしかしたら、わたしのいる広い車道から目視できる数メートル先までの一本道から、茂みの奥でそれは分岐し、いくつもの村へと網目状に道が張り巡らされているのかもしれない。けれど、わたしがこれを確認することはできない。ここからでは、茂みがどれだけ先まであるのかも、その中にどれだけの村を隠しているのかも分からない。一つの大きな村なのか、数十という村を抱えているのか、車道から先は、彼らだけが知る世界である。それはそうと、彼らは一体どれほどの距離を歩き、そこからどれだけの距離を進むのだろう。ひとり見れば、次に人を見るのはそこからもう車で十数キロは離れたところだ。

わたしは茂みの住民3人を車に乗せた。彼らは皆、ヒッチハイクに慣れていた。

最初に車に乗せた男性は、ひとり親指を立てて、車道につっ立っていた。真っ黒で艶のない肌に、灰色の砂が肌にかかっていて、靴を履いていない足は骨張っているが皮膚が厚く、ごつごつとしていて逞しい。助手席に乗ると慣れた手つきでシートベルトをし、エアコンダクトパネルを自分の方に向け、背もたれをぐっと後ろに倒した。英語で名前や行き先を訊いてみるとYesと答えたが、CarやVillage、Rightという単語を発するので、彼は、彼自身の行動に必要な英単語を覚えているのだろう。5kmほど進むと彼は手振りで降ろしてくれといい、未知の茂みの中に消えていった。

次に車に乗せたのは巨大なスイカを抱えた女性だった。最初に見えたのは少年兄弟二人で、彼らはわたしの車に気付き、跳ね上がりながら手を大きく振った。時速140キロで運転しているせいか彼らの横にうまく停めるとこができず、ルームミラーで彼らを確認すると、兄弟はがっくりと肩を下ろしていた。わたしが車を停車させると、小さい方(きっと弟だろう)がそれに気が付きわたしを指差し、兄のTシャツの袖を掴み揺さぶる。兄は弟に指示を出すと、弟は茂みの中に駆けていき、兄はこちらに向かって" wait !please ! please wait a moment !"と叫びながら駆け寄ってきた。弟は茂みから巨大なスイカを持った女性を連れてきた。兄は助手席のドアに手をかけわたしに待ってて、"my mom is coming"と繰り返し言い、弟は女性をひっぱりながらこちらにきた。こちらにたどり着いた女性はスイカを重たそうに持ち上げ助手席の足元に置き、車に乗り込みさっとシートベルトをした。兄はわたしにお礼を言い、ドアを閉めた。車が発進すると、女性はその土地の言葉を話し始めた。指でスイカを指して大きかったねと伝えるわたしに、何度も頷いた彼女が車に乗った時間は、たった数分だった。

次にわたしの元に現れたのは6歳の少年だった。わたしは、砂漠の頂上からみた壮大な海よりも、この車の中での出来事を鮮明に覚えている。昼下がり、運転に疲れたわたしは全ての窓を開けたあと側道に車を停め、自分が決めたナミビアロードトリップなのにどうして自分がこんな辛くて寂しいことをしてやらなきゃいけないのだと、うっとうしい太陽の下でダッシュボードに足をかけながらダウンロードしたお気に入りのラジオを聴きながら、自分に対してほくそ笑んでいた。それに、何かの電話を待っていて、その電話が一向に来ないことにも腹が立っていたのだ。



涼しい風が窓を通り、何だか腹の虫もおさまりうとうとし始めていると、ひとりのみすぼらしい少年が運転席の窓を覗き込んできた。少年は陽気にあいさつをして、流暢な英語でわたしにいくつか質問をしたあと、車がかっこいいといい運転席から助手席の方へ回り込み、こんなところに車停めるのはよくないから移動したほうがいいと助手席のドアを開け乗り込んできた。

"I lived in my grandma's house but she kicked me out, like go away! go ! Don't come back again !"
"What about your mom and dad?"
"They also kicked me out, They don't want me."
"Where are you living then?"
"On the road"

On The Road
(ジャック・ケルアックの「路上」、”on the road”を思い出す。わたしはなぜか、たぶんひとりの流浪する人間として、この小説に、共感を覚えるのだ)

少年はリュックサックのジップを開け、おもむろに中身を見せ始めた。中には壊れたおもちゃが数個、洋服が数枚入っていた。どこ行くの?と訊ねられたので、Swakopmundという隣町まで行くのだと答えると、急に明るい顔になり、連れて行ってほしいと強請ってきた。そこに知り合いがいるから連れて行って。行ったことない場所なのに知り合いがいるの?いるから連れて行ってと。終わりの見えない退屈な道をひとりで行くことに辟易として、この少年との短い旅に期待してしまったのだろうか。彼を乗せて、車が発進する。特に何かを重く考えていなかった。少年はわたしは中古で買ったビデオカメラを手に持ちはしゃいでいる。彼はわたしの食べかけのリンゴを齧り、芯のぎりぎりまで食べ、それを窓の外に放り投げる。少年は数キロしか進んでいないのにまだ着かないのかと駄々を捏ね、わたしのことを新しいママと呼んだ。そうやって呼ばないでと文句をつけると、じゃあお姉ちゃんでいいやと言って、ビデオを回し続ける。

”Where is your home”
"It's in Japan"

少年はあっち?こっち?と、まるで隣町な感覚で、北と南を指差した。わたしは、日本がここからずっと遠くにある島で、飛行機じゃないといけないのだと説明する。

"If I get there, are they gonna kill me?"
"Why did you ask such a thing, of corse not"

彼はふうんと相槌し、理解しているのかしていないのか、どっちなのか分からない。わたしのスマホをするすると扱い、プレイリストにある音楽をころころと変え、忙しなく100キロが過ぎた。少年が寝たいと言い、わたしがいいよと答える。助手席で丸くなって、親指を口に咥え、目を瞑る。その姿はさっきよりもずっと小さい子に見えた。車が少しでも揺れるとはっと目を覚まし、また目を瞑る。わたしは音楽を消し、エンジンの音を聴いている。数十キロ前は岩岩が連なっていたのが、徐々に滑らかになり、見える景色は砂漠に変化してゆく。20分ほど経つと少年は目を覚まし、それからまだかまだかとしきりに訊いてくる。わたしは街に行ったら知り合いの場所を教えてと言い、彼はうなずいた。街に着き、ビーチに行った。海の話をしたらはしゃいだので、お別れをする前に喜ばせようと思ったのだ。けれど、少年は退屈そうに、黙って海を眺めている。ベンチに腰掛け、テーブルに肘をつき、眩しそうに眉を顰めている。どうしたのと訊いても首を横に振るだけで、風が強いから車に戻りたいという。しばらく車の中にいて、知り合いのところへ送って行くと言うと、このまま一緒に居られないか訊ねられた。わたしは明日には別の街に行くし、二日後には他の国にいる。少年はそれじゃあ大型スーパーへ行きたい。スーパーでものを買ってと言い、カゴいっぱいにスナックを入れ、わたしは淡々とお会計を済ませ、袋と電話番号とメッセージを入れた紙を少年に渡した。メッセージは次にヒッチハイクをするときに役に立つだろう文を書いた。

これがいったい何の意味になる? 彼に知り合いがいないのは最初から、頭のどこかで予測していたことなのかもしれない。深く考えなかったというより、考えたくなかったのかもしれない。あまりにも刹那的な感情で迎え入れ、そして手放すのだ。

わたしはスーパーを去り、その日彼を置き去りにした。次の日の朝に晩に積もった罪悪感と共にそこへ戻ったが、彼の姿はなかった。そしてわたしは何事もなかったかのようにツアーに参加し、砂漠を登った。


道路は、人間の欲望の導きに従って、泉から泉へと延びる存在である。それは村々を結ぶ架け橋であり、私たちの旅路は果汁園、牧原、灌漑の行き届いた土地といった美しい風景で彩られている。時折、道路は砂漠を横断するような大胆な冒険にも挑むことがあるが、それはオアシスを見つけるために、何度も迂回し、探求するものなのだ。
Antoine de Saint-Exupéry


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