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不思議の街 インド バラナシ

Varanasi
早朝のバラナシは寒かった。濃霧のせいで、わたしはほとんど地面だけをみて歩き進まなければいけなかった。わたしはこの聖なる地で毎朝行われる太陽の儀式のため、朝5時に起きたが、まだ街は暗く、静まり返っていた。数歩先に転がっている石ころにも気づくことができないような灰色の世界をよちよちと歩き、太陽に捧げる儀式の会場に向かっている。静寂の中でも、動物の鳴き声や足音、どこか遠くから聞こえるかすかな喧騒、石の転がる音、足と地面が擦れる音、川の流れる音などたくさんの音がある。川の流れる均一な音がたまに乱れるが、そんな時は何かしらの障害物があったり、人がいたりするのだろう。わたしは、わたしからせいぜい1、2メートルほど先にあるものしか認識することができないけれど、歩いている途中で、段差の下の河岸には裸で沐浴する老人や、洗濯をする母親の横で足元だけ川に浸かっている兄弟など、河岸で何かしらしている人たちを見かけた。濃霧の中からざぶっと音がしたので目をやると、そこからすぐに男が出てきた。彼は岸に戻り、濡れた体も拭かずに服を拾い上げ、何の気なしにそれを着る。瞑想している僧侶、野良母犬の腹に頭をくっつけ、横に連なって寝ている数匹の子犬たち、火葬場で燃え殻から何かを探している痩せた青年が見える…。感覚的に、それが何も特別ではない、日常生活の一つの場面であった。改めて振り返れば妙な感覚ではあるけれど、その時ある状況は、わたしの中での日常でもあった。わたしはその世界に溶け込み、霧に浮かぶ影になり、そこにいる一人の人間だった。儀式が行われる広場に近づくにつれ、話し声や歌声が増えどんどんうるさくなった。薄暗い静かな夜明けの中から人影や赤く光る蝋燭の火が見え、わたしはとうとう広場に到着した。押し車式の屋台が数台止まっていて、人々はチャイティーを飲むために列を作っている。あたりが少しだけ明るくなり、散り散りになって何かをしていた人々は一つのところに集まり始め、それから褐色の布を纏った五人くらいの青年たちが金属の棒を持ちながら川沿いに建てられたステージに現れた。鈴の音がガンジス川に響き渡る。彼らの持つ金属の先っぽからは煙がもくもくと出ていて、彼らは鐘の音にあわせてゆっくりと踊り出した。ときどき煙を帯びたそれは赤い炎に変わり、薄暗く、グレーに霞んだ世界に生命が生まれたようにゆらゆらと霧の中で燃えていた。いくつかの観客は合唱しながら朝日に祈りを捧げ、わたしはそれらの光景を恍惚として眺め入っていた。

日中のバラナシは、それはそれは活気にあふれていた。どこからともなく、ガヤガヤと、色々な音で溢れていた。人々は鮮やかな衣装を身に纏い、様々なもので街が彩られていた。犬が走り、子どもが走り、チャイやスナック、アクセサリーなどを大量に持ち歩き販売している人々、波止場で屯している若者たち、細いヤギと鎮座する牛。大きな壁画、立派な建物が段状に幾層も積み重なり、隙間なしに川辺まで延びている。ありとあらゆるところから煙が空に伸びている。その煙のほとんどは死体を焼いて生まれた、火葬場からの煙だ。ある一角に差し掛かり、強い煙がわたしを襲い涙がいっせいに出てくる。そこはバラナシ最大の火葬場だった。わたしがぽかんと突っ立っていると、白い布に纏われた物体が、ハシゴのようなものに運ばれて目の前を通り過ぎた。それを目で追っていると、バチバチと衝突音のような音を立てる篝火の中にぽんと、複数の人の手によって放られた。放られたものは遺体だった。炎は元気よく上に向かって燃え盛っている。篝火はいくつもあり、それぞれで火葬が行われているので周りには遺族がいるが、涙を見せているものは一人もいなかった(涙を見せることはよくないとされている)。
燃え尽き白くなった灰の山と、黒くなった木片がちらほらみえるけれど、これは火葬後の空虚だった。いままさしく、目一杯の栄養を吸収したかのようにエネルギーを空に放出している炎も、2、3時間でこのように消え、寂しさや無を残すのだ。風に揺られて、ふわりと川の方から荒い粒子がわたしの全身に降りかかった。わたしはむせながらそちらに視線を向けると、それが砂ではなく、ガンジス川に流している途中の人骨であることがわかった。バラナシで火葬し、ガンジス川に遺灰を流すことが、ヒンドゥー教徒にとっての救いというものになるのだそうだ。ガンジス川という神聖な川を流れ、また別の世界に辿り着き、現世では存在しない幸福が待っているのだとか。

わたしは小型ボートに乗って、バラナシの街をガンジス川から見渡してみた。ファンタジー本の中に迷い込んでしまったのだろうか。「ウォーリーを探せ」という本を思い出した。いつも人でいっぱいで、街は色々なもので敷き詰まっていて、活気があり、カラフルだ。右手に巨大な火葬場があり、中心に寺院がある。色々な音で溢れかえっている。約180度、わたしの見える光景には生と死が入り混じっている。これらはもともと別のものではないのだ。

「人々は、バラナシに生命の喜びを感じにやってくる。そしてまた、死にに来る。ここは生と死が共存する街なんだよ」

突然若者が話しかけてきた。彼は、よく喋った。バラナシの対岸には、茶色く濁ったガンジス川を挟み、白い砂で作られた人工島が浮かんでいる。彼はそれをEvilなのだといった。生に満ちた街に対し、そのリゾート地を死や汚れの街とわたしに説明した。
「なぜEvilなの?」
「聖なる街の反対側にあるから」
単純な理由だった。それにあそこは金持ちの外国人ばっかり行くからね。と彼は付け足した。欲を露骨に消費するものを悪だとみなす思想なども、対岸を嫌悪する理由のうちに含まれているのか。彼は、僧侶たちの話もしてくれた。僧にはたくさんの種類があるのだけれど、ほとんどはオレンジの布を纏う修行僧だ。中には、単純に仕事をしたくない、楽して稼ぎたいという怠惰な人間も紛れていて、僧侶として街に出て、街の人々からのお布施をもらい、それを生活資金にしているのだそう。たしかに彼らは、顔に赤いペイントをつけてあげるからいくら、記念写真代いくら、観察料いくらと、何かにつけてお金を要求してきた。船乗りの彼は、「本物の修行僧は滅多に街に出てこないから」と笑った。
また、わたしが街を歩いているときに、白ふんどし一枚で、髪を剪らず髭も剃らず、灰を体に塗って地べたに座り込んでいる男性をたまに見かけたので、彼らについての話題を出してみると、興味深い話が返ってきた。彼らは物質的・世俗的所有を放棄した一派で、死体なんかも食べて生活しているらしい。いわゆる過激派ようなもので、一般の人々がすることはしたくないという意思から、人々がしないことをしようというアイディアにまですっ飛んでしまったのか、屍肉を漁りそれを食べたり、あえて排泄物を食べたり、恋人を作らなかったり、起きている時に目を開けたくないので歩くことをやめたりと、極限状態の日々を過ごしているらしい。中には睡眠や呼吸という、生命活動において最も大切なものを拒絶する者もいるのだそう。死体を食べることについて誰も咎めないのかと訊ねてみると、選択することは個人の自由だから、われわれは咎めないのだという答えが返ってきた。

 頭がぽーっとする。川に反射した夕陽がゆらゆら形を変えていくのを眺めながら、わたしは川底を想像する。そこには数え切れないほどの死体が沈んでいる。夕日の光は、生きている者に、川の中を除かせないようにしているように思えた。というのも、ヒンドゥー教では、12歳未満の子ども、妊婦、蛇に噛まれた人、偉大な僧の火葬は禁止されているので、それらの遺体には錘をつけて、ガンジス川の底に沈めるということを聞いたからだ。わたしは彼に、ここに沈めた死体がそのうちいっぱいにいなって溢れてこないのかと変な質問をした。若者は笑い、魚が食べるから大丈夫。と答えた。わたしは、丸く太った魚を売っている屋台がそこらじゅうにあったのを思い出した。

「屋台で魚を売ってたけど、それはここで釣られた魚なの?」
「うん、結構美味しいよ」
「でもそれって死体を食べてるってことにならないの?」

「そうなるね」と、彼はそんなこと全く気にしたことがなかったかのように答えた。わたしはガンジス川に左手を沈めてみる。船の尾と、わたしの左手が作った尾が伸び、小さい波になって広がっていった。

「ヒンドゥーは自由の宗教だ。船に乗りたきゃ練習して船を運転できるようになればいい。免許は要らない。僧になりたくば勝手に修行しろ。神様はいっぱいいるし、人が何を信じてたって関係ない。俺らは何も気にしない。働くということに年齢は関係ないし、何を売ってても僕らはなにも言わない」

ヒンドゥー教を自由をとらえたことがない外国人からしたらこの発見は大きかった。彼ら、少なくとも目の前にいる彼は、この文化に不自由を感じていないのか。しかし、わたしは最近観たインド映画でカースト制度にもがく若者が外国に行ったことを覚えていた。

「カースト制度は?」
「今は昔ほど厳しくないよ。皆基本的に好きなことができる。それに、もしも不満なら、本当にそうやってアメリカとかに行っちゃえばいい」

 わたしたちは夕飯を食べ、それから川沿いを散歩をした。ガートと呼ばれる湖畔などに作られた広場では、まだ火葬が行われていた。数人が篝火を囲んでいる。彼らは仕事をしているようだ。そのなかには10代にも満たない子供の姿もあった。

「あの人たちは?」
「あれはダリット」

「あれには触れられない。触れたら汚れが移るんだ」
「何で?」
「死体を扱う仕事をしているから」
「死体は汚れなの?」
「汚れというか、生きてるものと死んでるものは違うから、人はそれを分けなきゃいけない。ダリットは死を扱っている。だからあれとは関わることはできない。あれが使ったものも、使ってはいけない」
「あの人たちは火葬以外の仕事ができるの?」
「それはできない」
「カースト制度は弱まったって言ってなかった?」
「弱まったよ」
「…」
「なんていうのかな。犬、猫、猿、人、あれ」
「あの人たちは人じゃないの?」
「人とは違うんだよ」

小さい子どもが物を売ることも、ホームレスがどこに住もうと、動物たちがどこね寝ようと、僧侶がどのような修行をしようと、どこで何を商売しようとお咎めなし。若者は、自分のいる環境は自由そのものだと言った。自由の定義はひとそれぞれだ。ヒンドゥー教徒の連鎖的な貧富は、ある人からすればカースト制度という根強い縛りを文化に持つ人々に呪縛のように纏わりついて離れないものに感じるけれど、もしもそれが、生まれた時からある文化の一つだとすれば、それを呪縛だと認識しない人がいても何もおかしくない。自由というのはどこにいても感じることができ、それはいつだって人それぞれで、個人の中に、個人的に宿る気持ちなのだ。


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