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樹冠の影に隠れ、彼女は陰陽師の呼び出した人形と鵺の対峙を見ていた

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉


第1章 鵺の夜⑤

 暗い森の中を数台のバイクが疾走していた。時おり樹間を走る光の中を黒くて細いモノが出たり入ったりしている。

 送電塔の樹冠との境辺りに隠れるように座り、湖澄こすみは治神団の動きを見ていた。

 巷で「鵺」と呼ばれるこの存在が世間で騒がれ始めてから、もうすぐ2ヶ月ほどか。本来なら人の目に触れないはずのこれらが偶然目撃され鵺と呼ばれるようになったが、彼らはもともとは龍脈と呼ばれる国土を流れるエネルギーが千切れ、地上に出たモノだ。

 「穢レ」と呼ばれるこれらは普通、弱すぎて視る能力のない一般的な人間は視認出来ない。だいたいが視覚的に存在を確認される前に前兆が起きたり「障り」として兆候が現れ、早い段階で「穢レ神」として然るべき者に駆除される。

 然るべき者とはつまり、治神団や陰陽師といった公的な能力者や祓いを生業とする呪術者達だ。事実、ここ数週間は湖澄も幾つもの初期の穢レ神を祓ってきた。

 だがいつもは数ヶ月に一度の割合で出現するこれらが短期間にこれほど集中して、かつ大規模に国中に見える形で出現したなど聞いたことがない。
 
「穢レ神」だけではない。もともと存在している目に見えない精霊の類の動きも活発になってきている。
 それも世間で鵺が騒がれ始めたこの短期間の間に。

 治神団に追いかけられる鵺が細く甲高い声を出した。古くからの伝承である雷のような声とは程遠い。身体も黒く不安定な物体であるということは、まだ完全な「何か」になっていないのだろう。

 最終的に「何」になるかは不明だが、神在庁じんざいちょうが寄越したという陰陽師としてはいまのうちに手を打ちたいに違いない。

 富士宮の市街との境界近くまで近づいた治神団の光が丸くなり、市街から続く洲道しゅうどうに移動した。今回の鵺の討伐には玉都の中央政府から派遣された役人が同行している。国とはいえ各自治がほぼ裁量を任されているこの国では、単なる妖怪退治に中央の役人が派遣されることは稀だ。しかも今回は呪術師として最上級の、神在庁じんざいちょうの陰陽師を寄越してきた。他の地域はどうかわからないが、駿河央洲するがなかしまに鵺が出現し始めてから初めてだ。

 聞いた話では、今回の個体はずっと東から来たという。
 玉都で逃げられここまで追いかけてきたのか、それとも他で発生して手に追えなくなったのか。どちらにしても東から来たというのが陰陽師が出張って来た理由のひとつだろう。

 眼下では片側1車線の道路上に鵺が引き摺り出され、その正面には派遣された陰陽師が立っていた。

 鵺の体の色は溶いた墨のように黒かった。壁のように取り巻く治神団の手にするライトやバイクやバギーの灯りさえも跳ね返すことなく吸い込んでしまう。

 遠くからでも、この狩りに参加した人間たちが緊張しているのがわかる。「鵺」を追うのも見るのも、駆り出された津宮の治神団は初めてだった。何故ならば昔からの慣わしに則り津宮では治神団が機能し、穢レ神の活性化を阻止してきたからだ。彼らが見たことがある穢レ神の姿形は、せいぜいが活発に動く蛭くらいの姿か。鵺のように大きく強い力のそれへと精製された個体を目にし、戸惑いと畏怖を感じて当然だ。

「嫌な感じ」
 普段は自身の旗下にある治神団に囲まれ中心に立つ陰陽師と、対峙する鵺を見て湖澄はひとりごち・・た。

 いきなり訪ねてきた陰陽師が、鵺退治の手として治神団を貸せと言ってきたのを聞いたのは会社での昼休みのことだった。久しぶりに雨が止んだので、外のベンチでひとり弁当を開けたのとほぼ同時に、津宮の治神団を率いる父親から電話があったのだ。

 霊峰と歌われる富士山の麓で国家鎮護を祈る浅間機構の総本山、浅間大社を有しながらも市から治神団が無くなり、その役目を行政が行うようになって久しい。市民から要請があった時だけ神事を行う神職と見守り程度の役割しか果たさない役場の担当者では使いようがないと思ったのだろう。

 おそらく先方は術師が必要なのではなく、治神を知っている使える連中が欲しかったのだ。治神団といっても氏子の持ち回りの役で、そのえきを担うのはただの人間だ。呪術者でも霊能者でもないのだが、そういった仕事を理解しているのとしていないのとでは雲泥の差であることは確かだ。

 陰陽師は作戦前に、参加者に交通安全で使う安全帯のような物を渡した。色も黄緑色で黄色い反射テープが貼られているのでどう見ても事故防止の安全帯に見えるが、反射材にはわずかながら神性物質が使われていた。それを付けた人間を周囲に立たせることによって、鵺の逃亡を防ごうというのだ。

 いわば「人間の盾」ならぬ「人間の壁」に神主も何色を示したらしいが、陰陽師は鵺をそれほど脅威とみなしていないようだったという。

 果たして、彼が思うほど事が簡単に運べばいいのだが。

 陰陽師と鵺が真正面から対峙して、数分の時が経過していた。
 彼らを取り巻く輪の外側に、一つ二つと臨時のLEDライトの光源が置かれていく。
 互いに相手の力を見極めているのか、それとも先に動くのを待っているのか。

 やがて陰陽師は懐から薄い寄木細工の板を取り出した。
 足元に置いて、数歩下がる。

 道に置かれた磨き抜かれた板の表面が、月齢20の名もなき月の光を増幅して反射する。
 相手が動いたことで、鵺も静止を解いたようだ。
 漆黒の体躯の背中がザワザワと波打ち始める。

 空気が妙な周波数で震え始めた。これまで湖澄が始末してきた穢レ神とは違う雰囲気が放たれる。

 この鵺は昨日、魔界人の肉を口にしている。
 被害にあった魔界人は突出した能力は持っていなかったようだが、その力を別の存在が獲得すればまた違う力の素となるだろうか。

 この鵺のように。

 辺りに負のエネルギーが立ちこめる。
 霧のように重く、それでいて花のように広がる。薄いように見えるが、鵺の体に溜まった穢レと反応し危険なものへと変化しているようだ。
 治神団に神性物質の媒体が持たされているのは幸いだった。
 あの霧に触れた途端、普通の人間は失神してしまうはずだ。

 
 体を低くし威嚇の体制を取る鵺を見据えながら、陰陽師は柏手をひとつ打った。
「オン!」
 大きな乾いた音と声が暗い森に響く。
「起きろ」
 板の表面が寄木の柄に合わせてスライドし、展開される。わずかスマートフォンほどの大きさだった板が折り紙を開くように地面に広がった。

白藍はくらん

 中央にぽっかりと開いた長方形の黒い穴から、すうっと人影が立ち上がる。

 赤い唇が映える白い顔は人肌のそれではない。お垂髪すべらかしに十二単姿の、1mほどの人形だ。遠くからでも感じることの出来る異様な気配に、湖澄は鳥肌が立った。

 この気配はただの妖怪や魔導のものではない。確かに魔力の気配も感じるがそれ以外の強い気配を感じる。しかも魔力とは反対の強い『正』の気配が。
「何を造ったの……?」

 その異様な気配には、さすがに姿を隠して頭上で見物している何者かも同じように違和感を感じただろう。

 湖澄が考えた通り、ちょうど鵺の体の輪郭が強風に靡く荒波のように崩れ始めたあたりから、上空で成り行きを見ていた秋山の様子がおかしくなった。必死に嘔吐を堪えるように吸血鬼のマスクの口元に手を当て、あれほど見たがっていた陰陽師対鵺の対決から目を逸らしている。

「秋山君、大丈夫?」

「おう、何とかな。すげー気持ちわりぃけど」
 飛んでいるのも辛いのか、傍らの砥上の背に寄りかかる。するとわずかだが気分が改善したような気がした。鵺の正体が何かは不明だが、砥上の体を包む正の気が正体不明の気持ちの悪いエネルギーを打ち消しているのだ。

 普段は無知で役に立たないくせに、意外なことで重宝するもんだな。

 無駄に「正」のエネルギーを垂れ流すだけではないのだと妙に感心しながら、気を持ち直して眼下の様子を覗き見る。

 こっそりといろんな影から様子を見守る輩がいる中、鵺と白藍と呼ばれた人形は互いに敵の姿を認めた。
「行け」
 一瞬後の陰陽師の短い言葉で両者、弾かれたように動き出す。

 踏み出すごとに鵺の体はさらに大きくなり、逆立つ黒い波から一斉に雷撃が放たれた。迎えうつ白藍は十二単を大きく広げ受け止めると、光弾へと転嫁させて鵺に集中砲火を浴びせる。光弾の軌道が予測出来るのかまたは変えられることができるのか、鵺は難なく躱して突進する。蝶のように白藍は逃げ、鵺も追うべく身を翻す……と思いきや、白藍の後方に立つ陰陽師へとそのまま直進した。

 なるほど、厄介な駒を相手にするよりは操り手を直接襲った方が早いというわけか。だがその操り手だからこそさらに厄介であることも気づいているはず。

 鵺にとってはどちらも厄介であることに変わりはないのだから、攻撃目標をどちらにしようとも変わりはないのかも知れないわね。
 瞬きもせずに、湖澄は両者の戦いを凝視した。

 力強く地を蹴り陰陽師に向かって跳躍する鵺の体が弾かれた。硬いもの同士がぶつかる甲高い音を立て、アスファルトの上を転がった後に体制を立て直す。
 おそらく鵺の方でも、両方が厄介な相手でありすんなり事を為す事ができないことくらいは予想がついていたのだろう。
 微動だにしない陰陽師の前に浮遊する白藍の攻勢に遅れることなく、再び突進を開始した。

 数十本が1束になった長い髪が触手のようにうねりながら鵺を襲う。対する鵺は躱し引き裂き反動を利用するように白藍に迫り爪牙を突き立てる。だがそれらは人形の体を捉えられず、代わりに美しい金糸の走る唐衣が切り裂かれていく。ヒステリックな悲鳴を発した白藍の額に第二のまなこが出現し、可愛らしい口が耳まで裂けて鋸型の歯が顔を出した。

 白藍の袖の下を走り抜けた鵺が反転しさらに攻勢を仕掛ける。
 先に将である陰陽師を片付けようとはもう思ってないらしい。

 陰陽師が白藍を呼び出して以降合わせていたままの手を開くと、組み木の板の並びが変わった。
「白藍、黒捻法衣こくねんほうい

 鵺の動きに合わせて振り返る白藍の長く黒い髪がすらりとした4本の腕に変わった。
 黄丹色おうにいろの唐衣の地色は薄墨色に変わり、金糸で縁取られた菊が立体化して左の上肢で構えた黄金色の盾となる。
 そして白藍はガラスのような目を光らせ、右の上肢の三叉戟を構えた。


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