見出し画像

境界警備官・錐歌のお仕事

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉


第1章 5、砥上家①

 秋山のアパートを出たときは、午後2時を過ぎていた。空はまたどんよりと梅雨らしく曇り始め、湿度が急激に上昇していた。

 車のエンジンをかけ、アパートの駐車場から出る前に一度ミラーで自分の首元を確かめた。悪戯に魔名を口にし、秋山に締め付けられた首の手の跡はすっかり消えている。

 そういえば帰り際の彼も眠たそうだった。回復の速さには驚いたが、やはり十分な休息が必要であることに違いはないのだろう。

 家に帰る道すがら、昨日からの出来事を振り返る。特に秋山のことを。日本には、大学進学を機に戻って来たといっていた。乗っている車はその時に居候した父方の祖父から譲り受けたそうだ。

 なぜ、慣れ親しんだ魔界やイングランドを後にし、魔界も魔界人も認めないこの国に来たのだろうか。

 最後まで聞くことのできなかったその疑問に、いつか彼が答えてくれる日は来るのだろうか。

「あれ、居ないのか」

 車を止めた後で、シャッターが開けられたままのガレージが空なことに気づいた。二人して夕飯の買い物にでも出かけたのだろう。

 両親の不在に安堵のため息をつきながら玄関に入ると、また鍵をかけた。

 シャワーを浴びて寝よう。
 どうにも眠たくてしょうがない。

「あんたはすごくいい匂いがする」

 アイリスの言葉が耳に蘇る。
 秋山にも言われたことがあった。
 人に対していい匂いとは、一体どんな匂いを指すんだろう。

 1日で自分の身に起きた出来事と秋山から聞いた情報量が多過ぎたのか、見たこと聞いたこと感じたこと、その一つとして整理できぬまま、頭の中で散らばったまま眠りに落ちた。

「あんたは優しそうだから」

 どんなに優しくたって、女の子ひとり救えないんじゃ、意味がないじゃないか。

 秋山を狗鷲の男に託したあと、錐歌は二つの魔名が使われたこの場所の現場検証を始めた。

 魔界を容認しないこの国にありながら非公式で入り込んだ魔界人とそれをいいように扱う人間の間で商売をしてきたシェザーについては、錐歌の属する境界警備隊でも注意深く観察してきた。が、2ヶ月前の騒ぎから足取りが取れなくなっていた。わかっているのは、シェザーが非公式で行っていた魔界人のコミュニケーション・パーティーで、ちょっとした騒ぎが起きたこと。参加者からの通報を受けて境界警備隊が駆けつけた時には、古びたゲームセンターの中には焼けた死体しか残っていなかった。怪我人は警察官や消防と一緒に駆けつけたこの周辺をみている陰陽寮に拘束されたのだ。シェザーと面識のある魔界人を探し出して聞き出せたのは、シェザーとその魔女・ヘレナのいたVIPルームから出火し、店内を焼き尽くしたこと。彼らと話をしていた、火事の原因となった2人連れが逃げたこと。彼らに襲いかかった用心棒の屈強な魔界人達は手も足も出なかったこと。くらいだった。

 つまり何もわかっていないのだ。

 だが秋山がここにいたということは、彼が関わっていた可能性が多いにあるということだ。

 集まる連中のほとんどは、人間界へ渡界するのに手続きをしない密界者が主で、彼らは偽名を使い外見をアバターで変化させている。おそらく秋山もニックネームを名乗り外見もアバターで変化させていたであろうが、そんな嘘を見破るためにシェザーは魔女・ヘレナを連れ歩いているのだろう。

 300歳を超える魔女に、半端吸血鬼の安易な魔法が通用するはずがない。アバターも使わず本名でいられるのは、シェザーのように身の安全が確実に確保できる有力者くらいだ。

 部屋の中の魔法陣の外側に沿って4つの端末を置き終えると、スマートフォンを取り出して操作し始める。
 中継端末を繋いだ空間の内側にノイズが走り、3D画像が立ち上がった。
 この部屋、この場所に保存されている記憶だ。
 画像には錐歌がいる。今現在の状況だ。そこからいっきに時間を遡り、最初に秋山が現れたところで一度止めた。

 その時、この部屋はまだ暗かった。灯りも無い部屋では、魔法陣から湧き立つ魔法光の淡い光が頼りだ。記憶させた座標を移動できる簡易魔法陣から出てきた瞬間、罠の電撃を浴びて秋山は床に倒れ込んだ。彼の体を動かし椅子に縛りつけたのは、見たことのない魔女だ。黒髪で少し小柄なその魔女は、そのあと何処かに行ってしまった。

 魔女に印を付け、画像を早送りする。しかし使われていなかった場所にもかかわらず、記憶の滞留が悪い。空間が不安定なのか全体的にノイズも多く、先に進めば進むほど画像が荒くなる。調査書の添付に使うには、根気よく画像処理をしなくてはならないだろう。

 全部の記憶を記録するにはスマートフォンではメモリーが足りない。必要な箇所だけ確認しながら進め、あとは外部HDDに録るしかないか。

 シェザーと秋山の争う画面が出てきた。空間の記録では流れてしまう音はほとんど拾えないので、会話も不明だ。

 注目すべきはシェザーの姿だった。全身を金属のプレートで補強し包帯に包まれぬいぐるみのように膨れた姿に、鼻持ちならない笑みを浮かべて美女を連れ歩く要注意人物の面影ない。

 秋山に顔を近づけ何やら話しかけるシェザーの体が、大きく痙攣した。何を言ったのか、腕に秋山が噛み付いている。

 次の画面では、銀色の甲冑がシェザーの前に立っていた。錐歌が駆けつけた時に跪いていた、魔名”エルザス”だ。

 もう少し先ではシェザーの頭が床に転がっていた。秋山が手を出したのだろうか。
その後も時々先送りしては止めて内容を確認するという作業を続ける。
短時間であるにもかかわらず、情報量は膨大だ。ヘレナの魔法の構成量が多いのも理由の一つに違いない。

 やがて大きな狗鷲が出てきた。

 動きを止めた甲冑と秋山の間。

「行き過ぎた」

 秋山が魔力を使いドラゴンを呼び出そうとしているのが見えた。出現の手前で狗鷲が腕に取りついて阻止している。命知らずもいいところだ。だが助かった。

「あいつ、無茶して」

 魔眼の力があるとはいえ、魔界性生物の召喚はエネルギーを大きく消耗する。特にこのあたりの地は。それに相手はあのエルザスだ。例えドラゴンを召喚できたとしても、ユリの守護者を消すことはできない。彼女は聖人でその魂は気高く、纏う銀の甲冑の如く強い守備力を備えている。そのままであれば結びつけられた魂の持ち主を守るだろうに、そのシェザーはすでに事切れている。名主マスターはシェザーであるはずだが、彼女はなぜ守らなかったのか。

 モグリの商人といえど大商人の御曹司だ。

 行き過ぎた記憶を戻していく。

 秋山とエルザスが戦っている。魔力がほとんどなく魔法を使えないエルザスには、その代わりに力と強靭な肉体があった。全身を銀の甲冑に包み愛槍を使いこなす彼女は間違いなく、剣よりも旗を持つことを選んだジャンヌ・ダルクの鉄壁の壁となっただろう。

 ここにはまだ狗鷲はいない。

 そしてついにその姿が出てきた。

 部屋の高所にあるステンドグラスを破り飛び込んできた狗鷲が触れると、魔女ヘレナの構築した魔法陣は稲妻を伴って激しく反応した。意図して結界を破壊したのか、強引に結界を通過しようとして反応した結果破壊されたのか。どちらにせよ結界を構築している魔法の特定もしないで突っ込んでくるとは、なんて自殺行為な!

 結界の種類によっては消されてしまうというのに。

 結果屋根が吹き飛びはしたがあの狗鷲に怪我はなかったのだから、不幸中の幸いというべきか。

 錐歌は別ウィンドウをホログラムとして立ち上げ、急いで魔法陣の魔力の流れの解析を行った。スマートフォンではタスクオーバーな気がするが、解析を一つだけに絞れば負担は少ないはずだ。

 建物に到着したときに存在者の確認を行なったが、シェザーはともかく彼の魔女ヘレナはいなかった。これほどの魔法陣を構築し運用するなら、必ず近くにいるはずだ。魔力の流れのみの解析のため、結果はすぐに出た。魔女ヘレナはこの世にはいない。彼女は秋山の魔眼と魔名の発動を抑えるために、自らの命をエネルギーとしてこの魔法陣を描いた。そして、もはや魔力のブラックホールと化したこの場所に外から割って入ろうとしたら、あの狗鷲が浴びた反発の稲妻程度では済まないはずだ。引き裂かれ、新たな魔力として吸収されていたはずなのに、狗鷲はそれを跳ね除けた。

 最近この辺りに翼を持った翼人タイプか狗鷲に変態する魔界人が来たという噂は聞いていない。大魔女の命を掛けて張った結界をいとも容易く破る彼(?)は何者なのか。

 秋山と話す巨大な鳥にも、錐歌は印をつけた。
「後で守人に聞いておかないと」
 溜息と舌打ちを同時にして、手元のスマートフォンから目を上げた。

 そろそろ捜査の次の段階に進んだほうがいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?