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「人を幸せにしたら自分も幸せになれることは知ってます」「だったら…」「洗濯機でご飯が炊けますか? 洗濯機で髪の毛乾かせますか? 人間にもそれぞれの機能がある。僕には人を幸せにする機能は備わってません」(大豆田とわ子と三人の元夫 2話・中村慎森)

タイトルが思い浮かばなかったので、私が好きなドラマの私が嫌いな私のような人物のセリフを引用しました。



ここ最近、毎日のように家でお酒を飲んでいる。
大学生をやっていた4年間では数えるほどしか飲んでいなかったのに。

ここで『お酒を飲むメリット・デメリット』なんて内容のないインスタグラマーの真似をするつもりはない。
至極当然な内容を反復するだけのあたりまえ体操だからだ。
(今日は本当に酔っているようだ。誤字脱字は大目に見てほしい。)

ーーーーーーーーー予防線ーーーーーーー

今夜は早上がりした時間を活かして、映画を観るか、筋トレをするか、散歩をするか考えていたところに、「まずは飲んでから考えましょうや」という悪魔が表れたところから始まる。

いま現在我が城にあるアルコールは"いいちこ"パック3分の1に金麦1缶。
コスパが良いというだけで好きで飲んでいるわけではない"いいちこ"を水道水で割って飲みながら、1週間前に届いた鈴木真海子のレコードを聴いている。


鈴木真海子といえば、先日、yonawoとのタイバンを聴きに東京へ行った。仕事の休みの関係もあり4連休で臨んだTokyo。

私の中でTokyoとは、都会にあこがれた中身のない夢を追った若者が無理をして生活しているところ、というイメージだった。
そのイメージが覆されることはなかったが、そのなかでも人生の幸せを見つけている人もいる。
『人もいる』と言ってしまえば、少し距離ができてしまうが、そいつは私の中学の同級生だった。

中学2年生で初めて認識したそいつはお世辞にもイケてる区分にはいなかったが、直感で【いい奴】だと思った。そのメンツで作ったグループ名が「最強組」だ。今思い返してみてもかなり恥ずかしい。ほかのコミュニティでも過不足なく接することができた私たちにとってそのグループは特別感を持っていた。

その時の話は省くとして✂︎✂︎✂︎✂︎

そんな奴がいまや結婚して『嫁が,,,』なんて言っているじゃないか。さらには『そろそろ家も欲しいと思ってるんだよねー』などと。
「ホンマに幸せになってくれてうれしい!!」と、言葉が口から飛び出る。
これは嘘じゃない(からこそ上から目線でごめんなさい。)ホンマに幸せそうで嬉しかったからだ。しかし表裏一体的に湧き上がってくるのが、「羨ましい」
「私はこいつのように【幸せ】を享受できるのだろうか」という気持ちだ。

【幸せ】の形なんて人それぞれだ。
そんなことは先刻御承知だ。

Tokyoに遊びに行った間に逢った友人にも、ここ2年で独立することを考えているやつ、取敢えず彼女がいるからそこから離れずSEをやっているやつ、地元に戻って喫茶店を開くために深夜残業しながらも資金をためているやつ、十人十色だ。


十人十色すぎて、自分の生きる道筋を見失っている。




東京での4連休も終わって、赴任先の陸の孤島に戻った私。




そこでの生活が最低かと言われればそんなことはない。
仕事の相談に乗ってくれる職場の先輩もいれば、飲みに誘ってくれる飲み屋の兄さん・姉さんもいる。恵まれている側なんだと思う。

でも心の隅にはこんなところで人生を無駄にするんじゃなくて、
もっと自分の好きな環境、文化に触れながら生きていきたいという欲望も同じように湧き上がっていく。

仲の良いゼミの同期が言う「そろそろ集まらない?」という集まりに気軽に顔を出せる環境。好きな飲み屋に好きなタイミングで行けるような環境、その日にあるライブに帰り際顔を出せるような環境。

こんなどうでもいいことを言っている間に、いいちこのパックは空になり、金麦の缶も乾いた音を出しながら床を転がっている。

いま打っている「文章」が文章としての体裁を保っているのかもあやしいし、なんなら、単語として成立しているのかも今の私には知る術はない。
(酔っている状態を著す状態として『像を結ばない』とは言い得て妙だ。いまの私にピッタリではないか。)




ちなみにBGMは鈴木真海子『ms』、松任谷由美『YUMING BRAND』、カネコアヤノ『よすが』、yonawo『desk』で4枚目に至っている。
レコードの盤を四度取り出し、四度裏返し、八度針を落とした間に生産性のあることを私はできているのだろうか

生産性を主軸に考えている時点で私は資本主義の歯車のひとつであろう。
そこを脱しなければ見えない世界がある。
私が京都でこんな人生楽しそうだなと思ったひとたちはその世界の住人だった。

ここで、先程の中学の同級生の話に戻るのだが、果たしてあいつは【幸せ】な人生を過ごしているのか。べつにあいつの人生を否定しているつもりはない。しかしながらあいつの人生が正だとした場合、結婚というレールから遠ざかっている私の人生は誤ということになるだろう。その場合、私があこがれたその人たちの価値観はどうなるのだろう。
自分らのやりたいことに振り切ったただのおなにー集団の集まりなのか。
そんなことはない、彼らの中にも確かに正義はあった。大多数には受け入れられないかもしれないけれど。よく人々が口にする【幸せ】からは遠ざかってしまうかもしれないけど。






休憩がてら、携帯を触る。

ありがたいことに来ているメッセージを返す。




インスタグラムを開く。

最近結婚した高校の同級生のストーリーをみる。
どうやた夫婦で仕事終わりにカラオケへ行っているみたいら。





お酒が足りないようだ

これが私の遺言にならないことを祈る。


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