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寂しさなんて野暮なことから逃げ続けろ

過去に戻れるならいつに戻りたい?

友だちと喫茶店で駄弁っているとき、
長距離ドライブで渋滞にはまっているとき、
お酒の場でのバカ話が終わりひと段落したとき、
知り合って間もない人とのLINEで話す内容が尽きたとき、
そういったさまざまな場面で私(たち)はこの話題について触れてきた。

別に、本気で過去に戻れるなら、、と考えながら答える人はそういないだろう。なぜなら私たちは過去に戻れないことを知ってしまっているから。そんなSFじみたことを本気にするほど純粋でも浅はかでもなくなってしまったから。

だから話していた相手がいつに戻りたいと言ってたかなんていちいち覚えていない。
だって、その願望は叶うはずがないのだから。


あなたは過去に戻れるならいつ、どのときの自分に戻りたいですか?

「小5の夏かなぁ」
私はそう答えていた。

もちろん理由はある。誰にも言ったことはないけれど。
それまでずっと仲良かった子と仲違いし、今日までひとことも話さなくなってしまったからだ。

きっかけは些細なことだ。
夏休みの親子参加型のキャンプ、
夜遅くまで起きていても怒られない非日常、
そんな状況に舞い上がっていた私はその子にちょっかいをかけ出した。
なにが地雷になったのかはわからない。その子から「もう話しかけんな」と言われた。
ガキだった私も文字通りにその言葉を受け取り、その子から話しかけるまで絶対私のほうから声をかけてやるもんかと決心した。


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そしていまに至る。
小学校5年生の2、3学期はもちろん、6年生の丸々一年間その子と話すことはなかった。

その後中高一貫の私立に行ったその子が、風の噂で関西の大学に進学したことを聞いた。

これまで23年間のうちの、たかが8年間ぐらいを一緒に過ごしただけの幼馴染。それに小学生の"仲良い"ほど信用できないものはない。実は相手はそんなに私のことを仲良い人として見ていなかったのかもしれない。

ただ、あれは間違いなく私の人生のターニングポイントだった。
ごめんと謝ることができていれば、私立中学、高校で定期的に連絡を取り合ったり関西や地元でお酒を交わす仲になれていたりしたかもしれない。

だから私の戻りたい過去は小5の夏。
その子との仲違いをしない、もしくは修復するために戻る。その一択だった。



そう。過去に戻るならいつに戻りたいか。
この命題には、「たられば」で過去に戻ってやり直したい時期を答えるものだと思ってた。

しかし最近、というか昨日今日で
「あぁーあのときに戻ってまた同じ生活を送りたいな」と考えるようなことがあった。
“あのとき"とは高校生のときだ。

高校という場所は不思議なところだ。
どうだろう、私の通っていた高校が特殊なのかもしれない。同じような人が集まってくる。
もちろんそれぞれにキャラはあるし、意見が合わないこともある、イジる奴がいればイジられる奴もいる、アウトドアのやつもいればインドアのやつもいる、人見知りもいれば誰とでもすぐに仲良くなれるようなやつもいる。

そういったことじゃなくて、もっと大枠の部分、人間関係への考え方や物事の捉え方、何に重きを置いているのかといったそんな著しづらいところが同じ人が集まる。そして同じ時間を過ごす。

あの互いが互いの考えを尊重しつつ根本の部分では繋がっている感覚。あれはなかなか得られるものではない。
高校卒業後、大学へ行き、単純に接する世界が広がった。いろんな環境で育ってきた人たちといろんなコミュニティでたくさん出会った。このnoteでもちょくちょく大学時代のことを書いているが、本当に、いろんな人、コミュニティと出会った。
そこでわかったことはコミュニティごとに独特な雰囲気や空気感があることだ。しかし高校時代のような居心地の良さはあまり感じられなかった。


大学に行っても高校の友達と会ってしまうのはそういった居心地の良さに逃げているのかもしれない。私の肌感だがうちの高校を謳歌した人ほど、大学で友達ができないと嘆いていた。私もその一人だが京都で大学生をしているときは、わざわざ大阪にいる高校の同級生との飲み会に行くために週に一回は阪急電車に1時間以上揺られていた。でも全員が全員、元から仲が良かったかと言われればそうではない。そのなかでも高校時代には一言も話したことなく、大学が同じ関西方面だと知ったときも別にそこまで仲良くなることはないだろうと思っていたやつもいる。

人は第一印象でほとんど決まるというがそんなことはない。

だって関西で大学時代、誰と仲良かったかと聞かれれば真っ先にそいつの名前を口に出すだろうから。


脱線してしまった。そいつの話はまた今度ゆっくり話したい。

命題は、過去に戻れるならいつに戻りたいか。

要は、そんな一番深い仲になるようなやつが他の仲の良いやつで埋め尽くされていたのが私の高校であり、そんな高校時代に私は戻りたい。
いや、今の現実から、楽しい記憶ばかり残っているあの時代に逃げ出したいんだ。


いまの私は「たられば」で過去に戻ってやり直したい時期を答えるのではなく、「たられば」である過去の楽しかった時代をもう一度繰り返したいんだ。

いまだに過去の「たられば」を引きずりながら、あの時ああしておけばと後悔しながらの答、
「あのときは楽しかったなぁ」と人生のピークを振り返りながらの答、
どちらのほうがこの命題の答え方として、また、人生の考え方として正しいのだろうか。

現状維持では後退するばかりである。(Walt・Disney 1901-1966)

有名なアニメキャラクターを生み出した人が残した言葉らしい。
現状維持では後退するんだって。

相対性理論的考え方か?

それならば、現状維持ではなく過去を振り返ることで後退するスピードは上がり、私は時間を超え過去に戻ることができるのだろうか。そんなことはない。それができるならば今この瞬間にも私は戻っているだろう。
よって、矛盾が生じ、私が過去に戻れるという仮定は否定される。
以上より、(なんちゃって)背理法を用いて現状維持では後退するばかりであるという言葉が間違っていると証明できた。

私が高校で得たものは、理論武装するためのなくてもいい、むしろなかったほうが楽に生きられたのではないかという知識と教養といまだに連絡を取り合える友達だ。

現状維持でもええじゃないか。
過去を懐かしんでもええじゃないか。


私が少しでも楽になるなら。
いまの生活から少しでも逃げることができるなら。

止まるな。行き先はどこでもいい。
逃げ続けろ。スキゾキッズ、エスケープ。
喜び、悲しみなんて関係ない。
寂しさなんて野暮なことから逃げ続けろ。

いいでしょ?
逃げ続けても


いまだけは

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