友情は損得勘定
通知が来た時間は23:05。
晩ご飯を食べ、寝落ちしていた私の携帯に届いていたメッセージ。
私は友達がそれほど多いほうではない。
一人で出かけることは日常茶飯事だし、メッセージアプリの通知音が24時間以上聞こえないことも少なくない。
そんな私が、人並みに大学生活を送ることができたのは、私を遊びや飲み会や旅行に誘ってくれる人たちがいたからこそだ。
私が高校2年生のとき、同じクラスの子に
「○○って損得勘定でしか動かないよねぇ」
と言われたことがある。
図星だった。
私は相手の存在が自分にとって得か損かで接している。
とても薄情な考え方に聞こえるかもしれないが、言い換えれば、
”私がそのひとと一緒にいて楽しいかどうか”
ということだ。
私は苦手な人に自分の自由な時間を与えるほどお人よしではないし、それほど器が大きくない。
なので、私が一緒にいて楽しい、又は、将来的に仲良くなりたい、と感じる人を選んでいるし、それ以外の人に私のエネルギーを使うことができない。
しかし、この考えを改めようとは思わない。
むしろ、私が生きていく上でのライフハックの一種だとすら考えている。
ただ気になるのは一点。
わたし自身が、その人にとって
”一緒にいて楽しい存在になれているのかどうか”
ということだ。
こんな私に自分の時間を共有してくれる人物など、寛容さの塊といっても過言ではないだろう。
遊びに誘ってくれる相手は多いだろうし、そのなかで使うエネルギーは私とは比にならないことが想像になくない。
そんな人たちが私と時間を共有して楽しいのだろうか。
私はその人たちに何か価値を提供できているのだろうか。
そんなことを思いながらこの記事を書いていると
また通知が来た。
日付が回って時間は2:14。
おっと、返信するのを忘れていた。
こういうところが
私に友人が少ない理由なのかな。
というふうに開き直ってしまうところが
私に友人が少ない理由なのかな。
彼らにとって私にどのような価値があるのかはいまだによくわからない。
それでも私は、私が好きな人たちに真摯に向き合い、私なりの価値( 得?愛? )を提供していきたい。
そう思いながら、私の愛を込めたスタンプを1つ
グループトークに送信した。
いまはこれが私の精一杯。
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