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生きていた。35年以上、行方知れずのおじさん。

私にはたぶんADHDだと思われる母がいることは、こちらでご紹介しました。

AHDH母には2人の弟がいます。上の弟さんは、私の実家の近所に、彼の母親(私の祖母)と一緒に住んでいました。林業で働いていたので、この文章では、上の弟さんのことは、キコリンと呼ぶことにします。ちなみに、母方の祖母は、数年前に亡くなりました。

そして、キコリンには弟がいます。キコリン弟には、私が小さい頃、一度だけ会ったことがありました。

おもちゃ屋さんにつれて行ってくれて、私に「なんでも好きなものを買っていいよ。」と言ってくれたのです。私は大きな女の子の人形を選びました。そしたら母に「もう少し安いのにしなさい。」とたしなめられ、少し小さめの、赤い服を着たお人形を買ってもらったのです。

私は、幼少期から自分の希望を聞かれた記憶が、あまりありません。基本的にはいつも、両親が勝手に選んだものを与えられるのみでした。なので、なおさら、このことは記憶に残っています。

でも、キコリン弟に会ったのは、それっきりでした。その後、35年以上月日が経ちましたが、一度も会ったことがありません。

子どもの頃、時々おばあちゃんに「キコリン弟は、どうしてるの?」と尋ねたことがありました。おばあちゃんは、「偉い社長さんになって、お金持ちになったから、忙しくて来れないんだって。」と私に言っていました。私は、ずっとそれを真に受けていました。

でも、さすがに大人になるまで、一度も顔を合わせないとなると、なんか変だなと思っていました。もしかしたら、北朝鮮にでも拉致られたのか、誰かに殺されてしまったのか、何なのか、、、あまり聞いてはいけないことなのだろうと思い、そっとしておくことにしました。

キコリン弟がどうなっているのか、よく分からぬまま、祖母が亡くなりました。祖母のお葬式には、近所の方も集まりました。

近所の方が集まった中で、キコリン弟のことも話題に上がりました。私は、みんなキコリン弟のことを忘れてしまっていると思っていたので、話題にあがっただけでも嬉しく思いました。

「何やってるんだろうなぁ、あいつは・・・。」

と、近所の人が、母とキコリンのことを、チラリとみましたが、二人は無言のままでした。

祖母が亡くなって落ち着いてから、しばらくして祖母の遺品の整理の手伝いをしました。

その中から、祖母がキコリン弟に書いた手紙、キコリン弟が何やら誰かに謝罪している文章、キコリン弟の高校卒業アルバム、宅建の資格証明書などが出てきました。

私の母と、キコリンは中卒だったので、てっきりキコリン弟も中卒だと思っていたら、高校は卒業していて、さらに宅建の資格まで持っていたことに、私はびっくりしました。

さらに、私の妹も、宅健の資格を取得したばかりだったので、目に見えないつながりを感じて、感慨深いものを感じました。さらに、キコリン弟の高校の卒アルに、私の高校に在籍していた先生が2人ほど写っていました。これも、かなり驚きでした。

そして、祖母の手紙。

祖母は、恐らく字が書けなかったのだと思います。祖母の手紙を読みましたが、何を書いているのか分かりませんでした。でも、書けない字を一生懸命書いて、キコリン弟に、何かを伝えたい気持ちがあったんだな、という事が伝わってきました。

少しホッとしたような、でも、結局手紙も出せなかったのかと思うと、悲しいような、複雑な気持ちでした。

片付けが終わった後、キコリンが酔っぱらって、ポロっと「キコリン弟の住んでいる場所、知りたいか?」と私に聞いてきました。私は、キコリン弟はもう死んだ人だと思っていたので、びっくりしました。

何なら、墓石にキコリン弟の名前も、祖母の名前と一緒に刻んでおいておいた方がいいんじゃないか、と思っていたくらいです。

キコリンが言うには、数年前に大阪の市役所から、生活保護の通知が届いたのだそうです。私も見せてもらいましたが、キコリン弟の生活を助けることはできませんか?、的な文章でした。これは母にも同じ文章が届いていたようです。

でも、二人ともキコリン弟を助けることはしなかったようです。何十年も音信不通であるということに、言いしれぬ不安を感じているようでした。

もしかしたら、こっちに帰ってきたくないかもしれない人を引き取って、何か問題が起きるよりも、行政の力を借りて、今の生活を維持することを選んだようでした。

キコリン弟の住所も書かれていたので、調べてみた所、ホームレスなどを保護してくれるような施設のようでした。もしかしたら、キコリン弟は、ホームレスだったのかもしれません。

母とキコリンは反対しましたが、どうにか言いくるめて、私はその施設に電話してみました。でも、すでにキコリン弟はそこにはいませんでした。生活保護を受けて、どこか引っ越したのかもしれません。

いろいろと不思議でした。

なんで、音信普通なのか。どうして、母もキコリンも、キコリン弟を放っておくのか。

うちの親族に、ホームレスだった人がいるかもしれないと思うと、それも不思議でした。たぶん、まだ60歳になっていないんじゃないかと思います。どうして、うちの家系はこう変わった人が多いんだろうと、不思議でなりません。

ADHD母、パチンコ依存症父。二人の共通点は、早くに父親を亡くしたことです。何か幼少期のトラウマでも関係しているのかな、とかいろいろ考えます。

ちなみに、聞いた話では、ゴミ屋敷の住人は別離のトラウマを抱えている人が多いのだそうです。イギリスのBCC放送でやっていたのだとか。その話を聞いたときに、父と母のことを思って、少しだけ泣きそうになりました。

キコリン弟には、一度しか会ったことがありませんが、やっぱり行方が気になります。

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