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故郷忘じがたく候

所用があって鹿児島に上がった。

たまたま、お雛様の掛け軸が目についたので鹿児島の老舗の和菓子屋さんの前に歩き進んで見ると、掛け軸の下に黄金色みたいな飴色の釉薬がかかった陶器の方に目が奪われた!

高さ20cmもない小さな花瓶。

ものすごいパワーを感じて、つい和菓子屋さんに入って「ショーケースの中の屋久杉の上に置かれている花瓶はどこの陶器ですか?」と尋ねた。

するとお店の男の方が親切に対応して下さって、「薩摩焼です。」とお答え下さり、ショーケースの鍵を開けて見せて下さったんです。

「触っても良いですか?」厚かましい私に嫌な顔せずに「どうぞどうぞ」と。

たっぷりと釉薬がかかっているのに、めちゃめちゃ軽い!

そして、黄金色みたいな飴色の釉薬の下にロクロ線と白色に近いドット。

その本体に吸い込まれていきそうな程のきらめき。

これはホンマに薩摩焼なのか????私の知っている薩摩焼は乳白色に色付けされているものか、焼酎を呑む時に使う黒ぢょか位しか知らない。それで、「どなたの作品ですか?」とお尋ねしたら、「調べてみます」と電話で何処かに尋ねて下さった。

「沈壽官さんだそうです。」と、お聞かせ頂いて「何代目の沈壽官さんですか?」と、お尋ねしたら「ん〜それは分かりかねません。」

今、この文章を書きながら、まだ大興奮さめやらず状態で、あの沈壽官さんの作品を触らせて貰った事、そして
薩摩焼について知りたくなりました。
まずは、こちらを。

薩摩といえば、薩摩焼。

薩摩焼といえば、沈壽官さん。

その沈壽官さん!

親切な和菓子屋さんは花瓶の裏まで見せて下さって、
刻印を見せて下さったけれど、ルーペがないと、見えなかったので、今となれば残念。

路面電車から何十歩ほど道に入った大きな構えをされている老舗の和菓子屋のショーケースに、ちょこんと置かれていた沈壽官さんの花瓶。

確か、叙勲された記憶があるけれど、そんなスゴい方の作品を見ず知らずの私に触らせて下さった事自体が不思議すぎる。


最終便の高速船に乗って屋久島に帰るのに、どうしても謎を解きたくて、調べたら。(謎とは、和菓子屋さんの花瓶が沈壽官さんの作品なのかを疑っている訳ではないのですが、薩摩焼という謎、沈壽官さんという謎という謎です。)


日置市に沈壽官さんの窯元があって、見学出来る!
けれど私は最終便の高速船に乗って帰らないと行けないから、次回また鹿児島に上った時に行くしかない。

色々調べたら沈壽官さんの喫茶店が、港からさほど遠くない所にあった。

ここなら行ける。けれど、薩摩焼についての知識がない私はまずは、そこからやな、と、ネット検索すると、


長島美術館には常設展示で、白薩摩焼を約200点と黒薩摩焼を約400点があるとの事。

こりゃ行くしかない!

その美術館は奄美大島の喜界島出身の方の設立で、
どうして桜島の真正面にある丘の上に、ルノワールやミロがあるの?      彫刻もイサムノグチやロダンがあるの?
驚きの連続で、めちゃめちゃ息がきれてくる。(じつは謎が謎を呼びました、どうして薩摩藩に搾取された奄美出身の方が薩摩焼をここまで収集されているのか? それも展示室が白薩摩焼と黒薩摩焼を別々に分けていらした。一体、長島さんとはどのような方だったのか?かなり興味が湧きました。)


そもそも、鹿児島中央駅から2キロ位しか離れていないらしく、歩いて行ったら、モッチョム岳に登るくらいの角度の坂が美術館の門まで何百メートルまで続き、息はすでにきれていた。(あの坂の傾斜を思い出すと長島さんの思いが分かるような気がするけれど謎は謎です。)

そして待望の薩摩焼コレクションの数々。

けれど、私が見たあのショーケースに飾ってあったものに近いのは全くなかった。

なぜ?

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分かった事は、沈壽官さんは、苗代川焼なんやと。

で、帰りの時間が刻一刻と近づいていて、再度ネット検索すると、司馬遼太郎さんが14代沈壽官さんを主人公に書かれた本があるとの事で急遽、屋久島へ帰るギリギリに本屋さんにより手に入れ高速船の中で一気読みし、号泣してしまいました。

あと、歴史学者で東京大学名誉教授の山内昌之さんが、解説されている内容にもググッと、胸に沁みました。



さて、ここからは私の推測の話になります。

老舗の和菓子屋さんと沈壽官さんは古くからのお知り合いで、良い作品が出来たから、プレゼントされたのが、私の見させて頂いた黄金色みたいな飴色の花瓶なんやという、あくまでも、私の推測です。

その理由は、司馬遼太郎さんの本の中に出てきた膚質に黄金の梨地が沈んだような玄妙な黒者だけはかたく御用とされ、その秘法も一子相伝の口伝とされてきた。 12代は13代翁にその口伝をあたえることなしに亡くなられ、14代沈壽官さんに13代が御前黒をやれと、その時の家長が年の始めに工人ひとりひとりに今年やるべき課題を与え、紆余曲折があるが見事にクリアするくだりがあった      

和菓子屋さんの花瓶は、その御前黒ではないかと。              そして、そんな宝の陶器をなぜ、プレゼントされたかと推測したのは、その和菓子屋さんも薩摩藩と深い関わりを持つ名家であり、14代沈壽官さんのお人柄、(お会いした事もないけれど、司馬遼太郎さんの小説から読み解くと)なら、きっと  「釜出ししたら、ええのが出来たからどうぞ」と、なったのではないか、、、、。

多分、値段なんかつけられないものだと思うのです。

その花瓶についての、あくまでも私の想像はここまで、とします。

そして、

何にしても未来への扉がひとつ開いた気がします。
どんな扉か?

まだ分からないけれど、あの花瓶の持つパワーに近づく為に日々、自分を磨く事しかないかな。

鹿児島の老舗の和菓子屋さんに感謝です。
ありがとうございました。
また伺います。







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