前橋から銚子への遠回り(その5/砂の道を行く)
現在は「鹿嶋市」と表記される鹿島は、当時は「鹿島町」であった。静岡県からほとんど出たことがない少年の頃から、私は「鹿島」の名前だけは知っていた。地理の教科の副読本か何かに、鹿島港の成立の課程が説明されていたからである。
一九六〇年代半ば、高度経済成長期に鹿島港の建設は始まった。工業的、近代産業的なものはおそらく何もなかったであろう鹿島灘に面したその砂の土地をほじくり、Y字型に掘り進んで港に変えた。その港湾を取り囲むように、財閥系の重厚長大産業の工場が建設され、海上から陸上へとつながる運輸と物流のインフラを整備し、ほぼ一次産業で成り立っていた地域が短期間で臨海工業地帯となった。新しい人口が流入し、地域の様相は一変した。
工業港を掘り込んで新造し、原料の搬入から加工、製品の出荷まで同一エリア内で効率的に行うための設備を大規模に開発してしまうという事例は鹿島港だけではなく、静岡県の田子の浦港や富山県の富山新港などにも見られるだろうが、規模が巨大で首都圏に近く、また開発の前後での当該地域の変化が激しいという点において、鹿島はその時代の工業開発史の象徴となった。
自分からすると、そういう教科書的な産業史もそれなりに面白いとはいえるものの、砂だらけの土地に大型船舶が入港できるような港を一気呵成で造成してしまったという点に、一種SF的なストーリーを感じてしまったということのほうが大きいかもしれない。鹿島臨海工業地帯の主軸は製鉄、石油化学、火力発電であり、高度経済成長的に夢見られた工業の典型でもあった。
その一方で、鹿島神宮という、東国を代表して古代の息吹を伝える神域がこの地に鎮座し、工業に刈られた上総の野の西の方、鬱蒼たる神の森が残っていることに不思議な感動を覚えたりもする。古代と近代が対峙していて、対立的な様相でもありながら、場合によってはそれらの対比的な位置には人の暮らしがあるのじゃないのか、とさえ思えたりする。
南下ルートで辿り着いた鹿島神宮では、気になっていた「要石」、氷山のようにごく一部だけ地表に出ていて、あとはどうやっても掘り返せないくらい大きな本体が地中が埋まっているという伝承の石を見に行き、神域の森の深さに感嘆した。
そのあとは鹿島と神栖にまたがった臨海工業地帯を逍遙する。まずは電波研究所というところのパラボラアンテナを見、それまでの台地上から高度を落として、住友金属製鉄所のだだっぴろい敷地の様子がわかる正門の前を通過する。
神之池という水域が気になっていたのだが、国道一二四号線に出て南下しているうちに、国道からは見えなかったのか、通り過ぎてしまった。このあたりからけっこう風が吹いてきて、広い国道の自歩道では余計吹かれる。波崎工業団地の近傍で利根川と鹿島灘に挟まれた細長い半島状の地形を横切って、鹿島灘側に向う。
すでに地形は台地ではなく、海面標高とさして変わらない砂の土地だ。後で知ったが、土地全体が砂丘のようなもので、それも相当なスケールであり、国内でも類がないくらいの規模らしい。
何度か直角に曲がるようにして、鹿島灘に面した道に出る。夕刻が近付いている。ドライブ旅行で訪れたときに知ったが、砂はベージュ色で、そこに夥しい貝殻が砕かれた白色が撒かれている。それもまた、地の果て、世界の果てに来てしまったような景観だ。半島部先端の波崎に近いところでは、舎利浜という地名があり、頷かざるを得ない。
海岸の砂の上には砂の流れを止める柵状のものがあり、それがまた茫々たる寂しさを盛り立てる書割のようになっている。
道路にも砂ははみ出していて、自転車は相応に気をつけなければならないのだが、ほぼ一直線の道路で人家も見当たらないためか、車は凄いスピードで追い抜いてゆく。ひとつ間違えたら砂浜まで跳ね飛ばされかねないので、数キロ走ったところで再び内陸側に入り込む。銚子大橋の方角を目指して進むが、春の日はぼちぼち暮れかかっている。そのうち、細い道に入り込んでしまい、あげくの果てに砂がたまって自転車を押さなければならないところも通過した。
ようやくまともな道に出たと思う間もなく、国道一二四号に合流して銚子大橋を渡る。すでに暮れなずんでおり、さして良くない路面で車道と同じところを走らねばならない橋ゆえ、生きた心地がしないくらいだった。
なんとか銚子に入ったものの、とった宿は外川(とがわ)という、漁港があって銚子側半島部の最南端に近いところなので、市街地を横切ってからまた数キロは街灯もとぼしいところを行かねばならぬ。ここでも迷いかけたが、なんとかその民宿に辿り着いた。ドライブ旅行のときに、えらくメシが良かったので今回も電話しておいたのだが、はて、玄関は開いて灯りは点いているものの、誰もいない。呼んでも誰も出てこない。
上がりくちにあった電話を使って住居のほうにおられるのを呼んだのか、今ではよく覚えていないが、ともかくそのうちにおかみさんが現れて、一件落着し、ともかく風呂とメシをいただくよ、ということになった。
ふだん飲んでいるわけじゃないんだけど、さすがにその日は距離も走ってくたくたなので、ビールを一本頼んだが、あ、冷えてない、どうしようと聞いて、唖然とするが、もはや缶ビールを買いに出る気力もない。かくして、冷蔵庫の氷を入れたグラスにビールを注ぐ異な光景が展開されることになったが、魚は以前と同じように、たいそう旨いのが食い切れないほどたんと盛られていた。一泊二食の料金に二千円から三千円分くらい料理増やして、と言っておいたのだ。
とりあえずは、これで、関東平野の東南の果てまでは達した。明日はどうするか、考える余裕もないくらい疲れ果てていた。
(「最終回」につづく)