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「困難こそ成長の機会」脇屋友詞が巨匠と呼ばれても挑戦を続ける理由

この取材が行われた2020年3月下旬。

62回目の誕生日を迎えた数日後の脇屋シェフは、「Facebookを始めたんだ」と取材陣に教えてくださいました。

15歳で中国料理の道に進み巨匠と呼ばれるようになった今でも、「一生勉強」と軽やかに笑い、新しいことにもどんどんチャレンジしていく脇屋シェフ

この度、このWakiyaファンクラブにて新しく連載が始まります。

月日がたっても「決して楽ではなかった」と語る長い修行時代。一人前のシェフになり、自身の名を冠した店をもち、今日に至るまでを振り返りながら、「読んでくださる方に、何か生きるヒントを持って帰ってもらえれば」と話します。

先の見えない漠然とした不安が、世の中を覆っています。どんなに頑張っていても、時として自分の努力とは全く関係のない悪運が立ち込めることもあります。

そんな方へ、脇屋シェフだからこそ伝えられるエール

第一回となる今回は、脇屋シェフの修行時代のお話を中心に、「挑戦し続ける力」についてお伺いします。

脇屋友詞(わきや・ゆうじ)
1958年 北海道札幌市生まれ
15歳で中国料理の道に入り、中国料理店やホテルでの修行を経て、現在は自身の名前を冠した中国料理『Wakiya』を経営する。大皿で提供される中国料理にフランス料理のテイストを掛け合わせた「ヌーベルシノワ」を提唱し、見た目にも美しい新しい中国料理を提供している。繊細な味覚から生まれるその料理は、旬の素材を生かした優しい味わいが特徴です。

長い修行の意味を知るのは、いつも後になってからだった

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ー連載の第一回ということで、改めてご自身の修行時代についてお聞かせいただけますか?

昔の人はすごいですよね。どうして中国料理の修行をさせるのに、鍋洗いからはじめたんだろうって、今でも思うんです。15歳でこの世界に入って、周りは18~19歳の調理師専門学校を出た年上の人ばかり。筋力も体力もとうてい及ばない。

くたくたになりながら、毎日毎日何百枚も重たい鍋を洗い続けたのが、僕の修行のはじまりでした。

毎日毎日、不満だらけ。「いつ料理を作らせてくれるんだ、修行なんて言って、何にもやらせてくれないじゃないか」って。頑張っても頑張っても、やっていることが何につながるのかがわからない。

教えてもらえないのに、すごく怒られる。自分なりに一生懸命丁寧に洗ってみれば、「そんなに丁寧に洗わなくていいからもっと早く!」と怒鳴られたりしてね(笑)

やっともらえたアドバイスは、「耳をウサギのように、背中に目を持て」もうさっぱりわからなくて。

当時朝6時半から夜の23時まで働いていて、給料も少ない。もう辞めたいなと最初に考えた3ヶ月目、「あれ?」って違和感を覚えました。それまで目の前の鍋を洗うことでいっぱいいっぱいだったのに、周りの音が聞こえてくるようになった。殺気を感じて振り返ると、遠くで先輩が「急げ」と怒っている。

半年たつと、音で「もうすぐ料理が出そうだな」と気がつくようになりました。仕上がる寸前でさっとシェフの手元にお皿を置き、そのままホール担当に渡して、また鍋洗いに戻る。洗い場に張り付きだった少年は、いつの間にかこの三角形の動きができるようになったんです。そこまでで、1年くらいかかったのかな。

ー目的が何かを教わらないまま、ご自身で気がつくまでに1年。

1年かけて、ようやくちょっとわかりはじめたくらいです。2年たっても掴みきれず、3年たって、ようやく厨房の中を自由に動き回れるようになりました。そこでやっと、少しだけ「使える新人」になれたんでしょうね。それまでは、ただの邪魔者(笑)

普通に考えれば、料理人の修行は技術やレシピを教えてくれると思うじゃないですか。でも、そうじゃなかった。今思うと、「できるようになっていく自分に気がつく」ことが大切だったんでしょうね。つまらなくて意味がないと思っていたことが、こんな変化につながるのかって、初めての経験でしたから。

不思議なもので、最初は重たくて持つだけで手が痺れた鍋も、洗っているうちにだんだん扱い方がわかってくる。もちろん、日々1年上の先輩の動きも見ていますし、コツコツ向き合い続けることで、いつの間にか手に馴染んでいるんです。「どうしたんだろう? 持てるじゃん!」という驚きは、いまだに忘れられません。

いかに「自分の成長に自分で気がつけること」が大事かを感じますよね。自分がやっていることに意味が見出せないのは辛いけど、いつか自分のためになるかもしれない。捉え方を変えられれば、向き合い方は変わるじゃないですか。

どうしたって成果が出るのは積み重ねの少し後だから、せめて何にでも意味があると捉えられれば、成長のスピードは早まるんじゃないかと気がつきましたね。


技術と人間力。どちらも伸ばしてこそ「応援される人」となる

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ーあらゆる出来事が学びに繋がるとは言え、この失敗は凹んだなというエピソードはありますか?

失敗はたくさんありますよ。それこそ修行していた時代に「何時にオーブンから出しておいて」と言われた北京ダックをすっかり忘れて、まっ黒こげにしてしまったことがあります。もう立ち直れないくらい怒られて。やめたくなることなんて、何度もありました。

でも、この世界に入った時に、「年齢に差があろうと同じ時に入る人とは同期だから、負けないように頑張れ」と言ってくれる人がいて、くじけきれなかった。むしろ僕だけ寮に入るのが1週間早かったから、1週間先輩だと。「電気の付け方も種火のつけ方もわかるだろう、後から来た人たちに教えてやれ」とまで言ってくれたんです。

自分だけ幼いことがハンデだと思っていたし、実際体力面ではついていけないと思いましたけど、子供ながらに一人の見習いとして扱ってもらえたからか、若さを言い訳にはできなかったんですよね。

ー先輩とは、どのような関係を築いていたのですか?

いろんな先輩がいました。それこそ人の数だけ教え方があるから、あの先輩とこの先輩で言うことが違う、どれが正しいのかわからないなんてこともしょっちゅうで。

僕としては、指摘されるたびにそのやり方に変えていくんですけど、それを見た他の先輩は「なんで俺が教えた方法でやらないんだ」って怒るわけですよ。子供ながらに、じゃあどうしたらいいんだって理不尽さを感じたことを覚えています。こういうことって社会に出て経験する人も多いんじゃないですか。

ーそれは、どう乗り越えたんですか?

とある先輩が、教えてくれたんです。「理不尽さを感じるのもわかるし、頑張っているのもわかる。でも給料をもらっている以上、見習いでもお前は社会人だ。覚えられるものは早く覚えて、一人前にならなきゃいけない。AとBがあるなら両方学んで、そのいいところを集めた新しいCを自分の武器にすればいい」って。

ーなるほど…。

でも、その武器は自分が一番上の立場になるまでは出すなとも言われていたんです。Aが来たらAのやり方、Bが来たらBのやり方でやり過ごす。どれが正しいかではなく、世の中にはいろいろな人とやり方があるということを、まず理解しなさいということですよね。いろいろなことを吸収するから、自分の武器を見つけられる。

ーいろいろ言われて、フラストレーションがたまることはなかったんですか?

そりゃあありますよ! ちょっとした休憩に同期や年の近い先輩とお茶に行っては、「なんだあのヤロー」って悪口を言って帰ってくる。お店に戻ったら「よしやるか!」って豹変して仕事に戻るんです(笑)そんな風に言っている自分もしょうがないと思うんだけど、そういう時間もなくちゃダメだなって。

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ーお話を伺っていると、料理人というセンスや技術が重視されるお仕事であっても、同時に人間力を鍛えていかなければいけないのだなと感じます。

ある程度の技術は、学べる環境にいれば得られると思っています。例えば、僕が3ヶ月かかりきりでチャーハンを教え込めば、あなたを「チャーハン作りのプロ」を育てることはできる。でもそれは技術だけであって、周りのことを考えられない存在になってしまうんです。

どんなに素晴らしい技術を持っていても、近くで困っている人や泣いている人に気がつけないようじゃ、人から求められる人材にはなれない。「じゃあそれだけやっていてください」と分断されてしまうことは、悲しいじゃないですか。料理人は料理で感動を届けるわけだから、いろいろなものを動かせる人間になって欲しい。人間力を磨くことは、技術をさらに魅力的にさせる二枚岩・三枚岩になり得るんです。

ー良い先輩に巡り合えたんですね。

「馬鹿野郎!」と怒鳴られたとしても、物事を説明してくれたり、ちゃんと考える時間を与えてくれる人は良い先輩です。今思うとね、学生でもないのに、教えてもらえるだけでありがたいんですよ。

大人になると自分が表に立つ場面って、出てくるでしょう。それが大きくなればなるほど、どんどん失敗ができなくなる。予期しない大変な困難に立ち向かわなければならない場面は、いつ訪れるかなんてわからない。

自分がコントロールできないものに立ち向かう判断力は、小さな思考訓練の積み重ねで、身につくものなのかもしれないですよね。

「自分で考え、動き続けよう」そして、素直であれ。

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ー技術も思考も積み重ね…。最近の脇屋シェフを拝見していると、SNSやプロジェクトなど、いつも新しいことにチャレンジしている印象を受けます。

何でも、やったもん勝ちだと思っています。新しいことをやろうとすると、自分の頭でよく考えるでしょう。過去のことを思い返して、こうしようかな? あっちの方がいいかな? って。

この記事も、僕の修行時代の話が大変だったということを伝えたいわけじゃない。読んでくださった方が、僕の話を読んで、自分が何かに立ち向かう時のヒントにしてもらえたら嬉しい。

行動に移してもらえるなら、もっと嬉しい。僕だってまだやったことのないことを、日々少しずつできるようになっているのだからね。

料理に限らず、何でもそう。物事に興味を持ち続けないとだめですよ。そして、勉強。

勉強するのは大変だけど、それをやらなかったら得られない知識があるということを、感じなきゃダメだよね。努力をしたから成果が出て、そこからまた新しいものが生まれてくる。その一段階目を踏み出せない人が、多すぎるんじゃないかな。

やらないことが悪いというわけじゃなくて、やる人間とやらない人間の差はどこまでも広がっていくよという話です。

ーその積み重ねの中で、得られるものは何なんでしょうか。

長く生きていれば思いもよらない事態に直面することは、たびたびあります。しかも、僕の場合は自分自身はもちろん、自分のお店やスタッフはなんとしても守っていかなければならない。その時どうしたらいいかの判断をできるかどうかは、それまでの訓練によるものだと思う。

岐路に立たされた時に、どう判断するか。ただぼんやりと働いていてはダメで、「今はどうにかしなきゃいけない時だ」って感じる嗅覚を持つということだよね。

大きなことを成し遂げようと思わなくていい。自分の周りを見渡してみて、まず手の届くところからでも、できることはいっぱいありますから。


62歳、これから始まる新しい挑戦

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ー最近では、Facebookを始められていますよね。

笑っちゃうでしょ。友人から「やったほうがいいですよ」とアドバイスをもらって、毎日コツコツ投稿しているんです。簡単なのかなと思ったら、意外と大変なんだよ。読んでくれる人は何が知りたいのかを考えながら文面を考えなきゃいけないし、写真も何を撮ろうって、すごく考える。

今だからこそ、大事かなと思っています。疎遠になっていた同じ業界の方とまたコミュニケーションが取れて、広がっていくことが面白いんだよね。

ーその感性がみずみずしいというか…2月に始められて、友達の数も投稿への反応の数も、ものすごいですね…!

僕は、自分のことを巨匠だとか思っていないんです。和食の道場(六三郎)さんもよくおっしゃっているけど、料理人は生涯勉強をし続けなきゃいけない。中国料理すら、まだ知らないことがたくさんあるし、吸収しようという意思のある人は、伸び代があるんだよね。

終わりだと思ったら、本当に終わってしまう。知らないものを知らないと言える人は素直だし、素直な人はまだまだ伸びる。それは、年齢は関係ない。

そういう気持ちを持つことが一番大事で、それはもう生き方そのものだと思うんですよね。


取材・執筆:柴田 佐世子
編集:柴山 由香
撮影:池田実加
バナーデザイン:小野寺 美穂

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