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【キネマ救急箱#19】パワー・オブ・ザ・ドッグ〜歴史に名を残すであろう俳優カンバーバッチが魅せる繊細な人物解釈〜

こんにちは。
ニク・ジャガスです。

今年のアカデミー賞を大いに賑わせた、Netflixオリジナル作品『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を鑑賞しまし…

ちょ、ちょっと待って!
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』見た人、とりあえず集合して!!
みんなで意見交わそうや!

という状態になる作品です。
見終わった直後は「パワーオブザドッグ 解説」とGoogle大先生に答えを求めた人も多かったのではないでしょうか。

ノンノンノン。←?

あなたが感じ取ったこと、全て正解になるかと思います。
と言うのも、作品自体が「物語の核」にあえて言及せず、状況証拠だけで観客に解釈することを求めているからです。

そして個人的には『コーダ あいのうた』が対抗馬でなければ、間違いなく作品賞を受賞できていたと思う作品です。

パワー・オブ・ザ・ドッグ、すなわち犬の力とは何を指すのか。
本当に恐ろしいのは何で、どこから、誰が主導権を握っているのか。

西部劇という影に隠れ、実はサスペンス・スリラーでもある本作をご紹介します。
一点、感想を述べる上で若干のネタバレが避けられないため、未見の方はご注意ください。

※以下、作品のネタバレを含みます。


あらすじ

1920年代のアメリカ・モンタナ州。周囲の人々に畏怖されている大牧場主のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は、夫を亡くしたローズ(キルステン・ダンスト)とその息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)と出会う。ローズに心を奪われるフィルだったが、弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)が彼女と心を通わせるようになって結婚してしまう。二人の結婚に納得できないフィルは弟夫婦に対して残忍な仕打ちを執拗(しつよう)に続けるが、ある事件を機に彼の胸中に変化が訪れる。

Yahoo!映画より

ベネディクト・カンバーバッチ演じる、従来のカウボーイ像を覆すフィル

カンバーバッチ(以下、バッチ)演じるカリスマ牧場主フィルは、威圧的な態度で人に接しますが、仕事においては確かな手腕を持っており、野郎共の尊敬を集めています。
一方、弟ジョージはフィルとは真逆で温和な性格。
「男らしさ第一主義」のフィルからすると、日々蔑みの対象となっていました。

そんな日常を一変させたのが、ジョージの結婚相手であるローズと息子のピーター。
徹底して「女らしさ」を嫌うフィルは弟の結婚が気に食わず、同棲を始めたローズに執拗な嫌がらせを繰り返します。

https://www.cinematoday.jp/page/A0008260より

この嫌がらせシーンは息が詰まりますよ〜。笑

お客様に披露するピアノ曲を練習するローズですが、ある箇所がどうしても上手く弾けません。
すると、階上から同じ曲を見事に演奏するバンジョー(弦楽器)の音色とフィルの見下した顔が。
嫌がらせに耐えられなくなったローズは遂に、アルコールに溺れてしまうのでした。
(まぁとにかく、ドクター・ストレンジを遥かに超える嫌なヤツですよ)

弟、ローズ、そしてフィル。
この3人の愛憎劇が主軸になるのかと思いきや、物語はある事件をきっかけに思わぬ展開を見せていきます。

それは、セクシュアリティ、アイデンティティの受容という、当時口に出すことが禁じられていた秘密を、フィルが抱えていたことに要因があります。
この事実が本作を、従来の西部劇と一線を画した「男らしさ」へのアンチテーゼたらしめています。

男らしさで必死に隠しつつ実は繊細な面を持ち合わせていたフィルを、バッチが見事なグラデーション演技で表現しており、ただただ圧巻です。

「緊張」の前半、「緩和と虚無」の後半

https://front-row.jp/_ct/17498772より

本作は5つの章から成り立っています。
端的に表現するなら第1章〜4章は「緊張」、第5章は「緩和と虚無」です。

それらを「前半」「後半」と表現するのであれば、双方で全く作品の様相が異なっており、もはや違う映画なのでは?と思うほど流れがクッキリ変わります。

(ここで少しネタバレしてしまいますが)フィルは同性愛者であり、自分に生活の全てを教えてくれた師ブロンコ・ヘンリーに心酔しています。

同性愛者であることから、仲間の男たちと一緒の水浴びは叶いません。
秘密の通路を抜けた先の湖で、1人で水浴をしながらブロンコ・ヘンリーを思い続けています。

その象徴的なシーンが、草むらに寝転がったフィルが“BH”と書かれた布で自分の顔を愛撫する場面。
荒くなる呼吸を整えて、静かに布を自らの股間へ仕舞います。

間接的なようで、かなり直接的な表現。これまでの荒々しいフィルからは想像できないほど愛に溢れた人物であることを描いたシーンです。

そんな聖域に迷い込んでしまうのがローズの息子ピーター。

出会ってから終始、フィルは男らしさのカケラもない弱々しいピーターを揶揄い続けていました。
そんな状況が一変、森で出会ったことを機にフィルとピーターの間柄は徐々に、危うさを秘めた師弟関係へと変化します。

ここからが本作のサスペンス・スリラーとしての見どころ。
とにかく余韻が濁りまくるラストと、明らかにならない事実に観客はずっと思考を巡らす羽目になります。

物語の後半で炙り出されるピーターの本性

https://www.fashion-press.net/news/79960/2より

映画の冒頭、父を亡くしたばかりであるピーターの「僕が母さんを守る」という独白が入ります。
それは、華奢な身体の幼い息子が、母を愛するあまり口にした健気な言葉に思えます。

そのため、「父は自分のことを冷たい人間で強すぎると言っていた」と話すピーターを、フィルは鼻で笑い飛ばして信じようとしません。

その一方、視聴者だけは徐々にピーターの別の面に気づき始めています。
ローズが可愛がっていたウサギを殺して解剖したり(外科医志望のため)、荒野で足を骨折していたウサギも手慣れた手つきで迷わず安楽死させる。
しまいには、首を吊って自殺した父親をヒモから下ろし、遺体を解剖したというのです。

徐々に高まる不協和音。ピーターが本当はどんな人物なのか、誰も知らない。

観客の不安をよそに、かつて愛したブロンコの影をピーターに認め、抑え込んでいたセクシュアリティが「男らしさ」に囚われない自由なピーターに一気に溢れ出します。

思いが通じる。そう確信した矢先にフィルを衝撃のラストが襲うのです。

ラストシーン、あなたはどう解釈しますか?

物語の前半、主導権を握っているのは明らかにフィルです。
では後半はどうでしょう?

絡み合う人間関係の果てに、最後まで立っていたのはピーターです。
幸せそうなローズとジョージを見つめてニヤリと笑うピーターは「僕が母さんを守る」ことを、手段を選ばずに実行したと視聴者に気づかせます。

フィルのアイデンティティを知り、その事実を利用してピーターがフィルを夜の納屋のシーンで誘惑したことは明らかです。

これがまた、bpmの異常値を叩き出すトンデモないシーンなんですよ。
サスペンスと性の緊張をMAXまで高めた『イノセント・ガーデン』を想起しました。

初めは大嫌いだったはずが、物語が進むにつれて人としての脆さを見せてくれたフィルだけに、ピーターの毒牙にかかった最後は居た堪れない。
朦朧とする意識の中で、完成したロープを手渡すためにピーターを探す姿には胸が苦しくなりました。

ピーターが勝ちを確信したのはいつなのか、はたまた偶然の結果とも捉えられるため、視聴者がカタルシスを得られることなく、何とも後味が悪い。

最後に一つ、皆さんの意見を聞かせてください。

ピーターはその後、ローズとジョージの3人で仲良し家族となれたでしょうか?
私は、次に狙われるのはジョージなのではと思っています。

母親を“ローズ“と名前で呼ぶこと、異常なまでに母子の絆が強いこと。
父親の教え通り「障害物は取り除く」のであれば、母を守る役目を奪われないために排除する必要のある人物は…?


かつてブロンコ・ヘンリーが、何の変哲もない丘に見出した「吠える犬」の姿。
映画の題名が意味する“犬”とは、一見するとわからないような隠れた狂気、マジョリティの中のマイノリティ、常識に埋もれた偏見などを意味しているのだと思います。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊

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